緑ヶ丘墓苑入口 緑区大門
東川口駅の南口から西へ歩く。JR武蔵野線の南、川口市から緑区に入ってすぐ、
緑ヶ丘墓苑の入口に三基の石塔が並ぶ。右の二基が庚申塔。
明和3(1766)板駒型 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。彫りは細かい。
足元に二匹の邪鬼の顔。その下に三猿。下の台の正面に講中11名の名前を刻む。
塔の左側面には年号。右側面に「奉建立庚申供養」
天保11(1840)笠型角柱 日月雲 中央に大きく「庚申塔」すぐ下の台の正面に講中
下の大きな台に三猿を彫る。その姿は隣の庚申塔の三猿とよく似ている。
塔の右側面「天下泰平國土安全」左側面には年号の脇に武州足立郡大門宿と刻む。
その下の台は凝った作りで、右側面に蓮の花、左側面に二匹の兎が彫られている。
JR武蔵野線北沿線路傍 緑区大門
緑ヶ丘墓苑を出て西に進む。その先の交差点を右折し武蔵野線を越えてすぐ、
右手の小高くなったあたりにブロックに囲まれてポツンと庚申塔。
寛文10(1670)板碑型。日月の下に年号。中央に「奉新造立庚申供養成就処」
下部に素朴な三猿。三猿の下に薄く結衆8人の名前を刻む。
椚谷墓苑南畑隅 緑区大門
上の庚申塔の北東の位置。広い畑の南隅に二基の石仏が並ぶ。右が庚申塔。
寛政7(1795)板駒型 日月雲 青面金剛立像 六臂。右手に鈴、左手にショケラ。
足元に邪鬼と三猿。邪鬼の頭が向かって右というのも少数派だろう。
三猿の下の台の正面、神明窪だろうか?中央に講中と刻む。
右側面に天下泰平國土安全。左側面・・・なにも見当たらない。これも珍しい。
東大門区画整理記念会館 緑区東大門2
東大門にある区画整理記念会館の駐車場に石塔が並ぶ。右から2番目に庚申塔。
元文5(1740)板駒型 梵字 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。最上部の
雲から足元の邪鬼まで、かなり丁寧な彫り。自然な表現で、力感に溢れている。
足元に二鶏・邪鬼・三猿が揃う。下の台の正面には講中三拾人と刻まれている。
塔の右側面には「奉造立庚申供養二世安樂所」導師 大興寺 法印永證敬白。
左側面 中央に年号、その脇に武州足立郡大門町結衆と刻む。
大門神社参道 緑区大門
日光御成街道から大門神社の長い参道を歩くと左側、朽ちた木の幹の中に庚申塔。
天明5(1785)山型角柱。正面 梵字の下に「庚申塔」その脇に天下泰平國土安全。
右側面に年号。左側面には武州大門町施主と刻む。
日光御成街道北 駐車場 緑区大門
日光御成街道、美園郵便局付近で北へ入った先の駐車場の真ん中に庚申塔。
天明元年(1781)板駒型 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。蛇を頭上にかむった
青面金剛はちょっと下膨れで鼻が大きく、どことなくエキゾチックな風貌。
足元の邪鬼は目をむき出し、土下座しているような格好だ。その下にラフな三猿。
左側面に年号。右側面「奉造立庚申供養者二世安樂所」
大興寺 緑区大門
日光御成街道が東北道とぶつかる大門北交差点の東、大興寺の山門を入った左側に
たくさんの石仏が並ぶ。西側の塀の前に四基の庚申塔。
宝永7(1710)山型角柱 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラ。
邪鬼は静かな表情。下部に三猿。二鶏はこの地域ではあまり見られないようだ。
三猿の下の部分に12名の名前を刻む。
左側面 大きな字で年号。脇にやや細い字で武州足立郡大門町結衆。さらにその下、
小さな字で7名の名前を刻む。正面と合わせて結衆19名か。
右側面「奉造立庚申供養二世安樂所」脇に導師 大興寺 法印永誉 敬白と刻む。
天明5(1785)山型角柱 正面 梵字の下に草書体で「庚申塔」
右側面には 大門町 願主 講中二十三人 施人近郷。左側面には 年号に続き
武州大門町施主敬白と刻む。
享保14(1729)板駒型 上部に梵字と日月雲。中央を彫り窪めた中に青面金剛立像
合掌型六臂 下左手にショケラを持つ。邪鬼が見えず下部は三猿のみ。その下には
いずれもカタカナで11名の名前が刻まれている。
右側面には「奉造立庚申像現當安全祈所」その脇に供養導師 大興寺。
さらにその下には結衆等という文字を囲むようにカタカナで11名の名前を刻む。
左側面 年号の脇に武州足立郡大門町。こちらの下にも「敬白」・・右衛門のあと
カタカナで9名の名前が刻まれる。三面合わせて女講中31人だろう。
明和2(1765)板駒型 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。瑞雲や手の様子、衣装など
彫りは写実的で細かい。足元に二匹の邪鬼。続いて三猿。二鶏は見えない。
三猿の下の台の正面には卍が彫られているようだ。ちょうど真ん中まで地中に
埋まっている。塔の右側面に年号があるが、それ以外の文字が見当たらない。
半分埋まった台の方に施主名などが刻まれているのかもしれない。