南区松本

真乗寺 南区松本1-18-5[地図]


新大宮バイパスの田島団地前交差点から西に進む。300mほど先の信号交差点の南西の角のところに真乗寺があった。交差点を左折してすぐ右へ入ると、南向きに新しい山門が立つお寺の入口に出る。



入口から入ってすぐ右手、雨除けの下に石仏が並んでいる。8年前に来た時にはこれらの石仏は本堂左手前の小堂の中にあった。


中央 丸彫りの聖観音菩薩立像 明和5(1768)首に補修跡があり、顔もはっきりしない。


敷茄子の下の角柱型の石塔の正面、右に「奉誦普門品供養講中」左に「奉納西國秩父坂東 湯殿山富士山諸願成就処」間に願主二名の名前。「普門品供養塔」と「順礼供養塔」を兼ねるものということだろう。


塔の左側面に造立年月日。下部に十名の名前。右側面の下部にも十名の名前が刻まれていて、正面の願主二名と合わせると講中二十二人となりそうだ。


両脇に六地蔵菩薩立像。前回見たときはそれぞれ角柱型の石塔の上に立っていたのだが、今回は蓮台の下の石塔部分がなく銘は確認できなかった。丸彫りの六体の像は様子がよくそろっていて損傷も少なく、その尊顔もみな似通っている。


道路を挟んだ東の向いに真新しい墓地があった。以前は「埋め墓」だったところで雑然とした雰囲気だったが、整備されてその様子が一変している。入り口付近にあった庚申塔は今も同じ位置に立っていた。


庚申塔 明和元年(1764)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


日天月天の間に梵字「ウン」頭上に蛇を乗せ三眼吊り目の青面金剛。矛・法輪・弓・矢を持つ。剣は太く短く、ショケラの様子も個性的。


足の両脇に二鶏。足元の邪鬼は全身型で頭を右にしてうずくまる。その下に両脇が内を向く三猿、小さなぬいぐるみのようでかわいらしい。


塔の右側面「奉造立青面金剛供養塔」両脇に造立年月日。


8年前に取材したときはこの庚申塔は西向きに立っていて、左側面はタイル貼りの塀との隙間が狭く写真が撮れなかったが、今回は南向きに建て直されたおかげでこちらの側面もはっきり見ることができるようになった。武刕足立郡笹目領松本村「講中」左上に十方助力、その下に願主一名の名前が刻まれている。


新しく整備された墓地の一番奥、東のブロック塀の前に多くの無縁仏が集められていた。左には文字塔の墓石が、右のほうには像塔が並ぶ。


像塔の初めの三基の墓石。いずれも舟形光背に明暦4(1658)寛文4(1664)延宝7(1679)宝永2(1705)の紀年銘が見られる江戸時代初期のもの。白カビも少なく美しい状態を保っている。その前に6基の角柱型の石塔が並んでいた。


左の三基。左端の石塔の正面、中央に明和5年の紀年銘。こちらは吉日になっているので造立年月日。右脇に十方施主。左脇に願主一名の名前。右の二基にはそれぞれ童子戒名が刻まれている。


こちら右三基。やはり童子戒名が刻まれていた。中央の石塔にはさらに松本村講中の銘が見える。どうやら真乗寺境内にあった六地蔵塔の本来の台になっていた石塔らしい。造立年があちらの聖観音菩薩塔と同じ明和5年なので、一緒に造立されたものだろう。


像塔の並びの最後のあたり、角柱型の石塔が目を引く。


石橋供養塔 宝暦6(1756)角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、上部に地蔵菩薩坐像を浮き彫り。その下に「奉懸石橋於當村七ヶ所 成就供養」両脇に造立年月日。


塔の左側面 隣の塔の陰になっていて全部は見えないが、武州足立郡 松本村 願主 和南。


右側面中央に「十方施主二世安樂」右脇に世話人 當村、左脇に一名の名前が刻まれていた。

 

松本南バス停付近 南区松本4-17[地図]


さくら川の松本橋から荒川土手に向かってまっすぐ南へ進む。道路右側、松本南バス停の少し手前。植え込みの間に石塔が集められていた。


文字塔と像塔合わせて九基の馬頭観音塔が西向きに並ぶ。荒川近く、この近くには道満の渡し場、下流には早瀬、さらに戸田の渡し場などがあり、荒川土手沿いに旧道が通っていたらしい。荒川流域の護岸工事などによって、地域にあった馬頭観音塔が移され、この場所に集まられたのだろう。


右 馬頭観音塔 天保13(1842)角柱型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。


塔の左側面、手前に西 ひきまた はやせ道。奥に 北 うらわ道。その下に願主一名の名前が刻まれていた。


右側面に 東 わらび道。江戸時代後期らしく道標になっている。


2番目 馬頭観音塔  天明3(1783)駒型の石塔の正面 二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。像の右脇に造立年月日。左脇に内谷村若宮施主とあり一名の名前が刻まれていた。


一面慈悲相、静かな表情をしている。頭上の馬頭が大きく重そうだ。


3番目 馬頭観音塔 。自然石の正面「□□觀世音」上部が剥落、断定はできないが馬頭観音塔で間違いないだろう。


右側面の紀年銘もちょうど年紀の部分が欠けてしまって造立年はわからなかった。


4番目 馬頭観音塔 寛保3(1743)舟形光背に一面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。足元の部分の中央に施主とあり、いくつか名前が薄く刻まれている。


頭上の馬頭ははっきり。馬口印を結ぶ慈悲相の観音様。持物は棒?・法輪・弓矢。光背右下に内谷村。左脇に造立年月日が刻まれていた。


5番目 馬頭観音塔 明和2(1765)舟形光背に三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。持物は柄の短い矛・法輪・斧・数珠。


三面ともに忿怒相。小指を曲げて馬口印を結んでいる。

6番目 馬頭観音塔  弘化4(1847)駒型の石塔の正面中央「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。


7番目 馬頭観音塔 。舟形光背に一面六臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。光背はかなり傷んでいる。三眼忿怒相の観音様。持物は矛・法輪・弓・矢。


塔の左側面、上部は剥落、下部だけが残るが、十七日九月廿四日!どう考えたらよいのだろう?他に紀年銘は見当たらず造立年はわからない。


右側面に「□□畜生發菩提心」上の二文字が上手く読めなかった。「如是」で始まると普通だが、そんなふうには読めそうもない。銘の読み取りはいつも苦労する。


8番目 馬頭観音塔 文化7(1810)角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。施主は個人名。


左端 馬頭観音塔 明治24(1891)駒型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。こちらも施主は個人名が刻まれていた。