岩槻区日の出町・南辻・宮町

龍門寺 岩槻区日の出町9


岩槻駅の東、県道2号線の渋江交差点から御成街道を北へ向かい、東武線の線路の下をくぐってさらにその先500m、左側に龍門寺の入り口がある。細長い参道をまっすぐ歩いてゆくと正面に古めかしい山門があった。江戸時代建立のものでさいたま市指定文化財になっているという。山門の左脇に石塔が立っていた。


戒壇石 文政5(1822)緑っぽい色の自然石の正面に「不許葷酒入山門」禅宗のお寺の山門前でよく見かける。


台の正面「先祖代々 為菩提」続いて造立年月日。右側面に市宿町とあり個人名が刻まれている。台の裏面に林道町 石工田中武兵衛の銘があった。見沼区の片柳で見た二基の素晴らしい庚申塔の台に刻まれていた石工である。(2014年10月6日の記事)


山門はいつも閉まっているが、山門の右の通用門から境内に入ることができた。静まりかえった境内は手入れが行き届いている。ここから右に向かうと本堂、ここから左のほうは大きな墓地になる。この墓地の入口左、石塀の前に庚申塔が立っていた。唐破風笠付角柱型で台まで含めると2mほどの高さになる。


庚申塔 元禄12(1699)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。蛇を頭にいただき、合掌した青面金剛は後ろの上左手にショケラを吊るす「岩槻型」


邪鬼、三猿とも正面向きで、これもよく見る形。三猿の両脇は二鶏だろうか?邪鬼の顔付きが青面金剛とそっくりなのが面白い。


塔の右側面に造立年月日。左側面には「奉供養庚申現當二世祈所」続いて施主敬白と刻まれていた。


墓地に入ってすぐ右側、二基の石塔が並んでいる。


右 六字名号塔 文化8(1811)塔の正面いっぱいに「南無阿彌陀佛」


塔の両側面にそれぞれ16文字の願文。造立年月日は裏面に刻まれていた。


左 地蔵菩薩立像 明治2(1869)大きな舟形の光背。右手に頭の部分が大きな錫杖を持ち、左手には宝珠ではなく鉢を持っている。衣服の彫りなどは躍動的だ。


銘は台の正面と両側面には無く、裏面のみというのも珍しい。造立年月日に続いて祠堂 金五両と刻まれていた。


墓地の奥に二重に囲われた一角があった。扉には鍵がかかっている。中に大きな五輪塔 宝暦10(1760)近づいて銘を確認することはできないが、江戸幕府9代将軍徳川家重の側近 岩槻城主大岡忠光の墓石だという。


本堂の左手にも墓地があり、その入り口に三基の石塔が並んでいた。



左 地蔵菩薩立像。バランスの良い美しい延命地蔵。光背左に寛文八、右に明歴四年の銘が見えるが、いずれもその脇に名を刻まれた僧の命日と思われ、岩槻市史にも取り上げられてはいなかった。足下の蓮台の正面に施主敬白と刻まれている。


中央 三界万霊塔 明暦元年(1655)宝珠付きの笠を持つ円柱形の石塔。厚みのある台とともに重厚な風情がある。


正面を真四角彫り窪めた中に「為有縁無縁三界萬霊等菩提」上部両脇に造立年月日。右下に施主とあり、信州川嶋住 個人名。左下に法名とあり居士号が刻まれていた。


右 地蔵菩薩立像 寛延3(1750)像は白カビが目立つが大きな欠損は無い。


背面の中央に「奉造立地蔵大菩薩」両脇に造立年月日が刻まれている。


蓮台の下の丸い敷茄子の右側面、講中 渋江町とあり、たつ ふさ、講中 田中町とあり、かね その とめ、左側面には よね ゆり以下九名のひらがな二文字の名前が続き、最後に僧名だろうか頓入と刻まれていた。あわせて十四名の女人講中によって建立されたということだろう。    

 

御成街道南辻三差路 岩槻区南辻1


県道2号線渋江町交差点から御成街道を北へ向かうと、龍門寺の入口付近で道は大きく右へカーブする。道路右側に大学があるが、その先の三差路交差点の角に小堂が立っていた。御成街道はここから又大きく左へカーブして慈恩寺方面へ向かう。


小堂の中 地蔵菩薩立像。大きな丸彫りの立像。保存状態もよいのだが紀年銘が見当たらない。蓮台の下の六角柱の台がこの地蔵像の本来の台ではないのかもしれない。


背面に大きく「現當安樂頓證菩提之處」続いて心誉宗鉄庵主重建之と刻まれていた。


小堂の横、道路脇にいくつか石塔がある。小さな石片、寝ている石塔なども一緒に並んでいた。


右 観音菩薩供養塔 元禄8(1695)本来は笠付きだったのだろうが今は笠を欠いている。塔の上部に聖観音菩薩坐像を浮き彫り。カビなどのため細かい様子はわからないが、左手に蓮のつぼみを持ち、右手をそっと当てているようだ。


下部中央「奉造立觀世音菩薩 念佛供養悉地成就」両脇に造立年月日。さらに結衆敬白と刻まれていた。


塔の右側面中央に是より右かすかべミち。左下に岩築領辻村と刻む。


左側面 是より左ぢおんじ道。右下に施主 拾とありその下は六のように見える。施主拾六人か?下部は一部がコンクリートに埋まり読み取れない。


その隣の石塔は風化がかなり進んでいて詳細は不明だが、上部にやはり坐像が浮き彫りされていたような跡がある。その下の部分、右上に一?左上、右下にも文字らしいものが見える。多分、右隣の観音塔と似たような石塔だったではないかと思うのだがどうだろう。

久伊豆神社 岩槻区宮町2-6


岩槻の総鎮守、宮町の久伊豆神社。長い参道を歩いてゆくと三の鳥居の右手前、石灯籠の脇に猿田彦大神塔が立っていた。


猿田彦大神塔 文化2(1805)塔の正面 日月雲の下に「猿田彦太神」一部彩色されている。台の正面には渋江超講中と刻まれていた。


塔の左側面は無銘。右側面には造立年月日。台の両側面にはそれぞれ十名ほどの名前が刻まれている。