東浦和駅前通り東側路傍 緑区芝原3
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東浦和駅前通りを北へ向い国道463号線とバイパスの間のあたり、東側歩道を
歩いて行くと右手の医院の玄関付近に文字等の庚申塔が立っていた。
庚申塔 寛政11(1799)正面に大きな字で庚申塔と彫られている。左側面には
三室村芝原講中と、これもかなり大きな字で刻まれていた。
地福院 緑区芝原2
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東浦和駅前通りをさらに北上し、大きな交差点でバイパスを超え、すぐ次の
細い道を右折する。200m程行くと左手に地福院の門がある。門を入って右の
一角に石仏が並んでいた。
一番右から小堂の中の六地蔵。六体の顔や着衣、蓮台などほぼ揃っている。
下の台に薄く字が見えるが残念ながら確認できなかった。
真ん中に地蔵菩薩立像 寛延3(1750)台の正面に奉建立地蔵尊為二世安楽とある。
台の左側面には三室村芝原 施主村中 同水深七人 助力近村中と刻まれていた。
小堂の中に庚申塔 正徳2(1712)正面に奉造立庚申為二世安楽也、続いて施主6名の
名前が刻まれている。下部には素朴な三猿が彫られていた。
左隣 地蔵菩薩立像 元禄12(1699)少しうつむき加減に立っている。像の裏に銘が
あり、念佛講中と刻まれている。
足元をじっくり見てみると、この像と台は一つの石から彫り出されたものらしい。
台の部分の四つの面にはおびただしい数の名前が刻まれていた。
神明神社 緑区芝原2
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地福院の西の道を北に歩くとやがてT字路にぶつかる。右折して少し行くと
右手に神明神社がある。入口付近、コンクリートの舞台のようになっていて、
その上に前列に4体、後列に2体石塔が並んでいた。
前列左から庚申塔 明和4(1767) 合掌型六臂 オーソドックスな板駒型庚申塔。
左側面に大きめな字で木崎村芝原講中と刻まれていた。
隣 庚申塔 寛政11(1799)正面に大きくかつ深く庚申塔と彫られ、左側面には
三室村芝原講中とある。さきほど紹介した東浦和駅前通りの医院入り口に
立っていた庚申塔と年代も字体も台もまったく同じ。兄弟塔と言えるだろう。
続いて庚申塔 延享4(1747)主尊も三猿も邪鬼も見当たらない。正面に庚申供養塔と
彫られ、その下には施主6名の名前が刻まれていた。
前列右端 庚申塔 元文5(1740)青面金剛立像 合掌型六臂 笠付の割にカビが目立つ。
後ろの4本の手の付き方がちょっとおかしな感じがする。右側面に庚申供養塔、
芝原講中拾三人、助力村中と刻まれていた。
後列右 庚申塔 天明元年(1781))青面金剛立像 六臂 右手に剣、左手にショケラ
全体にバランスがよく見栄えがいい。右側面に奉造立庚申塔 三室村芝原講中。
さらにその左下にひときわ小さな字で大間木村 山三郎とある。八丁石工の名か?
左隣 馬頭観音立像 宝暦9(1759)六臂 足元に村中の文字が見える。
報徳院跡 緑区芝原1
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赤山街道を三室西宿から東浦和方面に向い、国道463号線のバイパスに出る直前
左手の路傍に石塔が立っていた。個人の墓石のようだ。
その脇の草の中に横たわっていたのは庚申塔 寛保2(1742)ちょうど真ん中あたりで
二つに割れてしまったらしい。奉建立庚申二世安楽と彫られた文字が悲しい。