緑区玄番新田・南部領辻

美園公民館入口路傍 緑区玄蕃新田570東[地図]


日光御成道、大門宿を過ぎて、国道463号線バイパスを越え200mほど進むと、道路左側の三差路の角に小堂が立っていた。道路を隔てた南向かいに美園公民館がある。


小堂の中 庚申塔 享保5(1720)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。風化が進み塔の縁がギザギザになっていた。


像もやや溶けだしていて、顔の様子ははっきりしない。持物がユニーク。上右手に法輪を持つのは珍しい。下右手には棒だろうか?左手上下に弓矢?このあたりの構図は他では見たことがない。足も細くなっていて力ない印象。その両脇に半浮彫りされた二鶏、頭上の日月雲、右手の法輪などを見ると、彫りは細かく本格的。



足元の磐座に邪鬼が横たわる。その下に両脇が内を向く構図の三猿が彫られていた。


塔の左側面に造立年月日。右側面に「奉供養庚申二世安樂所」と刻まれている。

美園中学校北東路傍 緑区南部領辻3696[地図]


日光御成道を岩槻方面に進む。600mほど先、美園中学校の入口近く、道路右側路傍に三基の石塔が並んでいた。


右 庚申塔 安永9(1780)荒彫り角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ウン」の下に「庚申供養塔」


ごく細い彫りで読みにくいが、上部両脇に造立年月日。右下に武刕足立郡南部領、左下に辻村立講中と刻まれている。


中央 庚申塔 元禄15(1702)四角い台の上 上部を唐破風笠風に細工を施した角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。台の正面に卍と法輪が彫られていた。


頭上にとぐろを巻いた蛇を乗せむっつりとした顔の青面金剛。上左手にショケラを持つ「岩槻型」足元に上半身型の邪鬼が両腕を張って正面をうかがう。


その下に正面向き向きに並んで座る三猿。両脇に二鶏を半浮彫り。下部に20名ほどの名前が刻まれていた。


塔の右側面に「奉造立青面金剛庚申供養二世安樂所」


その下にひらがなを含め十数人の名前が刻まれている。


左側面に造立年月日。左脇に武刕足立郡南部領辻村。その下に施主 敬白。こちらも下部に十名の名前が刻まれていて、三面合わせると40名ほどの大きな講になる。


左 馬頭観音塔 天明4(1784)小型の舟形光背に二臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。光背右脇に造立年月日。左上に辻村、その下に施主二名の名前が刻まれていた。


小型ながら、ふっくらと結んだ馬口印、頭上の馬頭も明快。

コンビニ駐車場隅 緑区南部領辻3175[地図]


美園中学校入口から岩槻方面へ150mほど進むと、道路右側にあるコンビニの駐車場の隅に四基の石塔が並んでいた。


大型の像塔の周りに小型の三基の駒型の文字塔、いずれも馬頭観音塔である。


右 馬頭観音塔 嘉永2(1848)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。


続いて馬頭観音塔 安永7(1778)大きな四角い台の上 舟形光背に慈悲相三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背上部両脇に「奉造立馬頭 觀世音菩薩」


台の正面右から造立年月日。続いて武州足立郡 南部領辻村 供養導師□□ 講中四十四人 其外村中助成と刻まれていた。


その脇に二基、右 天保8(1837) 左 文政13(1830)いずれも個人造立の馬の供養塔。

 

日光御成道裏道三差路 緑区南部領辻3191-1[地図]


日光御成道、美園公民館入口の信号交差点の200mほど先を右折する。この細い道は集落の間を抜けてゆく古くからある道で、日光御成道の東を通る裏道になる。道なりに600mほど進むと、三差路の電信柱の前に石塔が立っていた。昨年6月に取材した時に見たこの景色は10年前と変わらない。


ところが今年確認にいったところ、石塔は道を隔てた西のビニールハウスの前の路傍に移動されていた。電信柱の前はきれいに整備されていて、三差路は以前よりも曲がりやすくなったようだ。


庚申塔 万延元年(1860)二段の四角い台の上の角柱型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」


上の台の正面を彫りくぼめた中に三猿。正面向きに並んで座る。下の台の正面に「講中」


塔の左側面に造立年月日。続いて足立郡 辻村。右側面に「邨戸鎮静 耕種永盛」


正面に三猿の彫られた台の両側面にそれぞれ十数名の名前、合わせて30名ほどの講中か。


下の台の左側面に㣺とい十三丁、いわつき二り。南 大門十二丁。村境の三差路に立ち、村の安全・繁栄を図る「塞ぎの塔」であり、道標でもあったのだろう。

阿弥陀堂墓地 緑区南部領辻3363[地図]


上の三差路の右の道を進み、突き当りのT字路を右折、すぐ先の三差路の右の細い道を進むと、道路左側、コンクリートの壁に囲まれて旧阿弥陀堂の墓地があった。


入口の階段を上ると、五基の地蔵菩薩塔が並んでいる。


前列中央 庚申塔 延宝(1676)シャープな大きな舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。足元の部分に講中9名の名前が刻まれていた。


尊顔は豊かで穏やかな表情。光背右脇「奉造立庚申供養二世成就所」江戸時代初期に時々見られる地蔵庚申塔である。左脇に造立年月日。塔全体に白カビが多い。


前列右 地蔵菩薩塔 天明5(1785)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。こちらも白カビが目立つ。


大きな欠損はないが、顔はつぶれていた。光背右脇「南無地蔵大菩薩□□講中人数廿一人」左脇に造立年月日が刻まれている。


その向かいに庚申塔 元禄14(1701)駒型の石塔の正面駒型の石塔の正面 梵字「カ」の下に合掌する地蔵菩薩立像を浮き彫り。


像の右脇に「奉造立地蔵菩薩像庚申供養二世安樂所」こちらも地蔵庚申塔だった。左脇に造立年月日。続いて敬白。


足元の部分右端に辻村施主とあり、上下二段に30名の名前が刻まれている。


その右脇 六十六部供養塔 安永6(1777)角柱型の石塔の正面 梵字「ア」の下に「奉掛六十六部供養」塔の左側面に造立年月日。右側面に助成村中と刻まれていた。

さいたま市消防団美園第2分団裏 緑区南部領辻3213近く[地図]


馬頭観音塔のあったコンビニから岩槻方面に進むと、すぐ先の信号交差点の角にさいたま市消防団美園第2分団がある。交差点を右折してその脇の道に入りしばらく進むと左手の駐車場の隅に石塔が立っていた。


庚申塔 安永6(1777)二段の四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


輪光背を負った青面金剛は個性的な風貌。髪を五つに分けて結い上げ、真ん中に小さな蛇がとぐろを巻く。



足元の邪鬼は獅子舞の獅子のような顔、頭を右にして横たわる。その下に両脇が内を向く三猿。


塔の左側面に造立年月日。右側面に辻村原山講中と刻まれていた。

 

総持院 緑区南部領辻2944[地図]


日光御成道の西に御成道にほぼ沿うように見沼代用水東縁が流れている。南部領辻の用水の東、自然豊かな中に総持院がある。入口から坂を上った先に立派な鐘楼門が立っていた。


よく整備された境内に入ると、参道左側に石塔が並んでいる。手前三基が講中仏だった。


左 庚申塔 天保7(1836)二段の四角い台の上に四角く丸みを帯びた蓮台を重ね、その上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


像は風化のため損傷がひどく、顔もはっきりしないが、もともとの彫りは細かく技巧的。剣とショケラもかろうじて確認できた。


足元の邪鬼は仰向けで腹部を踏まれている。三猿は両脇が内を向く構図。この辺りは白カビが多い。


塔の右側面に造立年月日。左側面に武州足立郡 南部領辻村□□と刻まれていた。


上の台の正面中央に講中とあり、その下に十数名の名前。


右側面、左側面にも多くの名前が刻まれ、講中は世話人を含めて四十人近くなる。


その隣 庚申塔 安永6(1777)二段の四角い台の上、上部を唐破風笠風に細工した角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。


髪を五つに分けて結い上げた青面金剛。前回見た日光御成道の消防分団裏の庚申塔と同じ髪形。塔の形態、邪鬼の顔など部分的に見るとその趣は異なるが、造立年が同じであり、なにか関連はありそうだ。


邪鬼は全身型で頭が右。その下の三猿は両脇が内を向いて座る。


塔の右側面に「奉造立青面金剛」


左側面に造立年月日。左脇に武州足立郡南部領辻村講中と刻まれていた。


続いて 万人講供養塔 正徳4(1714)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、上部中央に「万人講供羪」右脇に武刕足立郡南部領、左脇に造立年月日。10年前にここで初めて「万人講」を見た。しばらくあまり見なかったが、その後川越の一部でかなり多く見ることができた。その内容については何を供養したものなのか、多くの人が参加した講という意味なのか?いまだによくわからない。


下部に天下泰平 國家豊𩜙 万民快樂 富所繁栄。その下中央に敬白。右に辻村施主とあり一名の名前、左に願主とあり二名の名前が刻まれていた。

総持院東十字路角 緑区南部領辻3028東[地図]


総持院の入口から東へ160mほど進むと、交差点の北西の角、生垣に隠れるように石塔が立っている。


庚申塔 安政5(1858)角柱型の石塔の正面「庚申塔」両脇に造立年月日。側面は銘は読み取れなかった。

五斗蒔橋東遊歩道路傍 緑区南部領辻2692西[地図]


見沼代用水東縁に架かる五斗蒔橋の東詰、用水沿いの路傍、石碑の隣に石塔が立っている。


馬頭観音塔 天保11(1840)角柱型の石塔の正面 上部を彫りくぼめた中に馬頭観音坐像。その下に「奉造立建立供養塔」


蓮台に三面八臂忿怒相の馬頭観音坐像。小さい空間ながらも彫りは細かく精巧。持物は棒・法輪・斧・数珠。馬口印を結び、腹前に手を合わせて、八臂となる。頭上の馬頭も明快。


塔の右側面に造立年月日。左側面に辻村講中。その下に願主 一名、世話人 四名の名前が刻まれていた。