膝子横根道T字路 見沼区膝子157[地図]
日光御成道、緑区上野田から見沼区膝子に入って500mほど先を右に入ってゆく道は、岩槻区の横根方面へ向かう古道「横根道」らしいが、現在は工事のために通行止めになっていた。坂道を下りカーブするあたり、T字路の道路際のコンクリートの壁の中に石塔が祀られている。
庚申塔
元治元年(1864)四角い台の上の角柱型の石塔の正面、日月雲の下に「庚申塔」
台の正面に三猿。三者三様の座り方で、両脇の言わ猿と見猿は片手使い、このあたり緑区中野田の重殿社入口の庚申塔の三猿とよく似ている。
塔の右側面に造立年月日。左側面に「下講中」と刻まれていた。
膝子一里塚 見沼区膝子528[地図]
日光御成道の膝子交差点の300mほど南、道路東側、大きな榎の木の下に膝子一里塚がある。
榎の木の右、塚の中腹に二基の石塔が並んでいた。
左 百ケ所四国供養塔
安永2(1773)角柱型の石塔の上に丸彫りの弘法大師坐像。右手に金剛杵、左手に数珠を持つ。
角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「ユ」の下に「奉納 秩父 坂東 四國 西國
供養塔」塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれている。
右 一石六地蔵塔
正徳4(1714)舟形光背に三段に渡って六体の地蔵菩薩立像を浮き彫り。光背右脇に「奉建立念佛供養」左脇に造立年月日。
右下に武刕足立郡、左下に施主
膝子村同行廿一人と刻まれていた。
膝子八幡神社 見沼区膝子623[地図]
日光御成道の膝子交差点から東楽園通りを東へ向かい、200mほど先を右折、細い道を南へ進むとやがて左手に膝子八幡神社の入口があった。膝子八幡神社は室町時代創建と伝わる古社で、大きな木々が立ち並ぶ中、参道の先に朱塗りの鳥居が立ち、その奥に社殿が立っている。参道の左脇、不動堂の前にポツンと石塔が立っていた。
庚申塔 弘化4(1847)四角い台の上の角柱型の石塔の正面
日月雲「庚申祭」
下の台の正面に三猿。いずれも片手使い、三者三様の座り方でお互いにそっぽを向いていた。先に見た横根道T字路の庚申塔の三猿と雰囲気がよく似ている。岩槻の近くでもあり、このタイプの三猿が彫られた庚申塔はいずれも岩槻の石工の作品だろうか。
塔の右側面に造立年月日。両脇に天下泰平・國土安穏。
左側面中央に武州足立郡 膝子村。その右脇に二行、向 明けん いわつき 道、左 南部
十王 道。調べてみると明けん=妙見さまは岩槻区横根の北辰神社にあり、十王は南中野の十王尊のことだろう。
正面に三猿が彫られた台の右側面に十名、左側面に十二名の名前が刻まれていた。
膝子塚稲荷社前 見沼区膝子783[地図]
膝子交差点から岩槻方面へ150mほど進むと、道路左側の奥の塚の上に稲荷社があり、その前の空き地に並ぶ多くの貸コンテナの間に石塔が立っていた。
庚申塔
元禄10(1697)四角い台の上の擬唐破風笠付き駒型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に 青面金剛立像 合掌型六臂。上左手にショケラを吊るす「岩槻型」青面金剛庚申塔。
風化が進み像は痛みが著しく青面金剛の顔も削れていた。持物も彫りが薄く見にくいが、十字戟・ショケラ・弓矢。
足の両脇に二鶏を半浮彫り。足元に大きな顔を正面に向ける上半身型の邪鬼。その下に正面向きに座る三猿。白カビも多く全体に判然としない。
塔の右側面に造立年月日。右側面に「奉造立庚申石像・・・」下部は破損して読めない。台の上部と塔の下部に人為的に穿たれた多くのくぼみ穴があり、銘の一部も消えていた。
塔の正面下部に六名の名前。台の正面には卍と法輪が彫られ、その間に数人の名前が見える。
塔の左側面下部に六名の名前。台の左側面に七名の名前が刻まれていた。
右側面も同じように塔の下部に六名の名前、台に七名の名前。
台の裏面にもやはり七名の名前が刻まれていて、全部合わせると四十名を超える。ずいぶん大きな講だったらしい。