上沢薬師堂 富士見市上沢2-4
県道266号線の上沢交差点のすぐ北を西に入り150mほど進むと、坂を下った先に薬師堂の墓地があった。薬師堂に向かう参道の右側に多くの石塔が立っている。入口近く、雨除けの下に石地蔵が、奥のほうにはやはり大きな雨除けの下、百体の観音像が整然と並んでいた。
雨除けの下に八体の石地蔵。その右手前に角柱型の石塔、左手前には手水鉢が見える。
右手前 鋪石供養塔 文政13(1830)正面中央「奉納鋪石供養塔」両脇に万人講中。塔の右側面に造立年月日。下のほうに武州入間郡鶴馬村と刻まれている。
左側面には セハ人 上沢中 個人名。さらに大井町出生願主 善道と刻まれていた。
左手前に手水鉢 元文5(1740)正面に「奉納御寶前」両脇に造立年月日。右脇 上沢村中、左脇 願主 誓運。両側面に上沢、渡戸、折戸、羽沢、大井、砂町などとあり、合わせて十五名の名前が刻まれている。
八体の石地蔵のうち右から六体は六地蔵菩薩と思われる。像はあとから補われたものもあるが、下の蓮台、敷茄子、台の素材、銘の文字などはそろっていた。右端の台の正面に「念佛講中」右脇に文化三(1806)の紀年銘。その右に武州入間郡。左脇に鶴馬村上澤と刻まれている。二番目の台の正面には「奉納西國 秩父・坂東供養」
三番目、四番目の台も「奉納西國 秩父・坂東供養」と刻まれていた。文字はいずれも良く似ている。
さらに五番目の台にも「奉納西國 秩父・坂東供養」最後の台には「常光行者霊位」右脇の文化三年の紀年銘はこの場合は命日だろうか。
その隣 地蔵菩薩立像。顔が潰れている。右手に棒?左手に持つのは教典?珍しい持物だ。台の側面は狭く銘は確認できなかった。
像の下部、衣装の裾に隠れているのは何だろう?そして蓮台から吊るされたこの人型は?なんともユニークなお地蔵さまだ。
左端 地蔵菩薩立像。こちらも紀年銘が見当たらない。
台の正面 梵字「ア」の下、了圓観月沙彌。両脇に上澤村 薬師堂と刻まれていた。
奥には百観音が三段に並んでいるが、その右手前、雨除けの下に成田山不動明王坐像 明治2(1869)が祀られていた。下の台は古いもののようだが銘は見当たらない。両脇に小さな狛犬が控えていた。
不動明王像の右に制吒迦童子坐像。右手に棒を持ち口をカッと開いてすごむが、どことなく愛嬌がある。造立年など詳細は不明。対になるはずの矜羯羅童子は見当たらない。
百観音の右脇、石地蔵の雨除けの後ろにも五基の石仏が並んでいた。
右から 地蔵菩薩立像 延享4(1747)錫杖・宝珠ともにかけることもなく美しい状態を保っている。柔らかな雰囲気を持つ延命地蔵。
台の正面中央「百番札所諸願成就」右脇に造立年月日。左脇に施主上澤村 静室宗閑と刻まれている。
その隣 如意輪観音坐像 安永9(1780)二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。上部に西國・坂東・秩父と観音霊場を刻む。願主はこの地域の有力者のようだ。
続いて普門品供養塔 享和3(1803)石祠の正面に馬頭観音坐像を浮き彫りにして、その下には「普門品供養一万巻」と刻まれていた。石祠の右側面に造立年月日。左側面に武州入間郡鶴馬村上澤中。下の台の両側面には十数名の名前が刻まれている。
その隣に地蔵菩薩立像 正徳2(1712)舟形の光背は惜しくも一部が欠けている。中央に延命地蔵を浮き彫りにするが、その表面は摩耗のために顔の表情などはうかがえない。頭の上に梵字「カ」光背右脇「奉納□像?供養敬白」左側面に造立年月日。続いて武州入間之郡鶴馬村。足下には上沢施主 十八人と刻まれていた。
最後は聖観音立像 明治3(1870)二段になった台に乗った大きな蓮台の上、ややずんぐりとした体形の丸彫りの聖観音立像。右手の先は欠けている。
頭の上にはくっきりと、合掌する阿弥陀如来坐像。頭の後ろ、円形の頭光背の上半分が欠けてしまったのだろう。
下の台の正面「天下泰平」右側面中央に造立年月日。左脇に二十七世 瑠璃光寺 榮清と刻まれていた。
薬師堂の左側が墓地になる。その入り口に大きな大日如来坐像が立っていた。大きな基壇の上に台、塔部、蓮台、その上に坐像となり、全体では2mをゆうに超す。
丸彫りの金剛界大日如来坐像 明治3(1870)智拳印を結び、ゆったりと俗界を見下ろしている。
塔の正面 上部 蓮座の上に梵字「バーンク」と「ウン」を彫り、その下に「五穀成就」塔の右側面に造立年月日。左側面には當村折戸瑠璃光寺二十六世年七十九 堅者法印榮信建之と刻まれていた。
薬師堂の参道右側、奥に百観音が見える。雨除けのためにいつ行っても薄暗い。
百観音は三段に並んでいた。前の段は坂東三十三ヶ所、中央に秩父三十四ヶ所、後の段に西國三十三ヶ所、合わせて百観音になる。聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音、不空羂索観音と六観音がすべてそろい、立像あり、坐像ありとバラエティに富んでいる。
百枚写真を並べても仕方がないのでまとめて見ていただく。前の段の坂東三十三観音。右から一番 鎌倉の杉本寺、二番 逗子の岩殿寺、三番 鎌倉の田代寺、四番 鎌倉の長谷寺と続く。像は三番が千手観音、他は十一面観音。像の様子はほぼ同じような印象を受ける。幕末から明治初年にかけて、そんなに長くない期間に集中的に奉納されたもののようだ。
五番 小田原の勝福寺 十一面観音、六番 厚木の長谷寺 十一面観音、七番 平塚の光明寺 聖観音、八番 座間の星谷寺 聖観音 九番 都幾川の慈光寺 十一面観音。
十番 東松山 岩殿の正法寺 千手観音、十一番 吉見の安楽寺 聖観音、十二番 岩槻の慈恩寺 千手観音、十三番 浅草の浅草寺 聖観音、十四番 横浜の弘明寺 十一面観音。
十五番 高崎の長谷寺 十一面観音、十六番 伊香保の水澤寺 千手観音、十七番 栃木市出流の満願寺 千手観音、十八番 日光の中禅寺 十一面千手観音、十九番 宇都宮の大谷寺 千手観音。
二十番 益子の西明寺 十一面観音、二十一番 大子町の日輪寺 十一面観音、二十二番 常陸太田の佐竹寺 十一面観音、二十三番 笠間の正福寺 十一面千手観音、二十四番 茨城桜川市の楽法寺 延命観音。
二十五番 筑波山の大御堂 千手観音、二十六番 土浦の清瀧寺 聖観音、二十七番 銚子の円福寺 十一面観音、二十八番 成田の龍正院 十一面観音、二十九番 千葉市の千葉寺 十一面観音。
三十番 木更津の高蔵寺 聖観音、三十一番 千葉 長南町の笠森寺 十一面観音、三十二番 千葉県いすみ市の清水寺 千手観音、最後が三十三番 館山の那古寺 千手観音。こうやってまとめてみると坂東には十一面観音と千手観音が多い。
中央の段は秩父三十四観音。一番 四萬部寺 聖観音、二番 真福寺 聖観音、三番 常泉寺 聖観音、四番 金昌寺 十一面観音。四番は残念ながら破損していた。
五番 語歌堂 准胝観音、六番 卜雲寺 聖観音、七番 法長寺 十一面観音、八番 西善寺 十一面観音、九番 明智寺 如意輪観音。
十番 大慈寺 左手に子を抱く聖観音、十一番 常楽寺 十一面観音、十二番 野坂寺 聖観音、十三番 慈眼寺 本尊を調べると聖観音なのだがここでは十一面観音。十四番 今宮坊 聖観音。
十五番 少林寺 十一面観音 十六番 西光寺 千手観音、十七番 定林寺 十一面観音 十八番 神門寺 聖観音、十九番 龍石寺 千手観音。
二十番 岩之上堂 聖観音、二十一番 観音寺 聖観音、二十二番 童子堂 聖観音、二十三番 音楽寺 聖観音、 二十四番 法泉寺 聖観音。
二十五番 久昌寺 聖観音、二十六番 円融寺 聖観音、二十七番 大渕寺 聖観音、二十八番 橋立堂 馬頭観音、二十九番 長泉院 聖観音。
三十番 法雲寺 如意輪観音、三十一番 観音院 聖観音、三十二番 法性寺 聖観音、笠をかぶっているのは珍しい。三十三番 菊水寺 聖観音、三十四番 千手観音。秩父では聖観音が多い。
後ろの段は西国三十三観音。バックの光が強く逆光になり、クリアな写真は撮れなかった。一番 那智の青岸渡寺 如意輪観音、二番 紀三井寺 金剛宝寺 十一面観音、三番 紀の川市 粉河寺 千手観音、頭が欠けている。四番 大坂和泉市 施福寺 千手観音。
五番 大坂藤井寺 葛井寺 千手観音、六番 奈良高取 南法華寺 千手観音、七番 奈良明日香 岡寺 如意輪観音、八番 奈良初瀬 長谷寺 十一面観音、九番 奈良市 南円堂 不空羂索観音。
十番 宇治 三室戸寺 千手観音、十一番 上醍醐 准胝堂 准胝観音、十二番 大津 正法寺 千手観音、十三番 大津 石山寺 如意輪観音、断裂跡があり顔がはっきりしない。十四番 大津 三井寺 如意輪観音。
十五番 京都東山 今熊野観音寺 十一面観音、十六番 京都東山 清水寺 千手観音、十七番 京都東山 六波羅蜜寺 十一面観音、十八番 京都堂之前町 六角堂 頂法寺 如意輪観音、十九番 京都竹屋町 革堂 行願寺 千手観音。
二十番 京都大原野 善峯寺 千手観音、二十一番 亀岡 穴太寺 聖観音、二十二番 茨木市 総持寺 千手観音、二十三番 箕面 勝尾寺 千手観音、二十四番 宝塚 中山寺 十一面観音。
二十五番 兵庫加東 清水寺 千手観音、二十六番 兵庫加西 一乗寺 本尊は聖観音だがここでは千手観音のようだ。二十七番 姫路 圓教寺 如意輪観音、二十八番 宮津市 成相寺 聖観音。
二十九番 舞鶴 松尾寺 馬頭観音、三十番 長浜 宝厳寺 千手観音、三十一番は近江八幡 長命寺のはずだがここには観音像は見当たらない。三十二番 安土 観音正寺 千手観音、三十三番 揖斐川 華厳寺 十一面観音。西国三十三観音は聖観音、千手観音、十一面観音などがバランスよく並び、また坂東・秩父ではほとんど見られなかった如意輪観音像が六体もあるのが特色と言えるだろう。
馬頭観音は二基。改めて見てみよう。こちらは秩父の二十八番。三面六臂の坐像。頭上に馬頭を戴き、馬口印を結ぶ。残りの手には剣、蓮華のつぼみ、羂索、独鈷杵。
こちらは西国の二十九番。秩父二十八番と同じ構成。顔なども非常に良く似ている。同じ石工さんの仕事だろう。
百観音の脇に石塔が立っていた。自然石の正面「奉納 秩父・西國・坂東 百番供養塔」背面に明治2年(1869)の紀年銘。下のほうに納主とあり、大曾根氏二名の名前が刻まれている。
上沢踏切西三叉路 富士見市上沢3-3
県道266号線の上沢交差点から西に進み、東上線の踏切を越えてすぐ、右手の空き地の隅に庚申塔が立っていた。
庚申塔 寛政4(1792)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全面を白カビに覆われた中、白骨化したかのような青面金剛の顔は迫力がある。
足の両脇に二鶏。足下の邪鬼は青面金剛に似て丸顔だが、こちらはとぼけた愛嬌のある表情。その下には三猿が彫られていた。
塔の右側面に造立年月日。左側面には入間郡鶴馬村上澤中と刻まれている。