西郭公園 見沼区深作1-4[地図]
国道16号線の深作(中)交差点の一つ南の道に入り西に向かう。200mほど進むと道路左手に西郭公園がある。その敷地の北のフェンスの前、立ち木の間に石塔が立っていた。
庚申塔 文化12(1815)大きな四角い台の上の角柱型の石塔の正面
日月雲の下に「庚申塔」塔の最下部に三猿が彫られている。
三猿は自由奔放。左の言わ猿は左手をついてのけぞるようにして内を向いて座る。右の見猿は外向きに座り、桃果を持った右手を中央に伸ばす。ユニークな構図だ。
塔の右側面に造立年月日。奥に 東 いわつき 右 ぢおんじ 南 はらいち
道。
左側面 武州足立郡深作村。奥に 左
江戸ミち。両側面合わせて四方向四地名が刻まれた道標になっている。
台の正面右端に 林道石工武兵エ。岩槻の名石工
田中武兵衛の作品だった。それにしても石工名を正面に見るのは異例。
台の左側面に二十二名の名前が刻まれている。
台の裏面にも十八名の名前。途中に講本、世話人とある。右側面だけがなぜか無銘だった。台の四つの面の銘の様子から考えると、無銘の右側面が裏面で、左側面が本来は正面ではないだろうか?それなら石工名も右側面の奥になりしっくりくるのだがどうだろう?
西郭公園北西交差点近く路傍 見沼区深作1-2[地図]
西郭公園から西へ進み322号線に出て右折、すぐ先の信号交差点を右に曲がると道路右側路傍に庚申塔が立っていた。
庚申塔
元禄9(1696)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、上部に大きな三猿を彫る。「三猿庚申塔」では三猿は下部が多く、まれに中央で、上部というのは珍しいと思う。塔の下部は白カビが多く銘は不鮮明。
三猿の下中央「奉造立庚申待供羪二世安樂□所」両脇に造立年月日。右下に武蔵國、左下に深作村と刻まれていた。
西郭公園北西交差点北マンション脇 見沼区深作3-17[地図]
三猿庚申塔の信号交差点から県道322号線を北に進み、すぐ先の交差点を右折すると、道路左側の大きなマンションの手前に小堂が立っていた。
小堂の中 地蔵菩薩塔
文化元年(1804)四角い台の上の角柱型の石塔に敷茄子・蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩立像。欠損はなく堂々としたたたずまい。
角柱型の石塔の正面中央「奉建立」両脇に造立年月日。
塔の左側面、手前に 西 はらいち。奥に貝﨑講中。
右側面手前に深作邑。奥に 東
いわつきと刻まれている。
深作西交差点南路傍塚上 見沼区深作3-15-12[地図]
国道16号線の深作(西)交差点から南西に進み、すぐ先を左折して二本目の角を右折、しばらく進むと道路右側、ブロック塀に囲まれた塚の上に石塔が立っていた。
庚申塔 寛政5(1793)四角い台の上の角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に 日月雲
青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
白カビが多く顔ははっきりしない。高く結い上げた髪の先は向かって右に折れ、その中央に蛇が見える。持物は矛・法輪・弓・矢。大きなショケラが腰にすがり付いていた。腰衣の中央に虎の顔。足の両脇に二鶏を半浮彫り。
足元の邪鬼は左足を立ててうずくまり、合わせた両手の上に獅子のような顔を乗せて正面を向くタイプ。ひげ面は珍しい。その下に三猿。両脇の猿は内を向いて座る。
塔の右側面に造立年月日。
左側面右に海﨑講中四拾六人(﨑は異体字)中央に武州足立郡南部領深作村中助力。左に本村講中廿六人助力。多くの人たちの協力を得て造立されたものらしい。さらに左隅に小さな字で岩槻市宿石工伊兵衛と刻まれていた。あの萩原一門の作品である。