岩槻区小溝・徳力

諏訪神社入口 岩槻区小溝1367

DSC_0355.jpg
裏慈恩寺地区から東に向かい、大きな酒屋さんのある交差点の先、小溝に入ってすぐ左の角に諏訪神社がある。参道の入り口の左脇に庚申塔が立っていた。

DSC_0362.jpg
庚申塔 天保11(1840)塔の正面 日月雲の下に大きく「庚申塔」右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡小溝村と刻まれている。

DSC_0358.jpg
台は二段になっていて上の台の正面に岩槻でよく見かけるリラックス型の三猿が彫られていた。下の台の正面中央に「講中」とあり右から本村、蓮臺、左に新田、花上と刻まれていて、地名、字名と思われるがよくわからない。

DSC_0363.jpg
三猿の彫られた台の両側面は道標になっていた。右側面に此方かすかへ。左側面には此方こうのす六り、あげを四りと刻まれている。

 

小溝庚申塚 岩槻区小溝1136

0DSC_0820.jpg
諏訪神社の前から道は二つに分かれる。斜め左の道を行くとやがて春日部市の内牧方面へ、斜め右の道を進むと徳力方面に向かうことになる。この右の道の途中、三差路の角のところに四基の石塔が並んでいた。

0DSC_0821.jpg
周りを木々に囲まれ、晴天にもかかわらず薄暗い。光線の関係で側面の様子などうまく撮れず苦労した。

1DSC_0042.jpg
右から百観音供養塔 寛政4(1792)塔の正面中央「奉納西國坂東秩父百番為二世安樂」上部両脇に造立年月日。右下に小溝村とあり、左下に俗名が刻まれている。

1DSC_0043.jpg
塔の左側面「奉唱誦光明真言萬遍」右側面に「奉読誦大乗妙典三百部」と刻まれていた。

2DSC_0045.jpg
その隣 庚申塔 明和元年(1764)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。岩槻らしくないというのも変だが、オーソドックスな構成。青面金剛の顔はつぶれているが恐い雰囲気は残されている。


足の両脇に二鶏。足下に大きめな邪鬼を踏む。全体の構成はオーソドックスだが三猿はユニーク。右の見猿が外を向いているのはちょっと珍しい。

2DSC_0049.jpg
塔の右側面「奉建立青面金剛」その下に造立年月日。塔の左側面には武州埼玉郡小溝村講中男女二十五人、その脇に施主□村中と刻まれていた。

DSC_0050.jpg
続いて庚申塔 貞享5(1688)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。梵字「ウン」の下に青面金剛を浮き彫り。こちらもやはり顔がはっきりしない。光背の中ほど両脇にわたって造立年月日が刻まれていた。

DSC_0053.jpg

 

光背右下に小溝村念佛講四十二人 願主、左下に庚申講六人。足下の邪鬼は背中を反らせた形で青面金剛に踏まれている。三猿はちょこんと座った形が可愛い。その三猿の両脇に小さな二鶏が彫られているが、この構成もあまり見かけない。

DSC_0055.jpg
左端に猿田彦大神塔 明治11(1878)片岩の正面に「猿田彦大神」下の台の正面に女人講中と刻まれている。背面に造立年月日が刻まれているが写真は撮れなかった。

小溝信号交差点南路傍 岩槻区小溝730付近

DSC_0535.jpg
庚申塚から南に進むと信号機のある交差点に出る。直進して少し歩くと左手の路傍に二基の庚申塔が並んでいた。

DSC_0537.jpg
左 庚申塔 貞享5(1688)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。雨除けもない割にはカビなどもそれほどひどくなく、細部の彫りも比較的しっかり残っている。

DSC_0542.jpg
ずんぐりむっくりした青面金剛は愛嬌がある。やはり顔が潰れているが人為的なものだろうか?後ろ左手にショケラを持つ。光背上部両脇に造立年月日。中ほど右脇に武州埼玉郡太田庄、左脇に岩付領小溝村願主と刻まれていた。

DSC_0543.jpg
足下の邪鬼は土下座しているようだ。その下に三猿。三猿の下の部分に十名ほどの名前が刻まれている。

DSC_0548.jpg
右 庚申塔 文政12(1829)塔の正面に日月雲「庚申塔」

DSC_0547.jpg
 塔の右側面に造立年月日。左側面には小溝村 前嶋講中と刻まれていた。    

 

勢至堂墓地 岩槻区小溝507東

DSC_0811.jpg
小溝庚申塚の南にある信号交差点を右に曲がって西に向かい少し歩くと左手にこじんまりとした墓地があった。この道をまっすぐ西に進むと慈恩寺観音の北の交差点に出る。

DSC_0812.jpg
正面にある個人の墓地の中央付近  大乗妙典供養塔 享保9(1724)唐破風笠付角柱型の本格的な供養塔。正面中央「奉供養大乗妙典壹千部」左下に觀翁宗音上座と刻まれていた。

DSC_0815.jpg
塔の右側面には四行に渡って願文が刻まれている。塔の左側面に造立年月日。続いて武州埼玉郡小溝村。さらに觀 享保十三と刻まれているがこの紀年銘の意味はよくわからない。

DSC_0817.jpg
同じお墓の一角、東側の石塔の列の中に大乗妙典供養塔 享保8(1723)が立っていた。塔の正面中央 梵字「バク」の下「奉納大乗妙典六十六部供養」右脇に宗無法師。左脇に造立年月日が刻まれている。

DSC_0818.jpg
お堂の裏にも多くの石塔が並んでいた。その多くは個人の墓石だがいずれも風化が激しい。

DSC_0819.jpg
上の写真の左から3番目 大乗妙典供養塔 明和元年(1764)白カビが多く文字は読みにくい。塔の正面に「奉納大乗妙典」上部両脇に造立年月日。下部にも文字が見えるが願主名だろうか。

勢至堂西路傍 岩槻区小溝507

DSC_0148.jpg
勢至堂の西、少し歩くとすぐ左に入る路地があり、畑の前に石地蔵が立っていた。

DSC_0146.jpg
地蔵菩薩立像 正徳4(1714)錫杖、宝珠ともに欠けている。下部に断裂した跡も見えるが、帽子、肩掛けをまとい、きれいな花も供えられていた。銘は下の台のほうに刻まれている

 

長命寺墓地 岩槻区小溝497

0DSC_0509.jpg
さらに西に向かって5分ほど歩くと右手に長命寺がある。その墓地は道路をはさんだ向かい側、勢至堂のほうから来ると左手にあった。入口近くに小堂が立っている。

1DSC_0511.jpg
小堂の中、地蔵菩薩立像 延宝4(1676)丸彫りだが錫杖、宝珠ともに残っていて、カビなども比較的少ない。その立ち姿は堂々としていて格調高い。

1DSC_0515.jpg
地蔵像の背面中央に「奉造立地蔵菩薩一躰頓証大菩提也」その右に造立年月日。左脇に武州太田庄岩付領と刻まれていた。

3DSC_0049.jpg
右手に歴代住職の墓石が並んでいた。その中央付近に阿弥陀如来坐像を乗せた大型の石塔 慶応2(1866)が立っている。塔の正面中央に「法印乗珍塔」高僧の供養のために建てられたもののようだ。

3DSC_0533.jpg
阿弥陀如来坐像。頭の後ろには円形の頭光背。後ろの舟形の光背にはいっぱいの唐草紋様?が細かく彫られていた。大きな蓮台の上、静かな表情で坐るその姿は妙に人間臭く、亡くなったご住職を偲ばせるものなのかもしれない。


4DSC_0531.jpg
塔の裏面に大きく「第八世」とある。法印乗珍=長命寺第八世なのだろう。その下に造立年月日。さらにその右脇に小さな字で長命寺乗真、左脇にやはり小さな字で三室邑 東漸寺乗慶と刻まれている。三室村の東漸寺は現在は緑区馬場にあり、長命寺と同じ天台宗の古寺で、おそらく乗慶は長命寺の乗真とともに長命寺第八世乗珍の弟子筋だったのではないだろうか。

4DSC_0528.jpg
塔の両側面にはともに世話人とあり、慈恩寺郷、表慈恩寺村、裏慈恩寺村、相野原村、道口蛭田村、小溝村、増冨村、新方袋村の八村にわたり寄付金額とともに合計で22名の名前が刻まれていた。さらに下の台の各面にも多くの村と寄付者、寄付金額がびっしりと刻まれている。それだけ多くの人たちに慕われていたということなのだろう。

2DSC_0518.jpg
墓地の東の奥に阿弥陀如来立像 宝永3(1706)雨露をしのぐこともできず全身を白衣で覆われているかのようだ。

2DSC_0520.jpg
白カビが多い中、敷茄子の正面に「奉造立阿弥陀如来尊像一躰」続いて造立年月日。下の台の正面右に小溝村施主とあり四名の名前が刻まれていた。

 

徳力三社神社 岩槻区徳力60

DSC_0550.jpg
慈恩寺観音の南の道を東に進み、左手に常源寺を見てその少し先、徳力地区に入ると右手に徳力小学校、小学校を過ぎるとすぐ右手に三社神社がある。鳥居のすぐ近く、参道左側に大きな角柱型の石塔が二基並んでいた。

DSC_0551.jpg
左 庚申塔 寛政12(1800)塔の正面上部に日月雲。続けて大きな字で「青面金剛」下の台の正面にはしっかりと三猿が彫られている。

DSC_0552.jpg
塔の右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡徳力村と刻まれていた。

DSC_0555.jpg
右 庚申塔 元禄5(1692)こちらは風化が激しく文字の読み取りはかなり厳しい。塔の正面を彫り窪めた中、上部に日月雲。その下に「為奉造立庚申講二世安樂所願祈所?」敬白。最下部にこぶのように見えるのは三猿かと思われるが摩耗が激しくはっきりしない。

DSC_0554.jpg
左側面に 武州埼玉郡岩付領徳力村。

DSC_0564.jpg
右側面に造立年月日。下のほうに施主とあり、十名の名前が刻まれていた。

DSC_0566.jpg
神社の拝殿のほうに進むと、記念碑などの石塔が整然と並んでいる。角の二基は普門品供養塔だった。

DSC_0568.jpg
道路側の列の一番右 普門品供養塔 安政2(1855)角柱型の塔の正面にくずし字で「普門品供養塔」塔の左側面に徳力村講中。

DSC_0570.jpg
右側面にはやはりくずし字で造立年月日が刻まれていた。

DSC_0572.jpg
参道側の列の左端 普門品供養塔 文政10(1828)塔の正面に美しい字で「普門品供養塔」右側面に造立年月日。左側面に徳力村講中。

DSC_0574.jpg
台の正面には細かい文字でびっしりと講員の名前が刻まれていた。その数は二十数名、村の大半が参加したのかもしれない。

三社神社東墓地 岩槻区徳力706の南

DSC_0843.jpg
三社神社から東に向かうと信号機のある交差点がある。その100mほど先、右手の自治会集会所の裏に小さな墓地があり、その片隅に小堂が立っていた。

DSC_0844.jpg
小堂の中 地蔵菩薩立像 寛文6(1665)丸彫りの延命地蔵だが、錫杖、宝珠ともきれいに残っている。全体のバランスもよく端正なお姿からは寛文期の石仏独特の気品が感じられる。

DSC_0845.jpg
銘は像の背面に刻まれていたが、小堂の隙間の位置が高く全体を写すのに苦労した。中央に戒名。その右に武州太田之庄徳力村。左脇には造立年月日が刻まれている。