氷川神社入口 緑区上野田
[地図]
御成街道を岩槻方面に進む。JAさいたま野田を越えて次の信号の左手、氷川神社の
入口に庚申塔
安永2(1773)青面金剛立像 六臂 左手に剣、右手にショケラを持つ。
右側面に奉造立庚申諸願成就、左側面に上野田村
講中十八人と刻まれていた。
照光寺墓地 緑区上野田
[地図]
氷川神社の100mほど先を西に折れるとすぐ照光寺が見えてくる。山門をくぐると
本堂の左奥に墓地があり、その入口付近に納経廻國供養塔享保2(1717)があった。
正面に讀誦納大乗妙典六十六部廻國供養塔、両脇に覚功
霊海と刻まれている。
左側面には万人講供養と読める。先日紹介した総持寺の石塔が万人講供養塔で、
その時「初めて見た」とコメントしたばかり。写真を整理したらこんな近くに
同じ万人講供養の文字を見つけて驚いた。不食供養塔が西区遊馬あたりで多く
見かけたり、そういった地域的な特色ということがあるのだろうか?
御嶽社前 緑区上野田
[地図]
さらに御成街道を進む。さぎ山記念公園を過ぎ、上野田交差点の200mほで手前
右手の細い道に入ると御嶽社があり、前の小堂の中に石仏が並んでいた。
右 庚申塔
天明元年(1781)青面金剛立像 六臂 左手に剣、右手にショケラを持つ。
邪鬼はずんぐりした体型でユーモラス。三猿はこの地方にしてはおとなしく普通。
右側面に奉造立庚申供養塔、左側面に上野田村、講中二十三人と刻まれていた。
左 地蔵菩薩立像
延宝6(1678)光背に念佛供養の文字。下部に大きく三猿を彫る。
地蔵尊を主尊とする庚申塔である。
上野田交差点北路傍 緑区上野田
[地図]
上野田交差点で左折すると大宮方面に向かう。直進して100m程先の右側路傍に
小堂が立っていた。中に石塔が並んでいるのが見える。
右 地蔵菩薩立像
宝暦6(1756)蓮台の下の大きな台の正面に奉造立地蔵尊とある。
左側面には足立郡南部領新染谷村講中と刻まれていた。
左
下部の台に大きく念佛講中と彫られた石塔 文化2(1805)上部には薬師如来坐像
左右に天下泰平、日月清明、中央に為諸病悉除村中安全と刻まれている。
右側面、上部に阿弥陀如来坐像が彫られ、その下に百万遍供養。施主は個人名だ。
左側面、上部には聖観音菩薩坐像。正保4(1647)の文字があり、施主は個人名。
なかなかバラエティに富んだ石塔である。
野田トレーニングセンター西三差路 緑区上野田
[地図]
さらに200mほど進む。バス会社の営業所を過ぎて次の細い道を右に折れる。
道なりに歩いて行くと三差路になり、庚申塔が祀られていた。
庚申塔
明和5(1768)青面金剛立像 六臂 左手に剣、右手にショケラ。邪鬼は
ライオンのように見える。側面に足立郡新染谷村
願主 西信 同 惣村中とある。
旧興音寺墓地 緑区上野田
[地図]
三差路の奥に墓地がある。北側の一角に石塔が並んでいた。
阿弥陀三尊来迎図板碑
延慶3(1310)上部に阿弥陀如来が美しく陽刻されている。
下部には観音菩薩と勢至菩薩がこちらは陰刻されていた。その下に延共三年と
刻まれているが、読みが同じ「延慶」の当て字ではないだろうか。
小型の宝印凶塔をはさんで左には、奉納秩父三十四番為二世安楽也と刻む石塔
文化7(1810)上部には聖観音菩薩坐像が彫られている。
一番左
地蔵菩薩立像 寛政8(1796)下の台の正面に造立地蔵尊為現當二世安楽、
左側面には南部領新染谷村講中と刻まれていた。