見沼区 新堤・東門前

 

七里小学校西三差路 見沼区新堤95[地図]


県道105号線の東宮下交差点から七里駅方面に向かう。250mほど先、七里小学校を過ぎると、道路左側に斜め左に進む脇道があった。その入口の三差路の角に石塔が立っている。


寒念仏供養塔 享保12(1727)駒型の石塔の正面、梵字「キリーク」の下に「寒念佛供羪塔」下部に新堤村。


左 はらいち 上志う 道、右 なんぶいりみち と刻まれていて道標になっている。


塔の両側面上部に造立年月日。右側面下部に宮下村同行 男女拾九人。


左側面下部に當村中。その脇に願主一名の名前が刻まれていた。

七里東保育園北東路傍 見沼区東門前343[地図]


七里小学校の先の三差路から脇道に入り、道なりに細い道を400mほど進むと「大谷中通り」に出る。そのすぐ手前、道路右側にフェンスに囲まれて石塔が祀られていた。


不食供養塔 元禄16(1703)駒型の石塔の正面を凝った形に彫りくぼめた中、日輪の下に「奉造立不食供養」西区の指扇、西遊馬あたりで多く見かけた「無食供養塔」と同じ意味の供養塔である。


塔の左側面に造立年月日。左下に新堤村施主 長嶋氏。


左側面に供養塔の説明とその造立のいきさつが刻まれていた。

東門前第一自治会館前 見沼区東門前297[地図]


「大谷中通り」に出て左折、すぐ次を右折してしばらく進むと、右手に東門前第一自治会館があり、敷地の南の隅の大きな雨除けの中に多くの石塔が並んでいた。


雨除けの中、左から六地蔵菩薩塔 宝暦14(1764)舟形光背に浮き彫りされた六体の地蔵菩薩立像は、一部白カビもあるが比較的きれいでよく揃っている。


一番左の光背右脇に「奉造立六道能化地蔵大菩薩」左脇に造立年月日。その下に門前村中と刻まれていた。


その隣 念仏供養塔 安永4(1775)四角い台の上の舟形光背に三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。
保存状態は非常によく白カビも見られない。


三面ともに静かな表情の慈悲相。頭上にくっきりと馬頭。法輪以外の持物は彫りが薄く不鮮明。上右手は柄の上の部分がよくわからないが槍?下右手には棒を持ち、下左手は数珠か?光背右上に「念佛供養塔」右下に造立年月日。左下に施主 門前村中、願主一名の名前が刻まれていた。


続く角柱型の石塔は僧の墓石。天保13(1842)の命日が刻まれている。尼僧ながら首座という高位にあったようだ。塔の上部を舟形に彫りくぼめた中、宝珠を手にして蓮台に座る像の尊顔は優し気で、この尼僧の姿をあらわしたものだろうか?


その隣 地蔵菩薩塔 元文3(1738)角柱型の石塔に立派な敷茄子と蓮台を重ねた上に大きな丸彫りの地蔵菩薩立像。


彫りは丁寧で像のバランスも良い。錫杖と宝珠ともに欠くことなく首に補修跡も見当たらない。顔のあたりに白カビがあって今一つ表情ははっきりしないが、どことなく峻厳な雰囲気が漂う。


石塔の正面中央「奉造立地蔵大菩薩」両脇に造立年月日。


塔の左側面に武刕足立郡南部領 念佛講門前邑中。


右側面に 當院在住法印信誓 敬白と刻まれていた。


右端 庚申塔 天明2(1782)四角い台の上の舟形光背に笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


小さな白カビが点々と見えるが、塔全体に風化は少なく比較的美しい。輪光背を負った青面金剛、口のあたりだけがやや削れていた。


足元に上半身型の邪鬼。大きな顔の顎の下で合掌している。下の台の正面に三猿が彫られていた。


塔の左側面に武刕足立郡南部領邑。


右側面手前に造立年月日。奥に延命院在住法印浄賢講中と刻まれていた。


雨除けの右脇に馬頭観音塔 享保15(1730)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央上部に梵字「カン」その下に「馬頭観音明王」上部両脇に造立年月日。右下に門前村、左下に施主の名前が刻まれている。