浦和東高校北路傍 緑区高畑 [地図]
浦和東高校の北にある信号のある交差点から左の側道に入り100m程進んだ 角のところに石仏が三基並んでいた。 左 馬頭観音坐像 文化10(1813)忿怒相八臂 下の部分が草に隠れているが 手でかき分けてみると、そこには村中と刻まれていた。 地蔵菩薩立像 宝暦13(1763)丸みのある線とバランスの良い立ち姿。これぞ 野仏という感じがする。光背に奉造立地蔵尊二世安楽也と刻まれていた。 右 庚申塔 寛政元年(1789)青面金剛立像 合掌型六臂 右手に剣、左手にショケラ。 カビが目立つが彫りは細かく魅力的だ。邪鬼も面白い。左側面に高畑村中とある。 下の台の三猿。久々にハッピを着た三猿の登場だ。もはやその役割を忘れたかの ように自由に遊んでいる。こんな三猿も楽しい。
埼玉スタジアム東墓地 緑区高畑 美園駅方面から埼玉スタジアムの東を笹久保方面へ向けて南北に走る広い道路の右側、スタジアムのちょうど東の位置に新しい墓地があった。その中に真新しい六地蔵が立ち、両脇に三基づつ石塔が並んでいる。左三基のうち前の二基は風化が激しく詳細は不明。 六地蔵の左脇後ろ、二臂の如意輪観音菩薩坐像 宝永5(1708)舟形光背の左脇に造立年月日。 光背右脇「奉造立觀世音菩薩為二世安樂也」観音菩薩の坐像の彫りは厚く充実している。勝軍寺の墓地で見た時はその下に台があってその正面に高畑村講中十八人とあり、かなの名前が18刻まれていた。ここでは下のコンクリートに直接固定されていて台が見当たらない。 右の一番前には頭部のもげた丸彫りの地蔵菩薩立像。錫杖、宝珠も欠き、銘なども確認できず詳細はわからなかった。 真ん中 地蔵菩薩立像 享保6(1721)カビも多く風化が進み一部に剥落が見られる。錫杖は大きめ、宝珠は欠けている。舟形の光背の右脇「奉造立地蔵大菩薩」左下に高畑村講中と刻む。 下の台の正面中央「万人講供養」両脇に造立年月日。右下に願主一名、左下に施主一名の名前が刻まれていた。右側面には「妙□座頭 母」とある。 左側面には□月清光 宥□代。両側面の銘はどういう意味になるのだろう? 右列後 庚申塔 元禄5(1692)大きな舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 合掌した青面金剛は後ろの上左手にショケラを持つ。このショケラがちょっと変わっていて、髪をむんずとつかまれながらも、左手を上げて挨拶しているかのようなポーズをとっていた。光背上部両脇に造立年月日。足の両脇にしっかりと二鶏。カビなども少なくバランスが取れた構図は見ごたえがある。 足下の邪鬼は正面向きでM字型に腕を張り、邪鬼の下にはこれも正面向きの三猿を彫る。 三猿の下の部分、正面から側面にかけて四十人ほどの名前が刻まれていた。ずいぶん人数が多い。村を上げての造塔だったのかもしれない。