丸ヶ崎観音堂 見沼区丸ヶ崎町
[地図]
東大宮バイパスの丸ヶ崎交差点から南に向かい200mほど先のT字路を
右折、見沼代用水を渡ると、左手に観音堂がある。敷地内には墓石が
多く立っている。道路沿いに二基の石仏が北向きに立っていた。
庚申塔
青面金剛立像 寛延元年(1748)右手に剣、左手にショケラを下げる。
六臂。どの手も厚みのある彫りで全体的に肉感的である。青面金剛の顔も
迫力を感じる。腰の中央に下げているのは虎の頭か。足の部分の両側に
二鶏がいる。側面には奉造立青面金剛像供養塔と彫られていた。
下部の邪鬼と三猿。さらにその下の台座に丸ヶ崎村講中と彫られている。
馬頭観音塔
文政2(1819)正面に見事な騎馬像が彫られていた。側面には
いわつき、しょうぶ、きさい
などの地名が刻まれている。
その後ろには三基の石塔が西向きに並ぶ。左
不動明王像塔 年代不明
下部に二童子が彫られている。真ん中に見えているのは滝のようだ。
真ん中に享保6年の個人の墓石。右には地蔵菩薩立像
明和9(1772)が立つ。
脇には大きく六十六部供養佛と彫られていた。地蔵像の彫りも丁寧だ。
厳しい目つきで遠くを見据えている。凛とした雰囲気を持っている。
台座には右
原市道 東 岩附道 南 大宮道 左 江戸道と刻まれていた。
さらに奥には墓石が並んでいるが、その端に草に隠れて立っているには
日本廻國納経供養塔
宝暦10(1760)行脚行者 丸ヶ崎村道観と刻まれる。
宮前橋東の畑 見沼区丸ヶ崎
[地図]
東大宮バイパス丸ヶ崎交差点の南西、見沼代用水東縁の宮前橋の東、
畑の中に庚申塔
昭和14(1939)が立っていた。
自然石に大きく妙法
庚申塔と刻む。大三十番神、大月日番神とは何だろう?
多聞院 見沼区丸ヶ崎
[地図]
東大宮バイパス丸ヶ崎交差点の東角が多聞院の入り口になる。北に歩いて
境内に入ると左側に六地蔵の小堂が立っていた。
地蔵菩薩坐像が六体。うち五体は室町期のものだという。確かに手前の
五体は光背も欠け顔の様子もよくわからないが貴重な文化財である。
一番左の一体は比較的新しいもの。先の五体を真似たものだろうか。
丸ヶ崎新田薬師堂 見沼区大字丸ヶ崎
[地図]
東大宮バイパス丸ヶ崎交差点から北へ200mほど、道が細くなる地点で
右折する。一面に畑が広がる中、しばらく歩くと左側に薬師堂が見える。
お堂の右手前に立つのは庚申塔
元禄2(1689)青面金剛立像 合掌型六臂
上左手にショケラを持っている。三猿の下に施主11名の名前が見える。
ずいぶん古いものなのにカビも無くきれいな状態を保っている。
お堂の左の前には地蔵菩薩立像
安永6(1777)蓮座の下の大きな台には
地蔵菩薩以大?悲
若聞名号不随黒暗と読める。右の側面に念佛講中
行者権六
願主 中村なにがしと刻まれていた。
丸ヶ崎新田路傍 見沼区大字丸ヶ崎
[地図]
薬師堂からさらに東に歩いてゆくと、すぐ左手にお地蔵様と馬頭観音が
祀られていた。左
馬頭観音塔 大正5 右 地蔵菩薩立像 享保9(1724)
こちらの台には20人ほどの名前が刻まれている。
さらにそのすぐ先、やはり左手にお地蔵様と馬頭観音が祀られている。
小堂の中には二基の馬頭観音塔
右には嘉永六年と昭和十四年の銘が
左には明治十一年と大正十一年の銘が見える。いずれも個人のもの。
地蔵菩薩立像
昭和2(1927)新しい前掛けで気持ちよさそうに立っていた。