見沼区 御蔵・東新井

 

東新井団地東県道脇墓地見沼区御蔵1223向[地図]


北浦和駅付近から岩槻方面へ向かう県道65号線、第二産業道路の山崎交差点を越えて、見沼田んぼを走りぬけて道なりに進むと、道はしばらく下り坂が続き、東新井団地入口の信号交差点から先は結構きつい登坂になる。登り切ったあたり、右にカーブする道路左脇に緑色のフェンスに囲まれた墓地があった。


規模の小さな墓地で、入口から角柱型の石塔が立っているのが見える。

庚申塔 天保9(1838)大きな二段の四角い台の上、角柱型の石塔の正面に「庚申塔」


塔の右側面に造立年月日。左側面に南部領御蔵村とあり、願主一名の名前が刻まれていた。


上の台の左側面、右に いわつき 一り二十丁、左に うらわ  一り十八丁 と刻まれていて道標になっている。


その脇に馬頭観音塔。駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に紀年銘。風化のため造立年不明。願主は個人名。

御蔵馬頭観音堂見沼区御蔵1307[地図]


墓地から二つ目の信号交差点を左折すると、すぐ先の道路左脇に塚があり祠が立っていた。グーグルマップには「庚申堂」となっているが中に祀られている三基のうち二基は馬頭観音塔で、「馬頭観音堂」としたい。


左 馬頭観音塔 宝永元年(1704)舟形光背に三面八臂の馬頭観音立像を浮き彫り。顔面と腕に朱塗りの跡が残っている。


頭上に大きな馬頭。三面は忿怒相か?持物は剣・法輪・斧・棒・与願印・数珠?光背右脇に「奉造馬頭觀世音」左脇に造立年月日。右下に御蔵白岡講中と刻まれていた。


中央 馬頭観音塔 享保18(1733)舟形光背に一面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。


頭上の馬頭はやや小ぶりだが明快。尊顔は穏やかで、こちらは慈悲相だろう。持物は剣・未敷蓮華・斧・数珠とユニーク。光背両脇に造立年月日。右下に願主 白岡村。左下に御蔵村と刻まれている。


右 地蔵菩薩塔 造立年不明。角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に、薄い蓮台に立つ地蔵菩薩像を浮き彫り。胸前に宝珠のようなものを持つが、布あるいは袈裟の一部でくるんでいるような形で、見たことのないデザイン。


祠の中のため確認はできないが、おそらく右側面に紀年銘が刻まれているのだろう。左側面に御蔵村講中。さらに世話人とあり二名の名前が刻まれている。

片柳中学校東旧道路傍見沼区御蔵484[地図]


県道214号線、片柳中学校の東の押しボタン交差点から東へ進むと、すぐ先のT字路左路傍に二基の石塔が並んでいた。目の前の道は県道214号線と並行して南北に走る旧道らしい。左の石塔は大きく破損、銘は全く見当たらず正体は不明である。


右 馬頭観音塔 文政7(1824)四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に一面二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。台の正面に講中と刻まれていた。


怒髪の中に大ぶりな馬頭。風化が進み顔はつぶれ、馬口印を結ぶ手も細くなっている。


塔の右側面に造立年月日。続いて 㣺 はらいち二里 いわ津き壱り。


左側面に武刕足立郡南部領東御蔵村講中。続いて 南 大もん一り半 西 うらわ壱里 与野壱り十丁。三方向五地名が刻まれていて道標になっていた。

 

大宮片柳郵便局南住宅前 見沼区東新井359[地図]


県道214号線、東新井交差点から西へ進み、次の押しボタン信号交差点を右折すると、道路右側の住宅の前に小堂が立っている。10年前に来たときは雑草が生い茂り近づくのも大変な状態だったが、その後整備されきれいになっていた。


小堂の中 庚申塔 元禄2(1692)舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを持つ岩槻型庚申塔。頭上に梵字「ア」髪の中にとぐろを巻いた蛇が頭を垂れる。持物は矛・ショケラ・弓矢。
 

ショケラは足を折り曲げ合掌。岩槻型庚申塔のショケラの定番のポーズである。光背右脇に「奉造立庚申供養諸願成就所敬白」


左脇に造立年月日。その下に新井村と刻まれていた。


足元に上半身型、顔を正面に向ける邪鬼。その下に正面向きの三猿。両脇にうっすらと二鶏が見える。

薬師堂 見沼区御蔵82[地図]


庚申塔の小堂の立っていた信号交差点から北へしばらく進むと正面に薬師堂があった。右脇に新しい御蔵自治会館が立っている。


門扉の脇から中に入ると、左側に角柱型の石塔、その奥の雨除けの下に二基の石塔が並んでいた。


手前 念仏供養塔 天保10(1839)角柱型の石塔の正面 上部に地蔵菩薩坐像。その下に「當村念佛講中」


上部を舟形に彫りくぼめて、錫杖と宝珠を手にした地蔵菩薩坐像。顔はつぶれているが彫りは細かい。蓮座は線刻。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれていた。


雨除けの下に庚申塔と地蔵菩薩塔。右奥に防災倉庫が並んでいるが、10年前はそのあたりに自治会館が立っていた。


左 庚申塔 宝永4(1707)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを持ち、こちら岩槻型庚申塔。このあたり岩槻の文化圏といえるのだろう。合掌型でショケラ持ちの岩槻型庚申塔だけでなく、高く結い上げた髪の先が右に折れた「萩原庚申塔」もここまでいくつも見られたし、有名な林道石工 田中武兵衛の芸術的な作品も片柳を中心に数多い。


しかめっ面の青面金剛。髪の中に蛇が首を垂れる。持物は斧・ショケラ・弓矢。足元に全身型の邪鬼。腕を張って大きな顔を正面に向けていた。


邪鬼の下、狭い空間に正面向きの三猿と二鶏。その下の部分、右のほうに宝性院、眞蔵院とあり、続けて十五名の名前が刻まれている。


塔の左側面「奉供養庚申本願成就所」その下に白岡村。最下部に十四名の名前。


右側面に造立年月日。その下に御蔵村とあり、最下部に十四名の名前が刻まれていた。正面と両側面を合わせて講中43名だろうか。


右 大乗妙典六十六部供養塔 正徳3(1713)舟形光背に輪光背を負った地蔵菩薩立像を浮き彫り。上部両脇に天下泰平・國土安穏。


光背右脇「奉供羪大乗妙典六十六部日本回国一切衆生同入圓後?」左脇に造立年月日。その下に願主 御蔵村 性海と刻まれていた。

庚申塚公園 見沼区東新井509[地図]


薬師堂の前の道を西に進みすぐ先を右折、またすぐ先を左折して路地を進むと、突き当りに庚申塚公園があった。


公園に入るとコンクリートの台の上に二基の石塔が並んでいる。


右 馬頭観音塔 文化12(1815)駒型の石塔の正面に三面?六臂?の馬頭観音立像を浮き彫り。風化が著しく進み、剥落、溶解のために全体に像ははっきりしない。


塔の右側面上のほうに「左」「右」二文字があるがその下は大きく剥落、地名は確認できなかった。左下にも地名と思われる銘がみえるが、これも読めない。二方向三地名か?


左側面 奥に造立年月日。手前に この方 はらいち。道標になっている。この角度から見ると間違いなく三面、頭上もやはり馬頭らしい。 


左の石塔はどこにも銘が見当たらず正体不明だが、「庚申塚」というからには、こちらが庚申塔ではないかと思われる。