しらさぎ幼稚園墓地 緑区代山992[地図]
さいたま市消防団美園第2分団のあった信号交差点から岩槻方面に向かい、200mほど先を右折して細い道を進むと、しらさぎ幼稚園の西の塚の上に小さな墓地があった。入口から二基の石塔が並んでいるのが見える。
地蔵菩薩塔 正徳4(1714) 大きな舟形光背に錫杖、宝珠を手にした地蔵菩薩立像を浮き彫り。
白カビは少なく、彫りは細部まできれいに残っていた。光背右脇「奉造立地蔵菩薩爲二世安樂自他法界平等利益」左脇に造立年月日。その下に施主、願主
各一名の名前が刻まれている。
右 参拝供養塔
享保18(1733)四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「南無阿彌陀佛」右脇に信州善光寺四十八度、左脇に月参供養佛。塔の右側面に造立年月日。左側面に願主名が刻まれていた。
成田山不動堂 緑区代山11[地図]
日光御成道、五斗蒔橋から東へ上ってきた道との信号交差点のすぐ南、道路右側に成田山不動堂がある。裏は墓地になっていて、墓地に向かう右脇の塀の前に石塔が並んでいた。
右 普門品供養塔
安政3(1856)四角い台の上、足つき?の四角い敷茄子付きの角柱型の石塔の正面「普門品一万巻供養塔」台の正面に「講中」凝った書体は読みにくい。
塔の右側面に日月清明 風雨順時。
左側面に造立年月日。その横に武州足立郡代山邨。続いて法眼箽齋正祐書と刻まれていた。
中央 地蔵菩薩塔
造立年不明。しっかりした彫りの地蔵菩薩立像だが、下部が失われ蓮台から上だけが直接土の上に置かれている。像に銘は見当たらず詳細は不明。
左 地蔵菩薩塔
享保5(1720)四角い台の上、角柱型の石塔に蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。
首に補修跡というのはよくあることだが、目がセメントでふさがれているのは珍しい。錫杖の先が欠けていた。
石塔の正面に「代山村中」右側面に造立年月日が刻まれている。
さいたま聖地霊園南路傍 緑区代山876北[地図]
浦和学院の東にあるさいたま聖地霊園の脇の細い道を南に進む。道は徐々に登りになり、登り切ったあたり、左側の路傍、林の縁に二基の庚申塔が並んでいた。
右 庚申塔 元禄16(1703)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
頭上にとぐろを巻いた蛇を乗せた吊り目の青面金剛。持物は柄の長い十文字槍・法輪・弓矢。矢は二本持ち。頭上から肩にかけて「奉造立庚申供羪二世安樂之処」像の左脇に造立年月日。
足元の邪鬼は口をへの字にしてうずくまる。その下に正面向きの三猿。三猿の下の部分に村中惣供羪とあり、17名の名前が刻まれている。
左 庚申塔 角柱型の石塔の正面 日月雲
梵字「ウン」の下に「庚申塔」
塔の右側面に造立年月日。その横に武州足立郡代山邨講中。
左側面
上部に偈曰とあり、4行7文字の偈文。最後に安養峯役實珉誌と刻まれていた。
庚申塔の少し左の林の中に二基の石塔が並んでいる。
右 馬頭観音塔 安政元年(1854)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。左側面に施主は個人名。
左 馬頭観音塔 慶応2(1866)駒型の石塔の正面
草書体で「馬頭觀世音」こちらも施主は個人だった。
代山北共同墓地 緑区代山489[地図]
日光御成道の浦和東高校入口交差点の100mほど南から東に向かう細い道を道なりに進むと、道路を挟んで両側に墓地があった。左の墓地、道路際に二基の石塔が並ぶ。
地蔵菩薩塔
宝暦7(1757)角柱型の石塔の上に厚い敷茄子と蓮台を持つ丸彫りの地蔵菩薩立像。白カビで顔ははっきりしないが欠損はない。
石塔の正面
右に代山邑、続いて造立年月日が刻まれていた。
右脇に馬頭観音塔
文化13(1816)隅丸角柱型の石塔の正面上部を舟形に彫りくぼめた中に一面六臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。その下に「供養塔」両脇に造立年月日が刻まれている。
向かいの墓地の奥、北側のブロック塀の前に石塔が並ぶ。そのほとんどは墓石だった。
二基の像塔の左 百ヶ所観音順礼供養塔
宝暦12(1762)大きな舟形光背に十臂の千手観音菩薩立像を浮き彫り。像の両脇に「奉納西國秩父坂東 順禮二世安樂祈所」右脇下部に造立年月日。左脇下部に願主一名の名前が刻まれていた。