八雲神社 見沼区染谷1-288[地図]
県道214号線の片柳コミュニティーセンター入口交差点から北へ500mほど進んだ先の十字路交差点、ここを右折すると染谷花しょうぶ園、左折すると片柳コミュニティーセンターがある。この交差点のすぐ北、道路左の路地に入り、細い道を道なりに400mほど進むと右手に八雲神社があった。同じ敷地内、手前に観音堂が立っていて、その入口脇に二基の石塔が並んでいる。
左 馬頭観音塔
寛政7(1795)舟形光背に慈悲相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。頭上の馬頭はくっきり。光背上部両脇に造立年月日。右下に染谷村金山、左下に施主一名の名前が刻まれていた。
右 地蔵菩薩塔
天明8(1788)舟形光背に右手に錫杖、左手に宝珠を手にした地蔵菩薩立像を浮き彫り。お地蔵様はムッとしたような顔。光背右脇に大きな字で「奉造立地蔵大菩薩」左脇に造立年月日。その下に染谷村御時講中 女人二十五人と刻まれている。
八雲神社の社殿の左脇、境内社の隣に赤い屋根の祠が立っていた。
祠の中に三基の三猿庚申塔が祀られている。
中央 庚申塔
寛文13(1673)舟形光背中央「待庚申爲浄土安樂菩提」この銘は初めて見る。両脇に造立年月日。下部に三猿が正面向きに並んで座る。普通に座るのではなく、石の台に腰掛けるような形。この座り方も珍しい。中央の聞か猿の顔は猿というよりも人間のようで、なにか不気味な雰囲気だ。
三猿の下に「染谷東組中」と刻まれていた。塔の左側面をのぞくと「明治三十一年十月吉日再建」と刻まれていた。寛文13年創建時の姿を再現したものだろう。
右奥 庚申塔 元禄8(1695)駒型の石塔の正面
日月雲「奉造立庚申供養」両脇に造立年月日。正面の庚申塔のために塔の左のほうは写真に収まらない。下部に正面向きに並んで座る三猿。こちらは猿らしい顔をしている。
三猿の下の部分、右から 染谷村 結衆
二拾四人と刻まれていた。
左奥 庚申塔
造立年不明。塔の上部が大きく欠けていて確定できないが、舟形光背型か駒型の石塔と思われる。三猿は顔が風化のためにはっきりしない。その上の銘もまた読みにくい。中央に「樂菩提」その左下に「敬白」と見えるが、紀年銘は見つからなかった。
塔の最下部に銘が見える。並び方から見て人の名前かもしれない。10人ほどの施主だろうか?
西染谷薬師堂 見沼区染谷1129[地図]
八雲神社から西へ向かい、100mほど先の交差点を右折、北へ向かって細い道を道なりに200mほど進むと右手に西染谷薬師堂があり、敷地の北の隅に二基の石塔が並んでいた。
左 地蔵菩薩塔
安永2(1773)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。ところどころ白カビが見られ、光背右上を欠く。像は大きな欠損なく比較的美しい。
光背右脇「奉造立地蔵大菩薩」左脇に造立年月日。右下に染谷村、左下に女人講中と刻まれていた。
右 大日如来真言塔
天保2(1831)四角い台の上の角柱型の石塔の正面上部、円の中に金剛界大日如来を表す梵字「バーンク」その下に二行、梵字で「アビラウンケン」(胎蔵界大日如来真言)「オンバザラダドバン」(金剛界大日如来真言)塔の正面の銘が梵字だけという石塔は相当珍しい。右側面に美しい文字で「不捨於此身逮得神境通
遊步大空位而成身祕密」と刻まれていた。こちらは大日経の一節らしい。
左側面に「一見阿字五逆消滅
真言得果即身成佛」こちらは金剛界の一節。裏面に造立年月日が刻まれている。
昨年の4月に南区の取材の折に足を延ばして、このあたりにも「下見」にきて写真を撮っていた。今年の7月、こちらに再訪したのだが、なんと薬師堂がなくなっていた。二基の石塔も見当たらない。何度か現地に行ってみたが、情報を得られず困っていた。現在は現地に行っても二基の石塔を見ることはできない。どうしよう・・・と思っていたら、つい最近、事情を知るご夫婦にお話を聞くことができた。結論から言うと、薬師堂の跡には石材屋さんが建物を新築する予定で、工事中は二基の石塔は常泉寺で預かっている。いずれこちらに戻ってくるだろうとのことだった。廃棄されたのでなければ、またいつか拝見できる。その日を楽しみに待ちたいと思う。
薬師堂のある交差点の筋向いに小堂が立っていた。裏の林の中は墓地になっている。
小堂の中 庚申塔
天明2(1782)四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。堂内は暗く写真も難しい。
頭上には蛇。ショケラは足を折り曲げ、青面金剛の腰のあたりに抱きついている。足元に二匹の邪鬼。上半身型で、お互いにそっぽを向く。邪鬼の下に二鶏を半浮彫り。
その下に三猿。両脇が内を向いて座る。台の正面、右端に一合一銭とあり、続いて13名の名前。左端に村々勧化志と刻まれていた。
塔の右側面中央「奉造立庚申供養塔」両脇に造立年月日。
左側面に武刕足立郡染谷村。その横に願主とあり、浅子氏の名前が刻まれている。