忠兵衛橋東坂上路傍 緑区三室 [地図]
第二産業道路山崎交差点の東、見沼代用水西縁にかかる忠兵衛橋から坂道を
東にのぼってゆくと右手の空き地の角に馬頭観音が立っているのが見える。
馬頭観音立像
安永9(1780)三面忿怒相八臂 右側面に奉造立馬頭観世音 三室山崎
左側面には年号のあとに願主
田境大徳と刻まれていた。
太子堂 緑区三室
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上の馬頭観音からさらに東に歩くとやがて左手に太子堂の墓地が見えてくる。
門を入った右側、小堂にお地蔵様が祀られている。
地蔵菩薩立像
享保21(1736)台の正面に奉建立地蔵菩薩 右側面に木崎領三室村
山崎講中とある。頭部の様子が不自然なのは付け替えられたためだろう。
脇には上部に馬頭観音坐像が彫られた石塔
天保12(1841)が立っていた。
白衣観音 緑区三室
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山崎交差点から第二産業道路を南に300m程歩き細い道を東に入るとすぐ左手に
白衣観音がある。お堂に向かう道の右側にお地蔵様が立っていた。
地蔵菩薩立像
嘉永3(1850)台の右側面に三室山崎念佛講中と刻まれている。
六地蔵菩薩立像
嘉永3(1850)6体の台に大きく三室山崎念佛講中と彫られる。
隣の地蔵菩薩立像と同時に造立されたものだろう。ここのお地蔵様は顔が
独特の形をしていて、なぜか鉄仮面を連想させられた。
三葉公園東南路傍 緑区三室
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白衣観音から東に向かい細かい道を少し北にそれて歩くと畑の近くの路傍に
庚申塔
文政5(1822)が立っていた。自然石に大きく庚申塔と彫られている。
自然石の平らな面を使って字が刻まれている。三室村山崎組、その上に東、
他の面には文政二とあってその上に南、施主武笠某と刻まれた面もある。
西宿自然緑地北三差路 緑区三室
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上の庚申塔から南に向かい右斜め後ろから来る道と合流してさらに進むと
三差路の角にお地蔵様が立っていた。この写真の左の道は白衣観音に続き、
右の道を行くと大古里自然緑地に着く。
地蔵菩薩立像
享保12(1727)光背には奉造立地蔵菩薩為二世安楽也、足の下の
平らな部分の正面に三室山崎子供中と刻まれている。
西宿自然緑地西路傍 緑区三室
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西宿自然緑地の南に沿った道を西に進むと右手に三室ふれあいパークがある。
その先の路地を右折するとそこには5基の馬頭観音塔が並んでいた。
真ん中だけ像塔
馬頭観音立像 享保19(1734)慈悲相八臂 宝冠に阿弥陀如来の
坐像が彫られている。右側面
如是畜生發菩提心 三室村山崎 宿と刻まれていた。
あとの4基はいずれも文字塔。右から
文政6(1823)続いて延享4(1747)
左の2基。明和3(1766)最後は天保3(1832)
不動谷交差点南路傍 緑区三室
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第二産業道路不動谷交差点から南に歩くとすぐ、西側路傍に庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛保元年(1741)青面金剛立像 合掌型六臂 右の枠に奉待庚申供養塔とあり
左の枠には講中十五人と刻まれている。邪鬼、三猿はやや平面的な印象を受けた。
浦和博物館庭 緑区三室
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さいたま市立病院の西の入口の脇に浦和博物館がある。敷地の右側の庭の一角に
背の高い石塔が並んで立っていた。
足立百不動尊第一番標石
文久2(1862)中尾にあった玉林寺に関係するものらしい。
長日護摩供五千座供養塔
安永8(1779)高い台の上に不動明王坐像が載っている。
浦和三室局北 緑区三室
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市民病院から北宿通りを南に下ってくると左手に三室郵便局がある。そのすぐ
北に鉄のフェンスに囲まれて庚申塔が立っていた。
庚申塔
享保4(1719)青面金剛立像 合掌型六臂 狭い場所に立っているので
一枚の写真に収まりきらない。右側面に木崎領三室村
施主宿中と刻まれる。
左側面には奉庚申供養為現當二世安楽と刻まれていた。
足元に邪鬼と三猿が彫られている。邪鬼はじっと耐えつつ様子を伺っている。
八雲神社角 緑区三室
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さらに南へ100mほど歩くと左側に八雲神社がある。その角のところに鉄柵に
囲まれてお地蔵様が立っていた。左下に「南無北向地蔵尊」の立札がある。
地蔵菩薩立像
宝永8(1711)そのあたりで見かけそうな容貌で妙に人間くさい。
台の正面に念佛講中、奉供養地蔵尊
為二世安楽也、左側面には施主 三室宿村
善男七人、善女五十三人と刻まれていた。台の後正面に昭和六年奉再建宿区内
施主
八十八人とある。多くの人々の祈りを受け止めてきたお地蔵様なのだろう。
地蔵菩薩塔の脇に馬頭観音坐像
文化7(1810)慈悲相二臂 美しい花が供えられ
心やすまる雰囲気だ。左側面に三室村宿組中と刻まれていた。
赤山街道三差路 緑区三室
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八雲神社から赤山街道を東浦和方面に300mほど行くと左手に大型の庚申塔が
見えてくる。三差路の角、小高く塚のようになっていた。
庚申塔
寛保2(1742)青面金剛立像 六臂 右手に剣 左手にショケラ。塔身部には
青面金剛の脇に二童子、足元に小さめの邪鬼二匹、さらにその下には四夜叉が
彫られている。全体に細密で技巧的だ。塔身部の右側面には奉待庚申供養塔、
脇に東
赤山道、左側面は木崎領三室村宿講中、西 大宮道と刻まれていた。
下の台に二鶏三猿が彫られている。塔身部に比べるとやや素朴な感じがする。
文珠寺 緑区三室
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北宿通り、三室郵便局の南の交差点から東に向かい300mほどで文珠寺に着く。
境内はよく整備されていて気持ちが良い。山門を入ってすぐ左の植え込みの
あたりに石仏が並んでいた。
文殊菩薩坐像
宝永4(1707)足の下に獅子を敷いている。光背に願主即心とあった。
本堂の右手には水子地蔵尊。小さなお地蔵様がびっしりと並んでいた。その階段の
脇に地蔵菩薩立像が見える。
地蔵菩薩立像
宝永7(1710)蓮台に釈迦如来入涅槃、その下の台に念佛講とある。
水子地蔵の脇を通って東の墓地に出るが、一般の墓地より少し南の壁のところに
倒れかけた石塔が折重なっていた。上の写真で一番大きな石塔は馬頭観音立像と
思われる。左に道祖神塔、続いて文殊菩薩の文字塔。いずれも詳細はわからない。
右の奥の方、墓石に隠れるように立っているのは庚申塔の文字塔のようだ。
重なっている墓石が軽かったので、少しだけ動かして正面の部分を撮影した。
庚申塔
寛政7(1795)三室 宿と刻まれている。右側面には右 大みやみち と
これは肉眼ではっきり見えた。左側面は横の石塔との間が狭く、覗き込んで
見えた文字は、左
戸田道 中道 領家村、あとは残念ながら確認できなかった。
文珠寺西の坂道 緑区三室
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文珠寺の西の細い道を入り坂道を登って行くと小堂の中に石塔が見えた。
榛名山満行宮大権現と彫られた石塔
文政7(1824)側面に天下和順、日月清明
五穀成就、萬民安全と刻まれている。文字も力強く石塔自体の状態もいい。
小室社 緑区三室
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小室社は三室中学校の南の森の中にある。鳥居の前には南からしか入れない。
境内には辮財天の文字塔
明治43(1910)が立っていた。鬱蒼とした森の中。
あたりは昼なお暗い。