岩槻区柏崎・真福寺

円福寺 岩槻区柏崎827


柏崎小学校の西200mほどのところに円福寺の入り口がある。砂利道を登ってゆくと山門の左側に石塔が並んでいた。


南向きに四基。左端 石坂供養塔 文政6(1823)塔の正面の銘文は字が小さく何行にも渡っていて全体を読むのは大変。その銘文の一行目は「石阪造營之記念碑」となっている。


塔の左側面に造立年月日。右側面 施主として江府(江戸)麻布の永昌寺、並びに浮谷邑 常福寺とあり、脇に石阪石工と碑銘石工の名前が並ぶ。石阪石工のほうはあの林道町の田中武兵衛だった。


隣 庚申塔 安永5(1776)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。像の表面は丸くなっていて青面金剛の顔の様子などはわからない。


足の両脇にしっかりした二鶏。足下の邪鬼は大型でユニークな恰好。三猿は両脇が内を向く。


塔の右側面に造立年月日。左側面に施主 柏村中と刻まれていた。


続いて 庚申塔 元禄8(1695)駒形の石塔の正面を彫り窪めて、その上に日月雲、中に青面金剛立像を浮き彫り。合掌型六臂で後上左手にショケラを持つ「岩槻型」邪鬼は正面向きM字型、その下にやはり正面向きの三猿。


塔の右側面「奉供養庚申為二世安樂也」さらにその下に柏村と刻む。


左側面に造立年月日。その左下には同行三拾三人と刻まれていた。


右端 地蔵菩薩立像 寛文12(1672)大きな舟形の光背の上部に「奉請」その下に地蔵菩薩立像を浮き彫り。


地蔵像はバランスがよく美しい。光背右脇「念佛供養同行三十六人二世安樂」左脇に造立年月日が刻まれている。


東向きに二基の地蔵菩薩立像。左はその台の三面にそれぞれ戒名と享保年間の命日が刻まれていて個人の造立によるものらしい。


右 地蔵菩薩立像 享保19(1734)大きな敷茄子、蓮台の上に静かな表情の丸彫りの地蔵像。大きな欠損も見られない。


台の正面に「三界萬霊塔」両脇に願主 普門。右側面、左から埼玉郡 柏村 金二分 本村講中と刻まれている。


左側面中央に造立年月日。右下には 三朱 里戸講中と刻まれていた。


山門を入り本堂に向かうと左側の墓地の入口あたりに六地蔵が並んでいる。右から三番目だけがサイズが違うようだが、よく見ると蓮台を欠いてるだけで、像自体はサイズも顔の様子などもほぼ同じと言える。それぞれの台には戒名などが刻まれていた。


一番右の台の右側面 右脇に造立年月日。真ん中に二名の名前があり、左下には柏村と刻まれている。

資料によると、円福寺にはこのほかに二基の馬頭観音の像塔などがあるということだが、どうしてもみつからなかった。機会があったら再挑戦してみたい。

柏崎小学校西路傍 岩槻区柏崎711の西


円福寺の山門からまっすぐ南に歩き、舗装路を横切りまっすぐ続く細い未舗装路に入ってゆく。この道を進むとやがて柏崎小学校の南に出る。途中、左手は塚のようになっているが、そのふもと、道路脇に庚申塔が立っていた。


庚申塔 天保11(1840)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。武将のような髪型の青面金剛。衣装の裾が跳ね上がり、足下には二匹の邪鬼の頭。寛政期から天保期にかけて、この形の庚申塔を時々見かける。下の台の正面にはハッピ(ちゃんちゃんこ?)のようなものを身にまとった三猿。三者三様のポーズをとっている。


塔の右側面に造立年月日。左側面には柏村講中と刻まれていた。

城南小学校西 県道324号線路傍 岩槻区真福寺30


県道324号線、城南小学校の西の信号交差点のすぐ南、道路西側にあるゴルフ練習場の角の所に庚申塔が立っていた。


庚申塔 文政2(1819)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面に岩槻独特の妖艶なポーズをとる三猿が彫られている。


塔の右側面に造立年月日。その横に 北 いわつき道。台の右側面には講中とあり、十名の名前が刻まれていた。


塔の左側面 中央に真福寺村、両脇に 南 江戸ミち 西 めうけん道。台の左側面には九名の名前が刻まれている。

久伊豆神社 岩槻区真福寺414


ゴルフ練習場の角から西に向かう。400mほど先の右側に久伊豆神社の入り口があった。入口から二の鳥居まで、長い参道が続いている。


二の鳥居をくぐると、正面の拝殿の左脇に四基の石塔が整然と並んでいた。


右 庚申塔 貞享2(1685)江戸時代初期の板碑型三猿庚申塔。彫り窪めた中に梵字「ウン」日月雲に続き中央に「奉供養庚申講家門繁昌二世安樂所」上部両脇に造立年月日。下部両脇に同行 拾人。下部に素朴な三猿を彫る。


その隣 庚申塔 享保14(1729)ここにも「川口型」庚申塔があった。こうなると「川口型」という表現は適切ではないのかもしれない。


塔の正面中央を彫り窪め、その上に日月雲。中に青面金剛立像 合掌型六臂。独特な髪型と腕の処理。つり目三眼で牙の生えた青面金剛。どくろの首輪をし合掌して立つ。彫りは細部まで美しい。


下部もこの型の定番。むすっと寝そべった邪鬼と三猿の間に二鶏が収まる。三猿は左右が内向きだが左は足を投げ出し、右が正座と、ちょっとアレンジされていてこれも面白い。


塔の右側面「奉造立供養庚申青面金剛尊像一躯」さらに現當悉地 成辨祈処。


塔の左側面に造立年月日。その下には真福寺村庚申待講中、結衆女中貳拾人祇白と刻まれていた。


その左 庚申塔 嘉永5(1852)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台は二段になっている。


上の台の正面に三猿。それぞれラフな格好で座る。左の言わ猿は片手で中央の聞か猿を指さす。この形は岩槻ではいくつか見かけた。石仏巡りを始めた頃、この形の三猿を大宮区か、北区で初めて見た覚えがある。岩槻石工の仕事だったのだろう。見沼区片柳で巡り合えた田中武兵衛作の芸術的な庚申塔など、いろいろな地域に岩槻の石工の優れた仕事を見ることができる。


塔の右側面に造立年月日。左側面に武州埼玉郡真福寺村。台の両側面に合わせて三十名ほどの名前が刻まれていた。


左端 猿田彦大神塔 明治20(1887)三段の台の上、大きな片岩の表の面に「猿田彦大神」すぐ下の台の正面には當村講中と刻まれている。

正蔵院 岩槻区真福寺451


久伊豆神社の入口からさらに西に歩くとすぐ正蔵院の入り口に着く。山門前は広い駐車場と広場になっていて広場のほうに石塔が立っていた。


六地蔵菩薩立像 正徳6(1716)三基の石塔にそれぞれ二体の地蔵菩薩立像を浮き彫り、合わせて六地蔵になる。両脇の二基の光背には同じ内容の銘、造立年月日ならびに真福寺村 施主四拾三人と刻まれている。真ん中の塔の光背は右脇に「奉供養六地蔵念佛講中」左脇に真福寺村施主四拾三人、さらにその下に本願とあり個人名が刻まれていた。


山門の左側は広い駐車場になっていて、その一角にたくさんの無縁仏が集められている。その中に地蔵庚申塔なども含まれているようだが、隙間なく並べられているために銘も確認できず、写真もうまく取れない状態で残念ながら記事にはできなかった。