満蔵寺 岩槻区馬込1209

 



お堂の正面の厨子の左 庚申塔 寛文9(1669)舟形光背型の石塔の正面に薬師如来立像を浮き彫り。下の大きな台は比較的新しく本来のものではないようだ。



薬壺を手にした薬師様は優しげなお顔をしている。光背右「庚申供養同行廿人」薬師如来を主尊とする庚申塔ということになる。左脇には造立年月日が刻まれていた。



厨子の右側に二基の石塔。左 庚申塔 寛文9(1699)こちらは不動明王立像を浮き彫り。下の台は堂内の三基とも同じもののようだ。



剣と羂索を持つ不動明王はキッと前をにらみつける。光背右「庚申供養同行廿人」こちらは不動明王を主尊とする庚申塔。光背左に薬師如来の庚申塔と同じ造立年月日。二基は同じ講中によって一緒に建立されたものだろう。庚申塔の主尊としては青面金剛が一般的になってゆくが、庚申塔の形式がまだ確立していなかった江戸時代初期には地蔵菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩などいろいろな主尊が見られる。その中でも薬師如来、不動明王は比較的少ないと思う。貴重な庚申塔といえるだろう。

 

人間総合科学大学前 岩槻区馬込1288

 

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石祠の横に庚申塔 寛文9(1669)江戸時代初期の素朴な三猿庚申塔。

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舟形の石塔の上部 中央に「武州埼玉郡馬込村庚申興結衆」両脇に造立年月日。

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下部には大きめな三猿が正面向きに腰掛ける。その下の部分に願主とあり、二十名の名前が刻まれていた。

 

地蔵院墓地入口 岩槻区馬込848

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国道122号線に出て左折してすぐ次のT字路を右折すると、左手の路傍にポツンと庚申塔が立っていた。

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庚申塔 元禄6(1693)梵字「ウン」日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。バランスの取れた舟形光背型の庚申塔。頭上に蛇が顔を出し、不機嫌そうな青面金剛は鼻が潰れているが威圧的な表情を見せている。光背右「奉造立庚申講一結□輩」左脇に造立年月日。

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頭を踏みつけられた正面向きの邪鬼も不機嫌そうだ。その下に三猿と二鶏を彫る。比較的しっかりした彫りでシンメトリックな構成。下の部分には本願 逆修とあり、十数名の名前が刻まれていた。

 

ゴルフ練習所前三差路 岩槻区馬込1125-1

 

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 庚申塔 安永9(1780)正面 日月雲「庚申塔」下部に三猿を彫る。

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塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡馬込村、願主 正蔵院と刻まれていた。

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三猿は岩槻らしくややリラックス型。その下の台の正面 中央に講中とあり、15人ほどの名前が、さらに両側面に合わせて十数人の名前が刻まれている。

 

大六天神社前三差路 岩槻区馬込200

 

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庚申塔 正徳3(1713)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。塔の全面を白カビが覆いつくしている。資料「岩槻市史」の巻頭2ページ目にこの庚申塔の大きな写真が載っていて、その写真では美しく堂々とした姿を見せていたのでとても楽しみにしていたのだが・・・

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造立後270年であれだけ美しかったものが、その後わずか30年でここまでの状態になってしまうとは・・それなりに手入れをしたり、しっかりした管理がされないとこうなるのが自然なのだろうか。文化財の保全はやはり手がかかり大変なのだろう。青面金剛の頭には蛇が顔をもたげ、合掌した青面金剛は左後手にショケラをかかげている。邪鬼は正面向き、両腕を折って横にして、その手の間に頭を乗せ、二鶏はその腕の上の部分にちょこんと乗っていた。

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三猿も正面向き、手と足でダイヤ型になる座り方。その下の部分、中央に「施主」とあり両脇に僧俗あわせて四名の名前が刻まれている。

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塔の右側面 中央に是よりかうのす道、その下に四名の名前。

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左側面 ほぼ全面真っ白な中に是よりはら市道、やはり下のほうに三名の名前。

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裏面 中央に「奉造立庚申供養為二世安樂」右脇に造立年月日、左脇に武州埼玉之郡馬込村と刻まれていた。

 

東北道脇空き地 岩槻区馬込241の前

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庚申塔 天明2(1782)塔の正面 日月雲「庚申塔」右側面中央に 右せうぶ道、両脇に造立年月日。さらにその下にいくつか名前が見えるが土の中に一部埋まっていて読み取れない。

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左側面 左 かうのす道、両脇に馬込村講中。やはり下部に名前が見える。

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正面下部、草を押し分けてのぞいてみると、かわいらしい三猿が彫られていた。

 

高架橋下T字路突き当り路傍 岩槻区平林寺334

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庚申塔 明和元年(1764)上部に日月雲。梵字「バン」の下に「庚申供養塔」両脇に造立年月日。その下に施主として四名の名前が刻まれている。下部には三猿が彫られていた。

 

河合小学校南交差点 岩槻区平林寺309の東

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庚申塔 文化2(1805)正面上部に日月雲。瑞雲が発達している。その下に「庚申塔」塔の下部は一部が土に中に埋もれていて文字は完全には見えなかった。

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左側面 中央に武州埼玉郡平林寺、その下に村か?右脇に じおんじ、左脇に かすかべ、そのしたは「みち」だろう。

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右側面中央に造立年月日。右脇「いわつきみち」左脇「こしがやみち」と思われる。

河合小学校南住宅 岩槻区平林寺437付近

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庚申塔 宝暦8(1758)中央に「青面金剛」両脇に造立年月日。下部は見えない。

関白神社 岩槻区平林寺925



庚申塔 貞享3(1686)日月雲。上部に「寄進」その下に青面金剛立像 合掌型六臂。小さな石塔に大きな笠が目立つ。



全体に風化が進み文字もはっきりしない。塔の正面は空間が狭く、邪鬼、二鶏ともにその姿が見えない。青面金剛の足下には三猿だけが彫られていた。弓矢を後ろの上の手に持つのは珍しい。下の手には剣と羂索か。江戸時代初期ならではという感じがする。



鳥居の左脇の庚申塔 貞享3(1686)日月雲「寄進」青面金剛立像 合掌型六臂。笠は欠損。右脇の庚申塔と構成などが同一。



羂索を持つ手の右脇に「三寅天」その上は文字が薄いが貞享と見える。左脇に「吉日」その下に十人と刻まれていた。

関白神社北 住宅の塀 岩槻区平林寺920



関白神社からさらに北へ200mほど進むと、その先は民家はなくなり元荒川沿いに田園風景が広がる。斜め右からも道路が合流していて、この角の家のコンクリート塀の中には石塔が祀られていた。



庚申塔 文化2(1805)角柱型の石塔の正面に「庚申塔」



塔の右側面中央に造立年月日。その左脇に平林寺村講中廿八人。右脇にみちと見えるが隙間が狭く、上のほうはうまく確認できなかった。



左側面 「いわつきみち」願主は個人名が刻まれている。

 

掛交差点内 岩槻区掛158



平林寺の観音堂の墓地前の道を東に進むと金重に入り、やがてT字路に突き当たる。ここを左折して400mほど先の変則的な交差点、道なりに進むと右折、直進はやや道幅が狭くなり、左折は路地のように細い。この交差点の中に庚申塔が立っていた。




庚申塔 文化6(1809)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。台は三段になっていた。



塔の正面は白カビが目立つが、彫りは細かく立体的。よくあることだが、青面金剛の顔はつぶれている。ショケラは足を折り曲げ合掌していた。



青面金剛の足下には二匹の邪鬼が身を乗り出し頭を踏みつけにされている。二鶏は見当たらず、三猿は下の台の正面のほうに彫られていた。



塔の右側面に造立年月日。左側面には掛ヶ村講中と刻まれている。

掛公民館西路傍 岩槻区掛194付近



掛公民館と庚申塔の立つ交差点のちょうど中間あたり、南側の路傍の小高くなったところに石塔が祀られていた。



唐風?のちょっと変わった形の雨除けの中に庚申塔 文化4(1807)角柱型の石塔の正面、上部に日月雲。その下に大きく「庚申塔」



のぞきこんでみると下の台の正面に小さいながらもしっかりとした三猿が彫られていた。



塔の右側面に造立年月日。左側面には掛ヶ村 願主とあり個人名が刻まれている。

 

岩槻金重団地北路傍 岩槻区金重66



金重公会堂から南に行くと幼稚園のところで変則的な五差路になっている。ここから南へ50mほど、左手の住宅の前に小堂があった。



小堂の中 庚申塔 延享3(1746)正面中央 梵字「ウン」の下「奉造立庚申供養」上部両脇に造立年月日。右下に武州埼玉郡岩槻領金重村、左下に二名の名前が刻まれている。