旧大泉寺墓地 西区島根
門をはいった右側に二基の庚申塔が並んで立っている。
宝暦3(1753)笠付角柱型
中央を掘り窪めた中に青面金剛立像 合掌型六臂。
下部に邪鬼、二鶏、三猿。三猿は見猿だけが右向き。
右側面
年号の下に四名の名前。左側面 足立郡植田谷領山島根邑 願主 三名の名前。
享保3(1718)板駒型 青面金剛立像
合掌型六臂。光背右 奉造立青面金剛庚申供養。
光背左
年号に続き 諸衆敬白 島根村と刻む。
下部に邪鬼、二鶏、三猿が揃うが、彫りは比較的粗い。
三条町自治会館前 西区三条町
防災倉庫の前の小堂の中に庚申塔。
宝暦7(1757)笠付角柱型
青面金剛立像 合掌型六臂。塔身部が短い。
下部に邪鬼と三猿。表情までははっきりしない。
右側面
奉造立庚申像一躯 左側面 信心道俗男女 三条町村 願主三人の個人名。
大宮南高校北路傍 植田谷本
墓地の前の小堂の中に庚申塔。
元禄16(1703)笠付角柱型
青面金剛立像剣ショケラ持ち六臂。
下部に邪鬼と三猿。かなり風化が進んでいる。
右側面
奉供養庚申像二世安楽。足立郡講衆中。続いて8名の名前を刻む。
左側面
植田谷領本村 下部に7名の名前。合わせて講中15名。
この庚申塔をみつけるのは大変だった。保育園のすぐ脇だが、道路沿いではなくて
駐車場に入り込まないと見えない、そんなやっかいなロケーションだったのだ。
柵とフェンスに二重に囲まれ石塔まで近づくことはできない。唐破風笠付の角柱塔。
中央に「奉納庚申供養塔」
左側面 武州足立郡植田谷本村とあり、その下に6人の名前が刻まれている。
右側面は保育園のほうからしか確認できない。年号はそちらだろうか。
下部に三猿が彫られている。ズームでやっとこの程度まで確かめることができた。
袋の観音寺 西区中野林
門を入ると塀の裏に二基の石仏が並ぶ。
正徳6(1716)笠付角柱型
青面金剛立像 合掌型六臂。日月雲、二鶏、邪鬼、三猿。
右側面
足立郡植田谷中野林村。左側面 年号に続き施主三拾人。
大宮光陵高校西路傍 西区中野林
大宮光陵高校の西、畑の角のところ、雨除けの下に庚申塔。
安永7(1778)板駒型 青面金剛立像
合掌型六臂。小さいながらしっかりした彫り。
右側面
足立郡植田谷領三条町村 左側面 母二名の名前。
旧薬師堂墓地 西区中野林
墓地の入口の正面に三基の石塔が並ぶ。
宝暦3(1753)正面
日月雲、梵字に続き「青面金剛供養塔」脇に天下泰平國土安穏。
下部に三猿。
右側面
年号と願主個人名。カビのため判読しにくい。左側面 足立郡植田谷領
中野林村
講中十五人。