板橋区南町

西光院 板橋区南町31

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川越街道の大山西町あたりから斜め右に入ってゆく道がある。この道をまっすぐ歩いてゆくとやがて山手通りに出て、その先は豊島区になる。この道路の中ほど、南町交差点を右に曲がってすぐ、右手に西光院の入り口があった。自然石の寺導の左下に小さな石塔が見える。

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六字名号塔 延享2(1745)正面「南無阿弥陀佛」その下に十六文字の願文を刻む。

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塔の右側面 武州豊嶋郡中丸邑上下兩橋。左側面には 総村講中即縁衆等 發願主、その下に四名の名前が刻まれていた。

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裏に回って見ると中央に「奉供養庚申石橋造立」とあり、両脇には造立年月日が刻まれている。下部の両脇に渡って「往来安穏・諸人快楽」どうやらこの石塔は六字名号塔であり、石橋供養塔でもあり、庚申供養塔でもあるということになるのだろうか。

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山門から境内に入り左側、塀の前にたくさんの地蔵像が並んでいた。

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左 地蔵菩薩立像 宝暦12(1762)丸彫り延命地蔵型。像のふともものあたりに断裂跡が見える。塔部正面「奉造立地蔵大菩薩」その両脇に造立年月日。その下の台の左側面に惣村講中□人とあり、さらに講頭として三名の名前が刻まれている。

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その隣 地蔵菩薩立像。こちらは紀年銘が見当たらない。塔部正面「地蔵大菩薩」その両脇に「奉唱念真言 一十万遍満足」と刻まれていた。

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 続いて地蔵菩薩立像 正徳4(1714)丸彫り延命地蔵型。こちらもかなり大型。塔の正面「造立施主男女六万八千四百七十一人」根拠のある数なのだろうか?塔の両側面には造立年月日が刻まれている。

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 一番奥に地蔵菩薩立像。これだけが舟形光背型。残念ながら銘などは確認できず詳細は不明。

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その先には三界萬霊塔があり、多くの無縁仏が集められていた。さらにその奥に堂が立っていてその前に毘沙門天。虎の模様の武衣を着て足下に邪鬼を踏む姿は青面金剛に良く似ている。こちらも銘が確認できず詳細は不明。

南町庚申堂 板橋区南町21

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西光院からさらに南に歩き山手通りに出る。北側の歩道を西に進むと右手に庚申堂が立っていた。

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庚申塔 宝永5(1708)唐破風笠付角柱型。日月雲 青面金剛立像合掌型六臂。頭の上では蛇がとぐろを巻いている。足の両脇に二鶏。足下には三猿が彫られていた。小堂の側面には隙間がなく、庚申塔の側面を確認することはできない。資料によると右側面に「奉造立供養青面金剛尊像庚申講中二世安樂祈所」左側面には造立年月日が刻まれているという。