八雲神社 浦和区元町1-21-3[地図]
旧中山道、浦和橋で京浜東北線を渡りすぐ先の信号交差点を右折し「グランド通り」を東に向かう。初めの信号交差点から400mほど先、道路右側にある狭い路地に入って南に進むと左手に八雲神社があった。入口がひどくわかりにくいので地図を参考に訪問してほしい。
お社の左脇に五基の石塔。いろいろなタイプの石塔が並び、バラエティに富んでいる。
不動明王塔
天保3(1832)「成田山」と刻まれた角柱型の石塔の上に不動明王坐像。江戸時代初期に見られる独尊の不動明王立像に対して、中期以降一般的になった三尊形式の不動明王像である。
火焔の光背を背に剣と羂索を持ち座る忿怒相の不動明王。左右に制吒迦童子と矜羯羅童子を従えていた。
塔の正面に「成田山」右側面に造立年月日。
左側面に武州足立郡 本太村 講中。世話人
一名の名前が刻まれている。
その隣 庚申塔
延享3(1746)四角い台の上。宝珠をのせた重厚な唐破風笠付き角柱型の庚申塔。
塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウン」の下に「奉造立庚申供養塔}両脇に天下和順・日月清明。上部に日天と月天。下部に正面向きに座る三猿が彫られていた。
塔の右側面に造立年月日。左側面には武刕足立郡浦和領 本太村 講中
十三人と刻まれている。
続いて馬頭観音塔
寛政10(1797)舟形光背に忿怒相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背右脇に「馬頭觀世音」左脇に造立年月日。風化が著しく像の一部は破損、その傷のためにかえって凄みが増している。怒髪の中に馬頭がくっきり。彫りは細かく技巧的、この馬頭観音塔、小さいながらも石工さんの会心の作品だったのではないだろうか。
その隣 馬頭観音塔
弘化2(1845)駒型の石塔の正面に輪光背を負った慈悲相八臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。如意輪観音像のように右足を立てた半跏坐像である。白カビが多く像の様子はわかりにくい。
頭上の馬頭はしっかり確認できた。合掌手以外の手は、上の手は右手に短剣?左手に法輪、次の手は右手に斧、左手に棒?下の手は右手は右足の裏に、左手は左足の腿の上に置かれている。
塔の左側面
武刕足立郡本太村北組。続いて願主一名、世話人二名の名前。
右側面に造立年月日。左下に馬持中と刻まれていた。
左端 庚申塔 宝永2(1705)舟形光背に日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。白カビが厚い。
合掌する三眼の青面金剛の頭上にいつものように蛇がとぐろを巻き、普通はその上から首が垂れていたりするが、この場合は青面金剛のおでこの上あたりに見える丸いのが蛇の頭か?持物もちょっと変わっていて上の右手に蛇をつかみ、左手に矛を持つ。下の手は弓矢でこれはノーマル。光背右脇に「庚申待之供養人数拾人」左脇に造立年月日。右下に本太村、左下に施主。
足元に邪鬼。頭が右というのは一般的には少数派だが、なぜかこの地域では結構多い。その下に両脇が内を向く三猿。
この青面金剛像は、観音像によく見られるように下半身がふくよかで丸みを帯びている。なぜだろう?横から眺めてみるとわかるのだが、こちらの庚申塔は光背の青面金剛から最下部の三猿まで一石から彫りだされている。青面金剛の足場が広くできていて、邪鬼はその突き出した前の面に彫られているため、邪鬼を踏む青面金剛の足も一番前の位置に置かれ、下半身が自然と厚くなったのではないだろうか?
廓信寺 浦和区北浦和3-15[地図]
JR北浦和駅東口から300mほど北にある浄土宗の古刹 廓信寺。南の入口の先の路地の交差点の角に小堂が立っていた。中には二基の石塔が並んでいる。
右 馬頭観音塔
明和2(1765)舟形光背に三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背上部に梵字「カン」頭上に馬頭。持物は剣・法輪・斧・棒。
塔の右側面に造立年月日。この角度から見ると横の面は完全な忿怒相。馬頭もはっきりしている。
左側面に□□村講中。こちらの面は一部破損、目鼻がはっきりしないが三面ともに忿怒相の本格的な馬頭観音像だったのだろう。
左 馬頭観音塔
元文3(1738)舟形光背に忿怒相八臂の馬頭観音立像を浮き彫り。前の手は馬口印を結び、後の手は上から剣・法輪・斧・棒・与願印・数珠。光背左下に造立年月日。足元の部分に上戸田 講中と刻まれていた。
横から見ると額から上が削れていて馬頭ははっきりしない。あごを引き締め前方をにらむ忿怒相、鬼のような面構えは凄みがある。