下山口新田稲荷神社 緑区下山口新田
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赤山道を川口市との境まで歩くと左側に稲荷神社がある。入り口に文字塔が
立っていた。庚申塔
文化2(1805)台に大きく講中とある。
奥には六地蔵が祀られている。真ん中に一際高く石仏が立つ。それぞれに
お札が貼られていた。
普賢菩薩坐像
文政4(1821)台に奉造立地蔵大菩薩 願主 清心と刻まれている。
大間木八丁大聖不動尊 緑区大間木
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東浦和駅から赤山道を5分ほど歩くと左側に不動堂と墓地がある。敷地内に
八丁集会所がある。入って左側にたくさんの石仏が立っていた。
手前に庚申塔
宝暦元年(1751)青面金剛立像 六臂 右手に剣、左手にショケラ
左側面に施主八町中と刻まれていた。
奥に立っているのは庚申塔
文化3(1806)自然石に大きく庚申塔と彫られていた。
下部に大間木
講中とある。
右のほうに普門品供養塔
寛政12(1800)正面に普門品一萬巻塔と彫られている。
左側面を見ると施主は大間木村、大間木新田、下山口新田合わせて23人らしい。
一番右に小堂の中に地蔵菩薩立像
宝暦10(1800)やはりお札が貼られていた。
下の台に念佛供養、続けて施主
女講村中と刻まれている。
入り口の右側に六地蔵が祀られていた。右から三番目のお地蔵様は頭だけ
付け替えられているようだ。顔が大きくバランスが崩れている。その台に
文化7(1810)の銘があり、大間木新田中と刻まれていた。
八丁稲荷神社前 緑区大間木
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大聖不動尊のすぐ西に稲荷神社がある。その前に庚申塔が立っていた。
庚申塔
安永6(1777)青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。台の側面に
講中18名の名前が刻まれている。
東浦和団地東交差点角 緑区大間木
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八丁稲荷神社の付近で赤山道から南西に向かう道が東浦和駅前通とぶつかる
交差点の北西角、飲食店の前に小堂が立っていた。
庚申塔
寛延2(1749)青面金剛立像 合掌型六臂 光背左下に當邑講中とある。
附島共同墓地 緑区大間木
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東浦和駅前通り、上の信号のある交差点から駅に向かって100mほど、左に
上って行く階段があった。小高くなったところに墓地が広がっている。奥の
大きな木の下に石塔が集まっていた。
金剛界大日如来坐像
安永6(1777)台には奉納六十六部供養塔と彫られていた。
個人の墓地の中に子安観音坐像
明和4(1767)腕に幼児を抱いている。
附島東浦和駅前通り西の畑奥 緑区大間木
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さらに駅に向かって歩いてゆく。西に畑が広がってくる。細い道を分け入って
行くとひっそりと庚申塔が立っていた。
庚申塔
元禄12(1699)青面金剛立像 合掌型六臂 ちょっとユニークな表情だ。
邪鬼がギャグまんがのキャラのようにへこたれている。味があってこれも面白い。
附島東浦和駅前通り西の林 緑区大間木
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上の庚申塔から畑の中の細い道を北に向かうと大きな住宅にぶつかる。左に折れ
少し先の林の中に板碑と並んでお地蔵様が立っていた。
地蔵菩薩立像
文化8(1811)薄暗い中に佇んでいる。
像の裏に奉再建地蔵大士とある。文化8年に再建となると創建されたのは
いつ頃だろう?