土支田地蔵 練馬区土支田2-36
都営地下鉄光が丘駅前を通る都道443号線を西に進み笹目通りを越えてゆくと、土支田通りまで広い道が続く。土支田通りの400mほど手前の土支田地蔵北交差点を左折すると、すぐ先の交差点の右手の角に小堂が立っていた。
小堂の中 地蔵菩薩立像 。二重の台の上、蓮台に丸彫りの地蔵像。通称「土支田地蔵」南北の交差点名が土支田地蔵北・土支田地蔵南となっていることから考えても、地元の人たちにとって大事にされてきたお地蔵様なのだろう。
愛嬌のある丸顔、体形は厚く錫杖宝珠とも健在で堂々とした立ち姿。首には新しい数珠が幾重にも掛けられていて、信仰の様子がうかがえる。
像に比べて台のほうは風化が激しく全体に溶解、銘などは見当たらない。どうやら像と台の石質が違うようだ。
小堂の脇に二基の記念碑が立っていた。右は昭和41年、左は平成22年の紀年銘があり、それぞれ世話人数名の名前が刻まれている。資料によると幕末の造立らしいが、戦後、周囲の宅地化が進むに伴い移動を余儀なくされたものだろう。
目白通り上り線側道路傍 練馬区三原台2-6
目白通り上り線の側道、土支田通りとの交差点「比丘尼」交差点の400mほど東、歩道脇の小高い駐車場の隅に小堂が立っていた。
小堂の中 馬頭観音塔 寛政10(1798)高さ2mを越える大きな角柱型石塔。
正面を彫りくぼめた中、上部に二臂の美しい馬頭観音坐像を浮き彫り。馬面もくっきり。蓮台にも細かい彫りが施されている。
像の下に天下泰平 國土安穏。中央に大きく「奉勧請馬頭觀世音菩薩」両脇に造立年月日。
塔の左側面 講中二十三人。願主一名の名前。
塔の右側面 講中十四人、こちらも願主一名の名前が刻まれていた。二つの講中が協力して造立したということだろう。
都道24号線練馬年金事務所東交差点角 練馬区三原台1-28
大泉学園駅北と谷原を結ぶ都道26号線、練馬年金事務所の100mほど東の交差点の北東の角に小堂が立っていた。
小堂の中に三基の石塔。右 大乗妙典供養塔 宝暦10(1760)風化のために彫りはやや薄く、塔の輪郭もあいまいになっている。駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉納大乗妙典六十六部□□□」上部両脇に天下泰平 日月清明。中ほど両脇に造立年月日が刻まれている。
その隣 庚申塔 宝暦11(1761)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。青面金剛の顔はつぶれていた。右脇 梵字「ウン」の下「庚申待供養敬白」左脇に造立年月日。
足元から下の風化の様子が凄まじい。溶けて細くなった青面金剛の足の両脇に二鶏。邪鬼も溶けてしまって骸骨のよう。その下は三猿なのだろうが、周りが溶けて鍾乳洞のように垂れて覆われてしまい確認できない。
その左脇に庚申石灯籠 享和3(1803)竿部正面に「奉納庚申」左脇に造立年月日。埼玉ではあまり見なかったが、練馬では庚申塔の近くに庚申石灯籠という組み合わせをかなり多く見かける。以前見た板橋区、北区ではどうだったのだろう?だいぶ前のことであまり記憶にはない。もしかしたら練馬区に特有なことなのかもしれない。