深作(西)信号南 空き地 見沼区深作3 [地図]

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深作(西)交差点を南西に進みすぐ左の路地に入ってまたすぐの角で右折する。
50mほど行くと右手の空き地に庚申塔が立っているのが見える。

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庚申塔 寛政5(1793)青面金剛立像 六臂 足を折り曲げ青面金剛の腰のあたりに
しがみついているショケラはかなり大きく彫られている。足下の邪鬼の容貌も
個性的だ。左側面、正面に足立郡南部領深作村中助力、脇に海崎講中四拾六人、
本村講中二十六人と刻まれている。

深作(中)信号西 路地路傍 見沼区深作3 [地図]

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上の庚申塔の場所から南西に進み大きな通りを左折する。先に信号機のある
大きな交差点があるがそのすぐ手前、細い道を左折すると左手にお地蔵様が
立っている。

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地蔵菩薩立像 文化元年(1804)台座に深作邑貝崎講中と刻まれていた。また、
東 いわつき 西・・・と地名も刻まれている。

深作(中)信号西 交差点付近路傍 見沼区深作1 [地図]

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上のお地蔵様の南の信号機のある交差点、東の角から2軒目と3軒目の家の
間に庚申塔 元禄9(1696)が立っていた。この地域では最も古い石塔の一つ。

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三猿が上部に彫られていて、その下に奉造立庚申供養二世安楽所とある。

西郭公園 見沼区深作1 [地図]

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先ほどの信号機のある交差点から南に進みすぐ左折すると西郭公園がある。
公園の北側の端に大きな文字の庚申塔 文化12(1815)が立っていた。

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正面に大きく庚申塔の文字、下部に三猿。左側面には足立郡深作村とあり
隣に大きく左 江戸みちの文字が、右側面には西 はらいち 右 ぢおんじ道
東 いわつき と刻まれていた。台座には講中40名と石工の名前が見える。

深作(東)信号南路地角 見沼区深作1 [地図]

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東大宮バイパスの深作(東)交差点から西に入りすぐ左折して50mほどの角、
小高い位置に庚申塔 嘉永3(1850)が立っていた。

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正面に大きく青面金剛、右側面に天下泰平國家安穏村内安全と刻まれている。
台は3段になっていて上の台には三猿が彫られている。中の大きな台の正面、
足立郡南部領深作村、總講中 続いて四つの村の名前が刻まれているようだ。
多分西郭村、中島村、--村、本村ではないかと思うのだが・・・
側面に地名が入る。左 いわつき 右 はらいち 東 のあとは読みにくい。

 

深作氷川神社筋向い 見沼区深作2 [地図]

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東大宮バイパス深作(南)交差点から東に折れて二つ目の交差点を左折する。
すぐ先の道を右折すると左手に深作氷川神社の赤い鳥居が見えて来る。
神社の筋向いに三基の石仏が祀られていた。写真は奥から撮ったもの。
道路の向こうに神社の境内がひろがっている。

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手前の小屋の中に地蔵菩薩立像 年代不明 台に深作村念佛講中と刻まれている。

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中 庚申塔 享保10(1725)青面金剛立像 合掌型六臂 厚みのある彫りである。
上の手にショケラを持つのはこのあたりでよく見るが右手に持つのは珍しい。

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下部に邪鬼と三猿。邪鬼は正面向きM字型。三猿とともに表情が面白い。

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奥に立つ馬頭観音立像 寛政10(1798)憤怒相二臂 白カビが目立っている。

八反田橋東北路傍 見沼区深作5 [地図]

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東大宮バイパス深作(南)交差点から岩槻方面に向かう広い道が綾瀬川を越える
少し前を左に曲がると道は田園風景の中を大きく弧を描くように続きやがて
丸ケ崎にでる。先日紹介した丸ケ崎新田の石仏もこの道沿いに立っている。
この田園の中を走る道はほぼ深作川と平行して走っていて、深作川方面から
何本かの道が交わっている。

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深作川の八反田橋から東に向かう道がぶつかったあたりに小堂が立っていた。

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庚申塔 元禄7(1694)合掌型六臂 上左手にショケラを持つ。邪鬼はM字型。
右側面に為奉造立供養二世安楽也と彫られていた。

関前橋東北路傍 見沼区深作5 [地図]

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深作川の関前橋から東に向かう道がぶつかったあたりにも小堂があった。

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地蔵菩薩立像 宝暦5(1755)新しいマフラーが暖かそうだ。

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その隣に庚申塔 文化13(1816)自然石に大きく庚申塔と彫られていた。