思い出の里市営霊園北西民家前 見沼区大谷
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思い出の里市営霊園北西にある個人宅の前に庚申塔が立っていた。
庚申塔
文政4(1821)青面金剛立像 六臂 右手に剣、左手にショケラを持つ。
風化が目立つ。個人のもののようだが青面金剛から三猿まで厚みのある
彫りで、細かい部分もしっかりできている。
旧太子堂墓地 見沼区大谷
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バス停市営霊園思い出の里のあたりで北へ入る細い道を進み突き当たりを
右折する。やがて左手に墓地が見えてくるが、その向かいの木立の中に
千手観音塔が立っていた。あまり見ることがない石仏との出会い。
千手観音坐像
寛政7(1795)十一面十八臂 台座に大谷村講中25人念佛講中6人
世話人一人の名前が刻まれていた。手に鈴、法輪、錫杖などを持つ。
頭上左右に四面づつ中央に一面最上部にもう一面本体を含めて十一面のようだ。
墓地の脇に地蔵菩薩立像
文政元年(1818)光背右に講中十五人と刻まれている。
大谷バス停西旧道火の見下>
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岩槻道のバス停大谷の西、旧道の細い道の火の見の下に石塔が祀られていた。
馬頭観音立像
安永7(1778)三面慈悲相六臂。光背左下に大谷村の文字が見える。
岩槻道大谷交差点>
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岩槻道のバス停大谷日生住宅前の少し南の交差点北東の角に小堂が立っていた。
この交差点を東に折れて進むと七里総合公園の南を通り膝子方面に出る。
地蔵菩薩立像
元禄2(1689)光背右に念佛供養菩提結衆四十四人と刻まれている。
交差点の北西の角に小さな石塔が立っていた。この地点から西に向かう路地は
氷川神社の参道の入口に続いている。
馬頭観音坐像
天保5(1834)風化で一部溶けかけているが文字部分だけは読める。
氷川神社参道入口脇>
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上の馬頭観音の石塔から200mほどで参道入口に出る。二基の庚申塔が見える。
左 庚申塔
天保2(1831)青面金剛立像 六臂。右手に剣、左手にショケラを持つ。
全体に細密で豊かな表現だ。頭上には蛇とともに顔のようなものが見える。
ドクロだろうか?大きな台座の三面に講中50人の名前が刻まれていた。
下部の邪鬼、三猿も楽しい。二匹の邪鬼は神社の拝殿で見る獅子を思わせる。
右 庚申塔
文化3(1806)青面金剛立像 六臂。こちらは左の庚申塔よりさらに
細かい。瑞雲からそれぞれの手の指先、衣服の柄までしっかり表現される。
塔の両側面に世話人を含め講中19人の名前が刻まれていた。
こちらの邪鬼、三猿も素晴らしい。狛犬のような顔をした二匹の邪鬼に続き
ニ鶏を両側に配し、三猿は自由で動きのある構図になっている。よく見ると
見ザルは片目しか隠していないし聞かザルも片耳は聞こえているだろう。
大変珍しいと思うが、実はこのあと同じような三猿に出会うことができた。
同じ系統の(多分岩槻系の)石工の仕事ではないだろうか。
遊水地公園南路傍>
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氷川神社から北へ向かう道が大谷中学校の北を通る道にぶつかる三差路の
お店の奥に二基の石塔が立っていた。奥に立っている石塔は正面がほぼ
剥落していてなんの石塔なのかわからない。右側面に享保11年の銘があり
助力
大谷村と刻まれている。
手前 馬頭観音塔
大正3(1914)右側面に伏見宮殿下御・・の文字が見える。
大谷中学校東角>
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大谷中学校の東50mほどの角のところに小堂が立っていた。
庚申塔
享保15(1730)青面金剛立像 合掌型六臂。一邪鬼、二鶏、三猿といたって
ノーマルだが、法輪を上右手に持つ例はあまり見たことがない。どうなのだろう?