緑区宮本

三室堂東住宅フェンス 緑区宮本1-9-6[地図]


三室堂の北を通る道を東へ向かう。途中、氷川女體神社参道鳥居を越えて、やがてT字路に突き当たる。その突き当りの住宅の塀のフェンスに石塔が立っていた。ちなみにこのT字路は、ごく近くに五方向の道が集まる変則的な五差路の一部になっている。


庚申塔 安永元年(1772)駒形の石塔の正面を彫りくぼめた中、日月雲、梵字「ウン」の下に「庚申塔」


下部に三猿。両脇の言わ猿と見猿は内を向くが、半ば腰を浮かせている。塔の右側面に造立年月日。左側面にも銘があるが、フェンスの中は生い茂る草木のためにかなり暗いため写真は撮れなかった。

宮本第一公園隅 緑区宮本1-4[地図]


上の庚申塔のある変則的な五差路交差点から南西に進む道を下ってゆくと右手に宮本第一公園がある。公園の右隅に石塔が立っていた。


馬頭観音塔 造立年不明。片岩の正面に「馬頭觀世音」紀年銘は見当たらない。背面に再建 浦和市宮本土地区画整理組合と刻まれていた。

氷川女体神社 緑区宮本2-17[地図]


見沼代用水西縁に架かる氷川女體橋の先、急な石段の上に朱塗りの大きな鳥居が立っていた。


「武蔵國一宮 氷川女體神社」と書かれた扁額が掛けられた鳥居の向こうには広い境内が広がっている。参道の先に拝殿。その周りは昔ながらの自然が残され、うっそうとした森に囲まれていた。


拝殿の手前、参道左脇の大木の前に道標が立っている。角柱型の石塔の正面「武蔵國一宮 女體宮道」


塔の左側面に造立年月日。右側面に宮本まで是よ里五町。もとは大間木の赤山街道路傍に立っていたものらしい。


社殿の東の森の中、境内社が並ぶその脇に二基の石塔が立っていた。


右 拝礼供養塔 文政13(1830)二段の四角い台の上の角柱型の石塔の正面「越立山 富士山嶽々 湯殿山 神社佛閣 拝禮供養塔」
  

塔の右側面中央「大山石尊大権現五拾度参」両脇に天下泰平・郷中安全。裏面に造立年月日。続いて願主の名前が刻まれている。


左 榛名山 三峯山大権現塔 文久2(1862)角柱型の石塔の正面「榛名山 三峯山大権現」下の四角い台の正面に「宮本同氣」=宮本村講中だろうか。


塔の右側面に造立年月日。下の台の右側面、右のほうから金二分に始まって左端の金一朱まで、寄進額の順に多くの人の名前が刻まれていた。


塔の左側面「一天平定 日月清輝」下の台の左側面には金一朱に三人、金二分に一人の名前が刻まれ、続いて世話人三名の名前。左端には八丁石工の名前が刻まれている。

宮本霊園 緑区宮本2-20-8[地図]


氷川女體神社の東の道を北へ上ってゆき、二つ目の交差点を右折して50mほど進むと道路左側に宮本霊園の入口があった。


入口左側、ブロック塀の前に多くの石仏が並んでいる。左の二基の地蔵菩薩塔は墓石、右の六地蔵塔は平成14年に新たに造立されたものだった。


こちらの二基の丸彫りの地蔵菩薩塔は、像、蓮台・敷茄子の様子などから六地蔵だったものと思われる。


右の石塔の正面中央に「六地蔵建立」右脇に木崎領宮本村、左脇に講中。紀年銘は確認できなかった。


その隣 念仏供養塔 文化5(1808)角柱型の石塔の上に、蓮台に座る二臂の如意輪観音菩薩像が乗っている。塔の正面「念佛供養塔」右から宮本 講中 十二人。左側面に造立年月日。右側面に世話人三名の名前が刻まれていた。