豊島区高田の石仏

金乗院(目白不動尊) 豊島区高田2丁目12

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目白通りから宿坂を下った先にある金乗院は目白不動尊として知られている。
庚申塔なども多く、結構見ごたえがある。

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宿坂に面して山門が立つ。山門を入って右に折れると本堂。山門脇に石塔が並ぶ。

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山門右側で頑張っているのは不動明王坐像。左手が欠けている。

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大きな台の正面に「目白」右脇に享保6(1721)の銘。その下に多数の名前。
左側面に再興とあり天明元年(1781)と刻まれている。願主 関口水道町 中屋氏。

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その隣 正面に弘法大師。下の台の正面、右から「新長谷寺。右側面は
狭く未確認。左側面に四國霊場とあり大きく五十四番と彫られていた。

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山門の左 地蔵菩薩坐像 下の台の三面に渡って正徳2(1712)から宝暦8(1758)に
かけて7名の戒名が刻まれている。両側面の5名は童子、正面の2名は居士と大姉。
この時代に居士、大姉というのは相当な家柄ということだろうか。

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裏に2基の寺標が立つ。右 江戸第拾六番 山之手第九番 本尊 十一面観音とある。
その下に大きく彫られた字はすぐには読めなかったが・・・

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左側面には安永9(1780)とある。左側面上に「大和長谷の観世音同木同作」
その下に「新豊山新長谷寺」と彫られている。どうやらこれは文京区関口に
あった新長谷寺の寺標。廃寺となった新長谷寺の「目白不動尊」が金乗院に

移された時に一緒に移ってきたのだろう。正面の大きな字は「長せ寺」

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左 こちらが本来の寺標。正面 江戸八十八箇所之内 第三十八番目 神霊山金乗院。
右側面 南無遍照金剛 土州足摺山代。足摺山は四国高知の霊場 金剛福寺のこと。

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境内に入り本堂の前、宝筐印塔の隣に変わった石塔が立っている。

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庚申塔 寛文6(1666)不動明王の剣、倶利伽羅剣に巻き付く倶利伽羅明王を
主尊とする珍しい庚申塔。解説板に倶利伽羅不動庚申と書かれていた。

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 剣の柄の下のあたりに三猿が彫られていた。素朴だがとても可愛い。

 

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本堂の右手に進むと、塀際の高いところに不動堂がある。不動堂に上る階段の脇に
石塔が立っているのが見える。さらに左側、不動堂の壁に沿って墓地に向かう石の
坂道の両側に多くの石仏が並んでいた。

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不動堂の階段脇には二基の庚申塔。右は舟形光背 左は角柱(多分元は笠付)と
タイプは違うが、三猿の配置など雰囲気がよく似ている。

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右 庚申塔 延宝5(1677)日月雲。中央に「庚申塔信心衆」その下に三猿を彫る。
三猿の下の部分に10名ほどの名前が刻まれていた。

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左 庚申塔 元禄5(1692)日月雲 中央に「奉待念庚申一座」その下にこちらも三猿。
やはり三猿の下に施主10名ほどの名前が刻まれている。

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不動堂の階段を上りきると右側にお地蔵様が並んで立っていた。

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左から 地蔵菩薩立像 元禄11(1698)台の正面に「奉造立地蔵尊像」両脇には
自他法界、平等利益と彫られている。

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続いて丸彫りの六地蔵。6体はほぼ同じ大きさで像の様子も似通っている。
それぞれの台には4、5名の名前が刻まれていた。

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右から3番目の台の側面には享保17(1732)の銘が見える。

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右の三体のお地蔵様はいずれも残念ながら造立年不明。それぞれに個性的な
お地蔵様なのだが・・・

 


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不動堂の壁沿い、墓地へ向かう石畳の坂道の両側に多くの石仏が並んでいる。

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左側の手前から 如意輪観音坐像 宝永2(1705)個人の戒名が刻まれている。

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隣 庚申塔 寛文8(1668)唐破風付角柱 日月雲 青面金剛立像。下部に三猿を彫る。

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青面金剛は三面六臂。右手に法輪、左手にショケラか。後上の手に戟と独鈷杵?
下の手は弓矢。右脇に「奉待念庚申講一座二世安楽所」左脇に年号。

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三猿は椅子に腰掛けているようで面白い。三猿の下に12名の名前を刻む。

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両側面にはしっかりとした雄鶏と雌鶏が彫られていた。邪鬼こそいないものの
寛文期としては相当豪華な感じがする。

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奥に地蔵菩薩立像 寛文10(1670)上品な佇まいの地蔵像。舟形の光背上部に梵字。
光背右には「奉供養地蔵二世安樂所」足の両脇に施主と思われる名前を刻む。

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庚申塔の真裏、背中向かいに聖観音立像 享保6(1721)これだけは本堂の方を向く。
光背左に出羽國村山郡と読める。ここに立つ所以は不明。仔細はわからない。

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道の右側 手前から 庚申塔 延宝4(1676)唐破風付角柱 正面 日月 梵字の下に
「奉建立庚申塔婆二世安楽攸」右脇に年号。続いて施主敬白。下部に聞か猿。

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右側面 願文の下に数名の戒名。下部には見猿が彫られていた。

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左側面には言わ猿。この三猿も可愛い。三面とも猿の下に十数名の名前を刻む。

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隣に六字名号塔 宝永(1709)正面に「南無阿弥陀佛」右側面には年号を彫る。

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左側面「奉回國六十六部供養為法界利益」脇に天下和順 日月清明と刻まれている。

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その奥 庚申塔 万治2(1659)山型角柱 正面彫り窪めた中 阿弥陀三尊の梵字の下
「奉信敬庚申禮三年講結衆諸願成就」下部に三猿。その下に数名の名前を刻む。

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右側面には立派な雄鶏、左側面には雌鶏が彫られていた。この地域の特徴か、
邪鬼よりも二鶏のほうがポピュラーな存在のようだ。三猿は欠かせない。

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途中に墓地の黒い門扉がある。この先は右側、不動堂の壁沿いに石仏が並ぶ。
まずは門扉の陰に不動明王坐像 造立年等、詳細は不明。

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続いて美しい如意輪観音坐像 延宝8(1680)舟形の光背に「奉建立観音菩薩尊像」

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隣に十一面観音立像 元文5(1740)光背の上部が欠けて翼を拡げているかのようだ。

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頭部正面に阿弥陀如来の化仏をいただき、その下に様々な表情の佛面を彫る。
観音様は憂いを秘めた女性的な美しい顔立ちをしている。

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最後に丸彫りの聖観音菩薩立像 享保17(1732)やはり頭部に阿弥陀如来の化仏。
女性的な丸みのあるお姿だがキリッとした厳しい表情を見せている。

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墓地への道を登りきり、すぐ左に曲がるとその左手に徳本上人の名号塔があった。
天保11(1840)下の台の正面に13名の戒名 側面にも十数名の戒名が刻まれている。