国昌寺 緑区大崎 [地図]

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緑区宮本方面から芝川を渡るバス通りが左に曲がるあたりの東側に国昌寺がある。
山門は江戸時代中期の作で菊の御紋付、欄間の龍は左甚五郎作と伝えられる。

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山門の真裏にたくさんの石仏が並んでいた。右端に板碑も見えている。

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地蔵菩薩立像 享保4(1719)左右に六地蔵を従える。台に大崎村中と刻まれていた。

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脇に聖観音立像 文化3(1806)光背の左に羽黒山三社大権現と刻まれる。一番下の
台には正面に大きく講中と彫られ、その上の台には般若供養塔と刻まれていた。

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その奥に板碑がそびえ立つ。 鎌倉時代初期のものと伝えられているという。


太子堂 緑区大崎 [地図]

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国昌寺から見沼代用水東縁を南に歩く。新見沼大橋の下を抜け左に曲がって坂を
登ったあたりに太子堂の墓地があった。その先の鳥居の奥に二基の石塔が見える。

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庚申塔 宝暦7(1757)青面金剛立像 六臂 焔光背が珍しい。足元に邪鬼と三猿。
像の裏に中興とありその続きは薄くて読めない。大崎村と刻まれていた。

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不動明王 宝暦7(1757)台の正面右から太子講、中興成?、御時講と刻む。

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隣接する墓地に普門品供養塔 文政2(1819)台に當邑講中と刻まれていた。

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上部に馬頭観音坐像が彫られた石塔 天保8(1837)願主は個人名。

薬師堂 緑区大崎 [地図]

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大崎公園の西200mほど、見沼代用水東縁から少しはずれて坂を上がっていった
あたりに薬師堂の墓地がある。墓石が並ぶ中に、普門品供養塔 文政2(1819)が
あった。台の中央に講中と彫られ、側面に16名の名前が刻まれていた。