前地通り交差点 浦和区前地3-1-14[地図]
浦和駅の南から東へ向かう「日の出通り」の南にある前地通り。そんなに広い道ではないが、商店が並び行き交う人も多い昔ながらの通りである。日の出通りの交差点から南へ進み。坂道を上り切った先の交差点の角に小堂が立っていた。
小堂の中 庚申塔 元文3(1738)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像
合掌型六臂。
青面金剛の顔はつぶれている。持物は三叉戟・法輪・弓・鏑矢。
足元の邪鬼も顔がつぶれていた。両脇に二鶏。その下に正面向きの三猿。このあたり風化のためか彫りがあまくなっていて、全体にぼやけた感じになっている。
塔の左側面 武州足立郡 本太村。
右側面に造立年月日。その横に講中十六人と刻まれていた。
小堂の前に線香立て。正面に三猿が立体的に彫られている。銘はなく造立年はわからないが新しいものだろう。
前地南道祖神 浦和区前地2-11-12[地図]
さらに南に200mほど進むと。交差点の北東の角の駐車場の脇に祠が立っていた。
狭い祠の中はお供え物やお飾りなどでにぎやかだ。
正面に道祖神
文久3(1863)駒型の石塔の正面に「道祖神」右脇に造立年月日。左脇に金子氏と刻まれている。
柊稲荷神社 浦和区前地2-8-13[地図]
道祖神から東に進み次の交差点を左折、しばらく北へ進むと柊稲荷神社があった。入口は施錠されていて入れない。鳥居の左に石灯篭と石塔が並んでいるのが見える。外からでもなんとか写真は撮ることができた。
勢至菩薩坐像
貞享3(1685)下の円柱形の台は石質が明らかに違っていて本来の物ではないようだ。
分厚い蓮台に合掌して座る穏やかな面立ちの勢至菩薩。勢至菩薩というと、観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍としてよく見かけるが、このような独尊像は珍しい。保存状態は素晴らしく、丸彫り像にもかかわらず全く欠けるところはなく、また白カビも見当たらない。300年以上の時の経過が信じられない美しさだ。
蓮台の花びらに銘が刻まれていた。上のほうに「圓寂」とあり、調べてみると=僧侶の死とある。その下の紀年銘の月日が六月初五日となっていてこれは命日か。一番手前の花びらの銘は久林慶昌大姉覚霊とありこの大姉(尼僧?)の墓石、供養塔だろう。
大善院 浦和区東仲町3-9-7[地図]
JR浦和駅東口にある大善院の敷地の隅に二基の石塔が並んでいた。
右 庚申塔
享保4(1719)角柱型の石塔の上に磐座が乗り、その上に片岩の石塔。
塔の上部が大きく欠けているが、大きな字で「(庚)申塔」損傷がいちじるしく、表面もところどころはがれている。
磐座にぺしゃんこに横たわる扁平な邪鬼。頭が向かって右は珍しい。その下に両脇が内を向く三猿。その両脇に二鶏を浮き彫り。
角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウン」の下に「奉造立庚申供養爲二世安樂」上部両脇に造立年月日。右下に武州足立郡浦和下町、左下に一結之講中也。銘は朱塗りされていた。
左 庚申塔
享保3(1718)角柱型の石塔の上に丸彫りの青面金剛立像。こちらも大きく破損している。
郷部は斜めに切断され、合掌手以外の腕は欠けているがおそらく六臂だろう。足元両脇に二鶏が浮き彫りされていた。
磐座に邪鬼。こちらも頭が右になっている。その下に三猿。全体に風化が進む。
角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、中に「奉建立庚申待
敬白」両脇に造立年月日。こちらの石塔の銘もすべて朱塗りされていた。
塔の左側面に「浦和下町」
右側面の下部に九名の名前が刻まれている。