中尾神社入口 緑区中尾
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第二産業道路沿い、緑区役所から500mほど南に中尾神社がある。その入り口の
向かいの小高くなったあたりに庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛政12(1800)右側面に東西南北それぞれ二地名を刻んだ道標でもある。
さらにその下には東中尾、中尾耕地
講中と刻まれていた。
中尾神社南東墓地 緑区中尾
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中尾神社から南に歩いて行くとやがて道はゆるく左へカーブする。左手の駐車場の
上に墓地があった。
墓石が乱雑に立っている。その中にお地蔵様がぽつんと立っているのが見えた。
地蔵菩薩立像
延宝3(1675)光背に華見堂供養 中尾村 諸願主とあり、足元に
たくさんの人の名前が刻まれていた。
中丸桑原堂 緑区中尾
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中尾神社の東200mの位置。住宅街の中だが土地は起伏が激しく、中丸桑原堂は
道路から見上げるようなところにあった。
階段を上がって左に両側に個人の施主の名を刻んだ地蔵菩薩立像にはさまれて
石塔が祀られていた。
納経回國供養塔
宝暦13(1763)大乗妙典六拾六部日本回國供養塔と彫られている。
中丸自治会館墓地 緑区中尾
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中尾神社から北へ200mほどの位置、やはり道から見上げるような場所に
中丸自治会館があり、まとまった墓地になっている。
階段を上りきったところに庚申塔
享保5(1720)大きな台の上に丸彫りの
坐像が載っている。台の右側面に中丸施主二十人と刻まれていた。
青面金剛坐像
合掌型六臂 迫力のある坐像。邪鬼と三猿も彫られている。
庚申塔の脇に小さな石塔が立っていた。詳細は不明。願主個人名を刻む。
剥落が進む中所々に地名が見える。南戸田道。八丁と見えるのは大間木か?
奥の雨よけの屋根の下に三体の石仏が立っていた。
左 地蔵菩薩立像
文化3(1806)個人の供養塔らしいが個性的な風貌が楽しい。
中
阿弥陀如来立像 天明8(1788)変わった形の台に載っている。下の方の台の
正面に善光寺念佛三歳三月供養塔と彫られていた。
右 地蔵菩薩立像
享保8(1723)施主十七人。三体とも比較的きれいな状態だ。
中尾小学校南墓地 緑区中尾
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中尾神社の社殿の西のあたりで第二産業道路を渡るとコンビニの駐車場沿いに
斜めにはいってゆく細い道がある。この道を北西に進んでゆくとやがて道なりに
左に曲がってゆく。右手に中尾小学校が見えてくるあたりの左手に薄暗い空地。
よく見ると墓石がいくつも立ち並んでいた。
左手奥のブロックの前 地蔵菩薩立像
正徳5(1715)光背右に華見堂供養とあり、
さらに光背の両脇の下の方に右 うらわ道
左 江戸道のような文字が見える。
足下には中尾村
施主敬白 三十三人と刻まれていた。置かれている状況や
年代から考えると不思議なほどきれいな状態を保っている。
中尾小学校西路傍 緑区中尾
[地図]
中尾小学校の西のマンションの角のブロック塀の中に石塔が並んでいる。
馬頭観音立像
享保18(1733)慈悲相二臂 なんだか笑っていらっしゃるようだ。
足の下の前の面に不動ヶ谷戸と刻まれていた。
隣には馬頭観音塔
弘化4(1847)この日は新しいミカンが供えられていた。
大聖不動尊 緑区中尾
[地図]
第二産業道路の緑区役所北交差点の西すぐ信用金庫の脇を入ったところに
大聖不動尊がある。入口から六地蔵と大きなお地蔵様が見えている。
不動堂の左手には六地蔵、地蔵菩薩立像、その奥に三基の石塔が続く。
六地蔵の台には中尾村不動谷、寛政十年(1798)などと刻まれている。
地蔵菩薩立像
元禄年間 おだやかないい顔をしている。蓮台に奉造立念佛
供養為二世安楽と刻まれていた。
その隣
笠付の庚申塔 元文5(1740)青面金剛立像 合掌型六臂 デフォルメされた
デザインが面白い。右側面に庚申供養塔
講中十六人と刻まれている。左側面に
木崎領不動ヶ谷戸の文字も見えている。
続いて出羽三山供養塔
文化12(1815)正面に湯殿山 月山 羽黒山供養塔と彫る。
下の台の正面に講中、左側面に世話人長谷川氏と刻まれていた。
一番奥には庚申塔
元禄9(1696)奉建立庚申尊像 當處安全所と彫られていた。
その左脇には施主當村善男善女と刻まれている。
お堂の右前のあたりにも石塔が並んでいた。下が整地されていないためか
この一角は荒れ果てた印象を受ける。
一番右
二十三夜供養塔 文化2(1805)上部に彫られているのは勢至菩薩立像
大宮浦和戸田など四方向六地名が刻まれていた。
左に二十六夜供養塔
文化4(1807)こちらの本尊は愛染明王坐像 六臂である。
道標として四方向十一地名が刻まれている。
いくつか墓石が続き一番左に立っていたのは百ヶ所観音供養塔
文化9(1812)
芦谷駒前墓地 緑区中尾
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さいたま市立病院と北浦和をつなぐバス通りの西宿バス停から東浦和方面に
向かう道はここで二つに分かれる。左を行くと赤山街道、右は緑区役所に着く。
右の道に入って100mほど歩くと右手にあしや集会所がある。その向かいに
芦谷駒前墓地があり、入り口から入った右手に石仏が並んでいた。
右から庚申塔
宝暦2(1752)青面金剛立像 六臂 右手に鈴、左手にショケラを持つ。
笠には卍が彫られている。右側面
奉造立青面金剛庚申供養塔為二世安楽とある。
左側面には芦谷駒前
講中三十人と刻まれていた。
隣、地蔵菩薩立像
享保11(1726)下の台の正面に奉造立念佛供養所と刻む。
台の左側面には同行三十七人とあった。
六地蔵は像の様子や台の銘などは揃っている感じがするが、残念ながら何体かは
頭部があとから補修されているようだ。台の銘は右から奉建六地蔵尊、続く3台は
寳躰奇進
個人名が刻まれ、残る二つは一方は偈文が、最後のひとつには文化四年
芦谷駒前耕地中と刻まれている。
その奥
聖観音立像 天明2(1782)右側面に誦經講中と彫られていた。
吉祥寺 緑区中尾
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プラザイーストの北、国道463号線をはさんで筋向いのところに吉祥寺の参道の
入口がある。長い参道の奥に茅葺きの山門。静かに時が流れていく。
山門の前、左手に六地蔵と地蔵菩薩立像が祀られていた。
六地蔵
基礎の台にはそれぞれ寄進者の為書きがある。側面に享和元年(1801)と
刻まれていた。六体は容貌、衣装の表現、蓮台の様子などから同時期のものと
思われる。
隣に大きな地蔵菩薩立像
享保8(1723)台の正面に奉造立地蔵尊と彫られている。
左側面には當寺惣檀中と刻まれていた。
山門をくぐると緑が多く気持ち良い境内が拡がる。左手、鐘楼がある築山の前に
六字名号塔
文政4(1821)徳本上人の独特の書体で南無阿弥陀佛と彫られていた。
本堂の東を回り込むようにして墓地の奥の方に進むと歴代住職の墓地があった。
一際大きな仏像が目に入ってくる。
阿弥陀如来坐像
元禄元年(1688)立派な台の上で静かに下界を見下ろしている。
駒前公会堂 緑区中尾
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吉祥寺から浦和中尾局の前を通る道を西に進み、第二産業道路に出るすこし
前の三差路で右折し北へ向かう。国道463号線バイパスが見えてくるあたり
右手に公会堂がある。一角に庚申塔と六地蔵が立っていた。以前来た時とは
様子が違う。庚申塔の笠は新しいものに変わっていた。色・形とも不自然。
2013年5月に訪れた時の写真。いくつかの石塔が整理されたようだ。いずれ
再訪して移動先など調べてみたい。
庚申塔
享保2(1717)青面金剛立像 合掌型六臂 台に三猿が彫られている。写真では
邪鬼が二匹折り重なっているようにも見えるがこれも次回確認したい。
六地蔵
大きさは揃っているが光背の様子など微妙に違っていてはっきりしない。
一体の光背には宝暦十(1760)と刻まれていた。
駒形公会堂 緑区中尾
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吉祥寺の山門の前の道を東に向かうとその先に駒形公会堂がある。お堂の右手、
真新しい小堂の中に石塔が祀られていた。
右 地蔵菩薩立像
元禄10(1697)蓮台に施主村中とある。
その左隣には大僧都供養とされた地蔵菩薩立像が立つ。続いて善光寺念佛供養塔
文化9(1812)石塔も以前よりきれいになったように見える。
六地蔵
台に奉建立六地蔵尊 中尾村駒形中と刻まれていた。
駒形公会堂南路傍 緑区中尾
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駒形公会堂から南に歩くと左手の住宅の庭の隅に庚申塔が立っていた。
庚申塔
延享元年(1744)青面金剛立像 六臂 鈴を左手に、ショケラを右手に持つ。
ちょっと少ない組み合わせだ。右側面に中尾村講中男女四十六人と刻まれていた。
国道463号線バイパス南側路傍 緑区中尾
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大間木と中尾の境の細い道が国道463号線バイパスにぶつかる直前、左手の角に
馬頭観音が立っていた。
馬頭観音立像
延享元年(1744)慈悲相三面六臂 頭上の馬が犬のように見える。
光背に大間木村
施主 今井なにがしと刻まれていた。