東貝塚・峯・新堀・榛松の石仏

新郷若宮公園東路傍 川口市東貝塚71の南

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安行原交差点の南500mほどで東に入ると貝塚で有名な新郷若宮公園がある。
公園の南を回りこむように細い道があるが、この道を進むと公園のちょうど
真東あたり、道の右側に祠があった。その両側に石塔が立っている。

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左 庚申塔 文化121815)正面 日月雲の下「庚申塔」両脇に造立年月日を刻む。

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塔の左側面 峯村とあり、その下に5名の名前。右側面 貝塚村とあり、その下に
やはり5名の名前が刻まれているが、ちょうどそのあたりは剥がれ落ちそうだ。

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祠の右に 庚申塔 延享2(1745)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持ち六臂。
「川口型」彫りはかなり鋭角的。上部の日月雲が太いまゆげのようで面白い。
足元には邪鬼。続いて二鶏・三猿。見慣れた風景である。

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塔の右側面「奉造立庚申尊像一躯為除災興樂二世安樂也」左側面 上部に年号。
その下に講中とあり、十数人の名前が刻まれていた。


新光寺 川口市峯1319

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峯ヶ岡八幡神社のすぐ東に天台宗寺院の新光寺がある。山門を入ると静謐な
空間が広がっている。参道の左奥、庭の片隅にポツンと祠が立っていた。

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祠の中 庚申塔 元文元年(1736)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。祠の中は
薄暗い。ここにも「川口型」の青面金剛。像の表面は若干風化が見られるが、
三眼つり目、ドクロの首輪など、主な特徴は確認できる。

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足元をのぞきこむと、丸くうずくまる邪鬼、三猿の真ん中の聞か猿の両脇に
ひよこに似た二鶏。この構図は昨日紹介した榛松不動院の寛保3(1743)の
庚申塔、その前に紹介した本蓮普門寺の寛延2(1749)の庚申塔とそっくりだ。
ほぼ同じ時期、そう離れていない地域。同じ系統の石工の仕事だろう。

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塔の左側面に年号。右側面 谷古田峯村講中「為二世安樂也」と刻まれている。

峯 辰井川左岸路傍 川口市峯53

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峯交差点から県道34号線を東に進み横道交差点を右折する。すぐに川を越えるが
この川沿い、両側に道路がある。川の左岸の道路をたどってゆくと、やがて左手
小堂の中に庚申塔が祀られているのが見えてくる。

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庚申塔 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。塔の右側面に谷古田領峯村。
左側面は堂の板壁との隙間が狭く確認できないが年号が刻まれていると思われる。
立派な瑞雲の下、蛇を頭に三眼の青面金剛。口の端に見えているのは牙だろうか。
右脇に「奉造立青面金剛」左脇に「為二世安樂也」と刻まれていた。

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足の両脇にしっかりと二鶏を彫る。邪鬼はふんどし姿で右向きにうずくまるが、
その目つきが青面金剛とそっくりだ。さらにその下には正面向きの三猿。

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隣に立っている、これはなんだろう?表面が完全に剥落してしまっていて文字も
確認できないが、観音様とかお地蔵様だったのだろうか?


正源寺 川口市新堀934

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県道103号線 新堀交差点の南100m、左手に正源寺の山門がある。境内に入り
参道を進むと左側にお地蔵様が祀られていた。その後ろを回り込むように
細い道が整備され、庭木の中に四基の石塔が立っている。

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地蔵菩薩立像 脇の解説板によると「いぼ地蔵」というらしい。像の裏に文字が
刻まれているが近くへ寄ることができない。かすかに「権大僧都」「阿闍梨」と
見えるが、年号などは確認できなかった。

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入口近くから順に 普門品供養塔 嘉永3(1850)正面 梵字(サ)の下「普門品供養」
その脇に薄い彫りで明治十八年 一万觀供養と刻まれているが、明らかに文字が
違う。あとから付け加えられたものだろう。下の台の正面に大きく「講中」
両側面にそれぞれ十名ほどの名前が刻まれていた。

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塔の右側面 天下泰平 國土安穏。左側面に年号を刻む。

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続いて 庚申塔 享保19(1734)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
発達した瑞雲の下 青面金剛の頭には大きな蛇がとぐろを巻き、その両脇に
「奉造立尊像」右下に「為二世安樂也」と刻まれている。

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足の両脇に二鶏。足元の邪鬼はじっと様子を伺っている。さらに前の台に三猿。
脇の二猿が中央の猿に背を向け、悩み事でもあるかのようにうずくまっていた。

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塔の右側面に年号。左側面には谷古田領新堀村 庚申講中十八人と刻まれている。

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さらに進むと 二十三夜供養塔 寛文5(1665)梵字(サク)の下に勢至菩薩坐像。
古いわりに像の状態はいい。その下の部分に文字が見えるが読み取りにくい。
多分、施主十数名の名前ではないだろうか。

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勢至菩薩の右脇「奉待二十三夜現當成就所」続いて道行衆とある。左脇には年号。
その下に谷古田之内新堀村さらに敬白と刻まれていた。

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最後に三社大權現供養塔 享和3(1803)正面上部 瑞雲の上に「日」を現すのだろう
大きな円の中に羽黒山・湯殿山・月山。その下に「三社大權現供養」両脇には
天下泰平 國土安穏と刻まれている。

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塔の右側面に年号。さらに世話人名を刻む。左側面には 足立郡谷古田領新堀村。
隣に 西國 秩父 坂東 そのあとは崩落寸前でよくわからなかった。


新堀交差点北路傍 川口市新堀804

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県道34号線の横道交差点から南へ向かう。新堀交差点の少し手前、信号のある
交差点の右側角、雨よけの下に石塔が立っていた。

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庚申塔 正面上部を彫りくぼめてその中に青面金剛立像。足元には瑞雲を彫る。
下部には 北 いわつき道 西 はとかや道 東 そうか道 南 江戸道と刻まれる。
辻に立ち、道しるべとしての役割が大きかったではないだろうか。

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塔の右側面に年号。左側面 新堀村 講中とあり、願主2名の名前が刻まれていた。
この石塔も邪鬼・二鶏・三猿や「庚申供養」の文字などが見当たらないのだが、
戒名などが刻まれた個人の供養塔というわけではなく、講中のものらしいので
道標を兼ねた庚申塔と考えるべきなのかと思われる。

不動院 川口市榛松2-2-30

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バス通りの榛松バス停のところで南に入ると不動院。榛松中学校の真西になる。
入口の両側、ブロック塀の前に石塔が並んでいた。入口右側には弘法大師供養塔、
戒壇石塔、石灯籠など5基の石塔が並んでいる。

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入口左側。右から 馬頭観音立像 寛保3(1743)三面六臂。後の二組の腕が直角に
曲がっている。馬頭観音まで「川口型」があるのだろうか?足元の台の正面に
数名の名前が刻まれていた。

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正面の顔は忿怒、脇の顔は慈悲相か。光背右「奉造立馬頭観主念佛講村中安全攸」
光背左には年号が刻まれている。

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隣 庚申塔 元文5(1740)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。全体にカビが目立つ。
蛇を頭に乗せ三眼の青面金剛は目を吊り上げて睨む。

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足の両脇に二鶏。足元の邪鬼の顔が個性的だ。三猿は揃って頭を抱えていた。

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左 庚申塔 寛保3(1743)日月雲 青面金剛立像 六臂。左手に鈴、右手にショケラ。
頭頂部が平らな髪型、ドクロの首輪、直角に曲がる腕。これも「川口型」だ。
塔の右側面に年号。左側面にはひらがなで7つ、漢字で4つ名前が刻まれている。

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足元に邪鬼・二鶏・三猿。この部分は前回紹介した普門寺の寛延2年の庚申塔と
非常によく似ている。造立年も近い。同じ系統の石工だろうか。

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その左 庚申塔 延宝8(1680)日月雲 青面金剛立像 合掌型四臂。穏やかな相貌。
四臂の青面金剛は珍しい。光背右「奉待庚申二世安樂一□敬白」と刻まれる。
光背左に年号、下に榛松村。その下にも文字が見えるが読み取れなかった。

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足元に邪鬼の姿は見られず、大きめな三猿と二鶏が彫られている。

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一番左 真っ二つに割れた庚申塔の下の部分だけが残されていた。青面金剛の
足元に丸い顔の個性的な邪鬼。その下は三猿のうち左の二猿だろう。右の猿は
塔の破損とともに欠けたものと思われる。真ん中の猿は御幣を持ち踊っている。
結構凝った作品だったのかもしれない。惜しい!年号等詳細は不明。

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塔の右側面に うかみち(そうかみち)左側面には かやみち。はとがやみちだろう。

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門を入って本堂へ向かう参道の左側に六地蔵が立っていた。奥に寛保元年(1741)の
宝篋印塔、延宝3(1675)の地蔵菩薩立像と続くが、いずれも個人の供養塔だった。

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六臂地蔵菩薩立像 元禄6(1693)どの光背にも点々と白カビがついている。

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後ろに回ると背中に年号があり、脇に「奉造立六地蔵念佛講衆二世安樂」続いて
施主敬白と刻まれていた。

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入口近く、左側の墓地のほうに回りこむとブロック塀の前に二体のお地蔵様が
立っている。

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左 地蔵菩薩立像 寛文8(1668)長い年月を耐えて錫杖も宝珠も健在。光背右に
「奉待庚申供養二世安樂」左に年号。下部、両脇に「敬白」と刻まれていた。

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右 地蔵菩薩立像 安永9(1780)光背右に「奉造立地蔵大菩薩」左には年号。
その下に念佛講中と刻まれている。

不動院西路傍 川口市榛松1-10

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不動院の西、住宅街にある倉庫の前に祠が立っていた。

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祠の中 庚申塔 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元から下がひどく
破損している。邪鬼・二鶏・三猿などの要素は見えない。

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塔の右側面 個人の戒名と命日があり、脇にそうかみち。その下に施主 大鐘氏。
左側面にも二つの戒名と命日があり、こちらは はとがやみち と刻まれていた。
三つの命日はいずれも天保年間。塔の造立も1850年頃と思われる。主尊の像は
青面金剛だとは思うのだが、庚申などの銘も三猿なども見当たらず、これを
「庚申塔」と判断するのはどうなのだろう?若干疑問に思った。