宮前IC東路傍 西区宮前町503北[地図]
三橋6丁目の桜堂北の三差路から右の脇道に入り、道なりに進んでゆくと新大宮バイパスの宮前ICの南付近にでる。このあたりから新大宮バイパスと上尾道路が県道16号線と立体交差する。新大宮バイパスをトンネルで抜けてバイパス東の側道を左折すると、道路左側に小堂が立っていた。
小堂の中 庚申塔
元禄3(1690)宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔。
正面中央「奉供養庚申爲二世 安
樂」両脇に造立年月日。下部に二十名ほどの名前が刻まれている。
台の正面に三猿が彫られているが、小堂の正面の横木に隠れて頭しか見えなかった。
小堂の左脇 敷石供養塔
文久2(1862)角柱型の石塔の正面に大きく「敷石供養塔」上部両脇に天下泰平・日月清明。下部両脇に造立年月日。右側面に武州足立郡 内野村 字宮之前。現在の町名はこの旧字名から採られたものだろう。
左側面には敷石寄付とあり、個人名が刻まれている。石塔の前の道を北へ進むと興徳寺と氷川神社があるが、そのあたりの敷石を寄付したものだろうか。
興徳寺 西区宮前町1699[地図]
新大宮バイパスの東の道を北へ進み、川越線を越えさらに150mほど先、宮前ICのすぐ東に興徳寺の入口があった。入口左脇に六地蔵の小堂があり、その左手前に石塔がたっている。
庚申塔
天明3(1783)二段の四角い台の上、正面に卍が彫られた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
目を吊り上げた青面金剛。ショケラは体をやや外に向け、足を折り曲げて合掌。持物は柄の長い矛・法輪・弓・矢。足の両脇に二鶏。彫りは全体に細密で写実的。白カビもなく美しい。
足元に大きな邪鬼が両手を組んでゆったりと横たわる。その下に三猿。左の見猿は内を向いて座り、二猿は正面向き。右の聞か猿は大きく足を開いて座っていた。
塔の右側面に造立年月日。その脇に左 よのミち。
左側面に武州足立郡宮野前村講中 上 下。その脇に右
上尾ミち。道標になっている。
小堂の中 六地蔵菩薩塔
明治19(1886)丸彫りの六体は蓮台、石塔ともによく揃って美しい。
細長い台は二つに分かれていて、右の台の右端に造立年月日。続いて宮前山・・・あとは風化のために一部が剥落、銘は読めなかった。
大塚古墳麓 西区宮前町710西[地図]
国道16号線の大塚古墳交差点から南へ進むと川越線の少し手前、道路左側に古墳がある。麓の南隅に二基の石塔が並んでいた。宮前町は割合と広く、東は興徳寺の先の鴨川まで、西はこの古墳前から北へ走る道が町境で、国道16号線を越えて結構先まで宮前町内になる。古墳の西、道路を隔てた先は指扇に入り、このあたりは西大宮駅ができてから「西大宮」と町名が変わったらしい。
二基の石塔は、いずれも馬頭観音の文字塔で個人の造立のものだった。
左 馬頭観音塔
天保8(1837)駒型の石塔の正面中央「馬頭觀世音」右脇に造立年月日。左下に清河寺村 見村・・とあるがこれは村名ではなく名前。
塔の左側面に年十才
爲雲雀毛とある。10歳で死んだ雲雀毛馬(黄白まじりで背筋に黒毛がある馬)のための墓石だろう。
右 馬頭観音塔
明治26(1893)隅丸角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の左側面に指扇村大字清河寺 施主とあり、個人の名前が刻まれていた。