飯田自治会館前交差点 西区飯田[地図] 水判土と二ツ宮をつなぐ県道56号線の飯田交差点の北東角、ブロック塀に 守られるように石塔が並んでいる。 笠付の像塔を真ん中に文字塔が二つ囲むように立っていた。 右、石橋供養塔 宝暦6(1756)左側に足立郡植田谷領飯田村中と刻まれている。 中、庚申塔 元禄2(1689)青面金剛立像 合掌型六臂 三基の中で最も古い石塔 左、納経供養塔 安永5(1776)正面中央には奉納大乗妙典六十六部供養塔と、 その右下には願主 廻國行者と刻まれていた。 光善寺観音堂 西区飯田 [地図] 県道56号線、バス停飯田宿のすぐ西の路地を南に入ると道路左手に光善寺の 墓地がある。この通りを南下すると日本郵便輸送物流センターの横に出る。 墓地の入口近くに石仏が並んでいた。 左端に立っているのは板駒型の庚申塔 正徳3(1713)青面金剛立像 合掌型六臂。 日月雲、二鶏、邪鬼、三猿が揃っており、重厚な佇まいを見せている。 可愛げな三猿の下に飯田村とあり11名の名前が刻まれていた。 隣に立っているのは印相から阿弥陀如来立像と思われる。 宝永5(1708) 右下、飯田村とあるが続きが削れていて個人のものか講中のものか不明。 続いて不動明王塔 寛文8(1668)小型ながら生き生きとした表情が印象的だ。 江戸時代初期の作にしてはきれいな状態を保っている。 地蔵菩薩立像 正徳3(1713)丸彫重制、蓮台の上に静かに立っている。 蓮台の下、女中西入とあってその横に名前が刻まれていた。西入は地名? 六地蔵尊の文字塔 明治34(1901)墓地関係者一同で建立されたものらしい。 その先には歴代住職の墓石などが並んでいた。