小谷場交差点北西路傍 川口市小谷場797
産業道路
芝坂下交差点を左折して西に向かう。小谷場の信号のところから
北西に斜めに入るとその先の角に庚申塔が立っていた。
庚申塔
享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持六臂。路傍だけに
全体に白カビが目立つ。右下に年号。
背中一面カビだらけの邪鬼の下に、三猿の頭の部分だけがのぞいていた。
伊刈力神社付近 川口市伊刈13
外環道の伊刈消防署交差点から南に歩くと左手に伊刈力神社が見えてくる。
その少し手前、やはり左手の路傍に庚申塔が立っていた。
庚申塔
寛延4(1751)正面 梵字の下「庚申供養塔」右側面 天下泰平國家安穏。
左側面に年号。その脇に武州足立郡浦和領伊苅村と刻まれていた。
台の正面に三猿。台の両側面には合わせて十数名の名前を刻む。
すぐ先の伊刈力神社の入口脇にも石塔が立っている。
猿田彦大神塔
安政5(1858)右側面に年号。左側面「登壇敷石一式」願主個人名。
岸川中学校西路傍 川口市前川町4
神社の前の道をさらに南に歩く。やがて道幅が狭くなってすぐ左折すると
左手の角に庚申塔
万延元年(1860)が立っていた。この道をさらに東に
歩くと岸川中学校に出る。
右側面
カビの中にかろうじて わらび 戸田 みち と見える。
左側面
年号が刻まれ、脇に 川口みちと読める。その隣にもう一地名が
あるようだがこちらは判読できなかった。
芝樋ノ爪地蔵堂墓地 川口市芝樋ノ爪1-15
蕨駅の北、県道235号線芝樋ノ爪交差点と芝樋ノ爪小学校のちょうど真ん中、
細い路地の中に墓地がある。門を入ってすぐ左側に庚申塔
寛文12(1672)が
立っていた。
中央に阿弥陀如来立像を浮き彫り。脇に日月。造立年月日は薄くみえている。
三猿・二鶏ははっきり彫られているが邪鬼の姿は無い。
その反対側にも庚申塔
貞享元年(1684)やはり阿弥陀如来を主尊としている。
下部は多く草に埋もれ、さらに一部は土に埋もれてもいるようだ。
光背右に「阿弥陀如来尊像奉庚申講石塔」その脇に「為二世安楽也」と刻む。
施主名などは土中ではないだろうか、確認はできないが・・・
その奥に観音菩薩坐像
天保3(1832)これも下半分が土中に埋まり詳細は不明。
芝樋ノ爪交差点西路傍 川口市芝大字3170
芝樋ノ爪交差点の西100mほど、遊歩道の入口に庚申塔が立っていた。
庚申塔
文政13(1830)正面 日月雲の下「青面金剛」下の台に三猿を彫るが、
それぞれが女性のように、しなを作っているようで色っぽい。
塔の左側面に年号。脇に西 うらハ
ミちと刻まれている。右側面には東 はとがや
南 わらび
戸田 道。下の台のほうに芝村樋ノ爪講中と刻まれていた。
芝地蔵堂前 川口市芝2785
芝樋ノ爪交差点の東100mほど、細い道を左に入ると地蔵堂がある。その南西の角
電信柱に隠れるように庚申塔が立っていた。
庚申塔
文政11(1828)正面 大きく「庚申塔」下の台に三猿。この三猿も女性的だ。
上の庚申塔と造立年は2年違い。ほぼ同じ街道筋にある。同系統の石工だろうか?
三猿が彫られた台の左側面には芝村
神戸講中と刻まれていた。上の塔の側面は
西 わらび
戸田 道。さらに裏面に年号と地名。右側面にも地名が刻まれている。
フェンス側の二面は隙間が狭くて見にくいが、下にまとめてみた。
右側面 東
はとがや せん志う道 裏面 北うらハ なんぶ道となっている。
芝児童公園南東隅 川口市芝
芝樋ノ爪交差点の北100mほどのところで右折してすぐ、左手の公園の南東隅、
雨除けの下に石仏が祀られている。
台の上で合掌するこちらの丸彫の像は青面金剛ではなさそうだ。地蔵菩薩でも
ないし、その正体は?
塔の正面には「庚申供養塔」その下に三猿が彫られている。
塔の左側面には年号。右側面
武州足立郡芝郷辻村講中と刻まれていた。
芝小学校南西角 川口市芝5218
芝小学校の南西の四つ角のところに石塔が立っていた。
上部に馬頭観音菩薩坐像 文化9(1812)三面八臂。
下の台の正面 右 前川 鳩ヶ谷 中 わらび 戸田 左 うらわ と刻まれている。
台の左側面には年号。右側面「天下泰平 國家安穏 風雨順時 五穀豊穣」
中央に 江都四谷安禅寺と見える。
羽盡神社 川口市芝5379
産業道路 芝宮根交差点のすぐ西に羽盡神社がある。参道の左手に石塔があった。
猿田彦大神塔 文久元年(1861)正面「猿田彦大神」朱で塗られている。しめ縄で
見にくいが、両脇に「天下泰平 兆民安全」と彫られていた。
塔の左側面は白カビが多い。右側面 年号の脇に芝邨宮根 東 はとがや道だろう。
八雲神社 川口市芝高木1-15
産業道路 芝宮根交差点から東へ歩き、芝高木交差点を左折すると、右手に
八雲神社がある。境内の南の隅、ブロック塀の前に庚申塔が立っていた。
庚申塔 正徳6(1716)日月雲 合掌型六臂。上部に笠の跡。右脇に「奉供養庚申塔」
左脇には武州足立郡浦和領芝郷と刻まれている。
足の両脇に二鶏。足元に邪鬼。その下に三猿を彫る。カビが多いのが残念だ。
塔の右側面に年号。左側面には高木村講中二十三人と刻まれていた。
芝下町会会館 川口市芝下3-35
産業道路 芝下交差点から東へ300mほど歩き左に入ると芝下町会会館がある。
会館の向かい、庭の隅に石塔が並んでいた。一番右は敷石供養塔。
左 庚申塔 享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に邪鬼。
さらにその下に二鶏・三猿が彫られている。
左側面に「庚申供養塔」続いて年号を刻む。右側面には武州足立郡浦和領
芝下村中と刻まれていた。
右の庚申塔 享和3(1803)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持六臂。上部に笠の
跡がある。邪鬼は仰向けの悶絶型。二鶏・三猿は見当たらない。
塔の右側面に年号。左側面下部には芝村下講中と刻まれていた。
芝支所交差点北東路傍 川口市芝6856-1
外環道と産業道路の芝支所交差点から北東に川沿いの道を歩くと、角の所に
小堂が立っていた。ここから西に向かうと鶴ヶ丸八幡神社の参道に出る。
庚申塔
寛政11(1799)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持六臂。足元の
邪鬼はやんちゃ坊主のような表情で面白い。台の正面には三猿を彫る。
右側面に年号。堂の隙間から覗くと台の側面に荒金
鶴ヶ丸 講中とあった。
観福寺 川口市前川4-30
前川観音として有名な観福寺。門を入った右側、六地蔵の向こうに庚申塔が並ぶ。
右から 庚申塔
寛政6(1794)正面 梵字の下に大きく「庚申塔」と彫られている。
台の正面には細かい字で二十数名の名前が刻まれていた。
塔の裏面には年号。台の裏面に前川村、願主二名の名前が刻まれている。
隣
やや小ぶりの庚申塔 寛政11(1799)塔の正面にこれも大きく「庚申塔」と彫る。
塔の右側面
右は はとがや道。左側面には年号が刻まれ、続いて 左は 大宮道
南は
善光寺道となっている。また、台の側面には三十人ほどの名前が刻まれ、
裏面に前川村
願主一名の名前が見られる。
左 庚申塔
文政7(1824)塔の正面 大きな梵字(ウーン)を彫りその下に「庚申」
二重になった上の台の正面におおkなじで「講中」と彫る。下の台の正面と裏面
合わせて三十数名の名前が刻まれていた。
門を入った左側にも石塔が並んでいた。ひときわ大きな庚申塔が目を引く。
庚申塔
明治11(1878)自然石に大きく「庚申」左脇に山岡鐵舟拝書と読める。
裏面には年号と施主20名の名前が刻まれていた。
観福寺東墓地 川口市前川町4-602付近
観福寺の門前を北に向かう。少し歩くと道を挟んで両側にそれぞれ大きな墓地が
広がっていた。東の墓地に入り一番奥、北東の隅に石仏が並んでいる。
左から地蔵菩薩立像
貞享5(1688)光背右に僧名が見える。造立年から言うとかなり
保存状態はいい。錫杖も宝珠も健在で美しいお地蔵様だ。
隣 庚申塔
享保19(1734)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。後ろの四本の腕の形が
途中で直角に折れて上下に重なるこの形、さいたま市内でも見たことあったが、
川口では特に多く見られるように思う。平たい帽子をかぶったような頭部の形も
独特だ。青面金剛の口元には牙が見え、首にはドクロの首輪だろうか。足元には
ギャグまんがに出てきそうな邪鬼。その下に二鶏・三猿がしっかり彫られている。
塔の左側面に年号。右側面に「奉造立青面金剛像為二世安樂也」と刻まれていた。
その隣 庚申塔
元文3(1738)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。邪鬼は正面向きで
両手を広げているようだ。そのあたりになぜか赤っぽい粉があって見にくい。
塔の右側面「奉供養庚申待除災□□所」左側面には年号。続いて講中敬白と刻む。
観福寺西墓地 川口市前川町4-602付近
門を入るとすぐ先に万霊塔があり、四面それぞれに多くの石仏が集められていた。
南の面の正面に六地蔵が並んでいる。一部光背の様子が微妙に違う感じがするが、
全体に統一感はある。
左から三番目のお地蔵様の光背右に「奉造立六地蔵菩薩」光背左に宝暦二(1752)
とあり、その下には前川村講中と刻まれていた。
墓地の北東の角付近にも多くの石仏が並んでいた。前列右端に庚申塔が見える。
庚申塔 享保11(1726)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ここに集められた石塔は
いずれもカビが多く文字、像容ともはっきりしないものが多い。カッと口を開けた
青面金剛はドクロの首輪をして、その腕はやはり上下に直角に折れた形である。
光背左上に年号。光背右に「奉像青面金剛像」その下に薄く講中と刻まれていた。
足元にもっさりとした邪鬼。その下に三猿を彫る。二鶏は見当たらなかった。
東向きの面にも庚申塔がいくつか見られる。やはり保存状態は良くない。
前列左端、庚申塔 享保15(1730)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持六臂。
左手に鈴、右手にショケラはちょっと珍しい。ショケラは瀕死状態だろうか。
やはりドクロの首輪に後の手は上下に直角に折れる独特の形。このあたりでは
この形はそんなに珍しくないようだ。
足元に邪鬼、二鶏、三猿と続くが、残念ながら左の猿は欠けていた。
塔の左側面に年号。右側面「奉造立青面金剛像為現當二世安樂也」と刻む。
その後ろの列、中央付近に庚申塔 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持六臂。
白カビがひどく、さらに前の列の石塔も邪魔になって見えにくいし、両隣との
隙間も狭くて造立年等詳細はわからない。
無理やり覗き込んでみると、邪鬼の下に三猿まではなんとか確認できた。
もうひとつ上の段の中央付近、庚申塔 享保日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
頭の上で蛇がとぐろを巻いている。光背右「奉供養庚申二世安樂所」と刻む。
前の石塔の間から足元を覗き込むと邪鬼と目が合った。その下には三猿を彫る。
その隣、庚申塔 元禄13(1700)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。状態は悪い。
邪鬼を踏む青面金剛の足のポーズがユニークだ。その下に三猿の姿が見えた。
北向の面の中央に庚申塔 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。さらに状態は悪く
ここまでくると流石に細かいことは確認できない。足元にはかろうじて邪鬼か。
大信寺 川口市前上町2
蕨駅東口から県道111号線を東へ歩く。産業道路を越えてさらに10分ほど行くと
左手に大信寺がある。境内に入ると本堂の階段の脇に石仏が並んでいた。
左
大乗妙典供養塔 文化13(1816)正面「奉納大乗妙典日本廻國供養塔」
脇に「天下泰平」さらに年号が刻まれている。
塔の左側面には武州足立郡戸田領上青木村行者
浄往と刻まれていた。
真ん中に庚申塔
正徳2(1712)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
光背脇に造立年月日を刻む。左下脇に上青木村と刻まれている。
足の両脇に小さな二鶏が線刻されていた。足元に邪鬼。背中が平で青面金剛の
踏み台のようだ。その下に三猿。三猿の下には20名程の名前が刻まれている。
右
地蔵菩薩立像 享保6(1721)錫杖の先が欠け、頭部には補修された跡がある。
下の台の正面
中央に「念佛講施主二十人」右脇に年号。左脇 上青木村とあるが
そのあとはうまく読めない。願主である僧の名前だろうか。
台の右側面を見ると地蔵像と蓮華座が文政2(1819)に前川村願主斎藤氏によって
再建されたことがわかる。台だけが創建当時のもののようだ。