県道65号線沿いのGS裏 岩槻区鹿室454裏

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さらに南に下ってガソリンスタンドの裏  文字塔 文政2(1819)下部が土中に埋もれているが、正面大きな字で「青面金剛」右側面は狭く確認は難しいが、資料によると造立年月日が刻まれているという。塔の左側面には鹿室村上講中と刻まれていた。

路地奥住宅前 岩槻区鹿室463

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上の庚申塔の向かいの家の入口 文字塔 造立年不明。正面、日月雲の下「庚申塔」塔の右側面は無銘。左側面に施主は個人名。

鹿室交差点角小堂 岩槻区鹿室419南

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県道65号線鹿室交差点の北西角 小堂の中 庚申塔 寛保元年(1741)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に風化が進み光背もいびつになっている。光背左脇に「奉造立庚申」脇に造立年月日。足の両脇に二鶏、足下に邪鬼。その下の部分は横木に隠れて見えないが、三猿が彫られているのではないだろうか。石塔右下の板に「奉納 猿田彦大神」と書かれていた。

鹿室自治会館南住宅 岩槻区鹿室900付近

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鹿室自治会館の南の住宅の庭の植え込みの中に二基の文字塔。側面が見えず、造立年月日などは不明。石塔の規模、文字など、非常に良く似ていて、上部に日月雲を線刻。その下に「庚申塔」と彫られている。

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 その二軒先のお宅にも二基の庚申塔が立っていた。近づいて見ると、こちらは「庚申塔」の文字の位置から考えて右の庚申塔のほうが大きい。左の庚申塔は銘が確認できない。右のほうは正面両脇に嘉永4年(1851)の紀年銘。

県道65号線鹿室バス停付近小堂内 岩槻区鹿室932付近

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 バス停脇の小堂の中 庚申塔 明和8(1771)正面上部に日月雲。その下に「青面金剛」下部には三猿。右側面に造立年月日、左側面には武州埼玉郡 願主 鹿室村郷中と刻まれている。

 

古ヶ場中央交差点三角地角 岩槻区古ヶ場639付近

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三方向から道路が交差してできた三角地点の角に三基の石塔が並んでいた。中央は観音菩薩坐像を浮き彫りにした道標で、両脇が庚申塔。
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右 庚申塔 文化9(1812)塔の正面上部に日月雲。中央に「庚申塔」台の正面に三猿が彫られていた。

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塔の左側面に古ヶ場村中。塔の右側面には造立年月日。下の台の左側面は一部土に埋もれているが、左 志おん(じ)、かす(かべ)だろう。右側面には右 いわつき、向 かうのす よしみ。

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左 庚申塔 明和8(1771)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。

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ショケラは足を折り曲げ合掌。むき出しになった青面金剛の足は以外に細く見える。足の両脇に二鶏を薄く彫り、足元にはもっさりとした邪鬼、三猿と続く。塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡古ヶ場村、脇に願主隆賢と刻まれていた。

永福寺詣墓 岩槻区古ケ場11の北

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今は廃寺となった永福寺。埋墓と詣墓を別の場所に作る「両墓制」を取っているが、その詣墓のほうのブロック塀の中に庚申塔 天保9(1837)が立っていた。塔の正面 大きく「庚申塔」下部には薄い彫りではっきりは読めないが何人かの名前が刻まれているようだ。

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塔の左側面 西よしミ かうのす道、その下にそれぞれ七里 六里。さらにその下に古ケ場村と刻まれていた。右側面には造立年月日。その脇に東 かすかへ道 一り半と刻まれている。

 

宝生院 岩槻区上野6-5-3


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宝生院の入口左側のブロック塀の前に四基の石塔が並ぶ。左端の石塔は正面に「安産地蔵尊」と刻まれた珍しい万延2年造立の文字塔。右の三基が庚申塔になる。

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三基のうち左から 三猿庚申塔 天和3(1683)唐破風笠付角柱型。日月雲の下、中央を二重に彫り窪めた中、梵字「ア」を刻み、その下に「奉待庚申供養所願成就攸」両脇に造立年月日。下部両脇には滅罪、生善。

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さらにその下、窓辺に腰掛けるように素朴な三猿を浮き彫り。三猿の下の部分、武州植野村とあり十名ほどの名前が刻まれている。

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続いて 角柱型の文字塔 享和3(1803)塔の正面に大きく「庚申塔」台の正面には三猿が彫られていた。塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡上野村と刻まれている。

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三猿が彫られた台の両側面、彫りは薄く読みにくいが、いずれも十数人の名前が刻まれていた。

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右端 唐破風笠付角柱型の像塔 貞享2(1685)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。



塔の正面中央を彫り窪めた中に三眼六臂、口をへの字に結んだ青面金剛。後ろの腕が直角に曲がり、上の手に星型の武器?と法輪を持つが、下の手によく見られる弓・矢は見当たらない。右枠部「奉造立供養施主武州植野村」左枠部に造立年月日。



足下の邪鬼はかなりラフな造形で、木偶人形のような姿。その下の比較的大きな三猿は彫りが細かく力強い。二鶏は見当たらないが、江戸時代初期らしい素朴な味わいがいい。塔の両側面には蓮の花が彫られ、その下の部分にそれぞれ四名の名前が刻まれていた。