寶性寺 南区南本町2-13-4[地図] 南浦和駅のすぐ西にある寶性寺。入口右脇に明治38年造立の寺導が立っている。 境内に入ってすぐ、右側の小堂の中に丸彫りの六地蔵菩薩立像 昭和2(1927)下の細長い台の正面に造立年月日。続いて多くの人の名前が刻まれていた。 尊顔は個性的、なんだか人間くさい顔立ちで親近感を覚える。 その右脇にある坐像。銘はなく造立年などは不明だが「おしゃびきさま」咳止めに効果があると、遠くからも多くの人たちがお参りしたという。おなかの前で三角のおにぎり?を大事そうに持っていた。 本堂の前を右に曲がり墓地に入る。すぐ先を左に折れてゆくと、左手に歴代住職の墓石が並んでいた。 卵塔のすぐ後ろに馬頭観音坐像 文久2(1862)三面六臂忿怒相。 頭上に大きな馬頭がはっきり。よく見ると馬頭観音独特の馬口印ではなく、智拳印を結んでいる。智拳印の馬頭観音はこれまで見た覚えがなく大変珍しい。両脇に墓石が迫っていて写真は撮れないが、塔の右側面に造立年月日が刻まれていた。 お寺の南の塀沿いの道を東に進むと、線路沿いの道路との交差点の角に二つの小堂。右は地蔵菩薩塔が一基。左の小堂の中には四基の庚申塔が並んでいた。 丸彫りの地蔵菩薩立像 寛文8(1668)錫杖・宝珠とも損傷はなく首に補修跡も見当たらない。銘は背面に集中していて、小堂の後ろの板の隙間からのぞいて確認したが写真はうまく撮れなかった。背面中央「奉刻彫地蔵菩薩爲法印恵□阿□菩提也」下部両脇に造立年月日が刻まれている。 隣の小堂には文字塔三基、像塔一基、合わせて四基の庚申塔が並ぶ。 右から 庚申塔 文政元年(1818)角柱型の石塔の正面に大きく「庚申塔」その下にはとかやみちと刻まれていた。 塔の左側面に造立年月日。続いてうらわ道と刻まれている。右側面に武州足立郡浦和領太田窪村 講中。こちらには八丁道と刻まれていた。 その隣 庚申塔 文政8(1825)角柱型の石塔の正面、上部に日月雲を線刻。中央に「庚申塔」塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれている。 続いて 庚申塔 享保20(1735)笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 青面金剛の顔は削れていてはっきりしない。持物は矛・法輪・弓・矢とノーマル。邪鬼は足を折り曲げてうつぶせ、腰と肩のあたりを踏まれているが、こちらも風化のためだろうか、顔の様子がいまひとつはっきりしなかった。邪鬼の下に大きな二鶏を浮き彫り。 下の台の正面に三猿。手足が細く顔も小さく、こちらは二鶏と較べてもその存在感は薄い。 塔の右側面に造立年月日。左側面に武蔵國足立郡浦和領大谷場村 男女村中と刻まれていた。 左端 庚申塔 文化9(1812)角柱型の石塔の正面「庚申塔」右上に白く「寺」?「壽」?これは何だろう?
塔の右側面 武州足立郡浦和領 大谷場村講中、その脇に右 八丁道。 左側面上部に造立年月日。下部に 前 わらび道、左 うらハ道。江戸時代後期らしく、こちらは道標になっていた。