福寿院 川口市赤井1197
鳩ヶ谷駅から東へ20分ほど歩くと、川口特別支援学校のすぐ南に福寿院がある。
本堂の右手奥に墓地があるが、その塀の前に三基の庚申塔が並んでいた。
右から庚申塔
元禄9(1696)梵字の下、日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
光背右に「奉造立庚申待諸願成就二世安樂祈所」光背左に年号が刻まれている。
その下に施主敬白
導師福壽院と続き、脇に□□村と見えるが読み取れない。
足元に邪鬼。その脇に二鶏を線刻し、さらに三猿を彫る。風化のためか顔も
はっきりしない邪鬼、手足も小さく折りたたみ情けない姿になっている。
三猿はやはり可愛らしい。
真ん中 庚申塔
文政3(1820)正面 くっきりと日月雲、その下に「庚申塔」
下部に三猿が彫られていた。
塔の左側面には年号。その脇に
是よりはとがやミち三丁と刻まれている。
右側面には武州足立郡舎人領赤井村。脇に是よりいわつき美ち四リとある。
三猿は両脇の二猿が向き合うと真ん中の猿は正面向きが普通だが、ここでは
真ん中の猿はやや半身に構えている。そんなに大きなサイズではないのだが
それぞれが生き生きと彫られていた。非凡な三猿だ。下の台の正面に願主、
8人ほどの名前が見えるが最後に草加石工
青木某と刻まれている。
一番奥 庚申塔
天保13(1842)正面に大きく「庚申」その下に講中と彫る。
塔の右側面に
右 せんじ三里 左側面には 左 せう加宿一里半だろうか。
宝泉寺 川口市大竹248
さらに南へ歩く。「新郷図書館東」交差点で左折し、お寺の案内看板に従って
狭い道をもう一度左に入ってゆくと宝泉寺の山門の前に出る。山門をくぐって
参道を進むと左手の小堂の中にお地蔵様と六地蔵が祀られていた。
左
地蔵菩薩立像 享保元年(1716)光背左「天下泰平國土豊盈」下に願主 僧名。
足の下の部分に供養施主と刻まれている。
光背右に
六十六部願満地蔵とあり、その下には年号が刻まれていた。
六地蔵菩薩立像は台の色などが不揃いだが、それぞれの姿形は似通っている。
台の銘を見てみたが造立年などは確認できなかった。
右
地蔵菩薩立像 元禄7(1693)光背左に年号。右に「奉建立地蔵菩薩」と刻む。
光背下部には
庚講中 願主とあり、足の下の部分に十数名の名前が刻まれていた。
新郷支所南五差路角 川口市東本郷973
県道34号線
新郷支所北交差点から南に入り2分ほど歩くと五差路に出る。
その角に小堂が立っていた。上の住所は写真右の商店の場所の住所になる。
小堂の中には四基の庚申塔が並ぶ。大きなお賽銭入れが結構邪魔になっている。
小堂の左側面
庚申塔 享和3(1803)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
炎のように逆巻く髪が印象的。頭の上には蛇だろうか。表面は風化が進み、顔の
表情などははっきりしない。さらに足元付近が一部欠けているが、両手を広げて
仰向けの邪鬼が彫られているようにも見える。二鶏・三猿は見当たらなかった。
塔の右側面に年号。左側面には「所願成就」と刻まれている。
正面左 庚申塔
元文元年(1736)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらも
像の表面は丸みを帯びている。光背上部「庚申溝中」溝→講だろう。右に
三拾人。光背左には年号が刻まれていた。
足の両脇には小さく二鶏が見える。足元の邪鬼はのっぺらぼう。その下には
三猿かと思って見てみたが、どうやら文様のようだ。
中央 庚申塔
天明8(1788)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。顔の表情
各腕の持物、合掌するショケラなど、細かく力強く表現されている。
足の両脇の二鶏は写実的で美しい。その下の邪鬼・三猿はいずれも立体的で
全体に凝った仕事がされている。
塔の右側面に年号。その右脇に「諸願成就所」と刻まれていた。
左側面の下部には谷古田領本郷村
講中十四人と刻まれている。
右 庚申塔
元禄2(1689)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。目を吊り上げて
睨みつけている。光背右「奉奇進庚申」奇→寄だろう。光背に年号を刻む。
足元に邪鬼と三猿。三猿の下に10名ほどの名前が刻まれていた。さらに下の台の
正面にも三猿が彫られている。二組の三猿というのは初めて見た。写真がうまく
撮れなかったのでいつか再訪して撮り直してみたい。
小堂の外にも庚申塔
嘉永6(1853)が立っていた。正面に「庚申講」と彫られる。
その下に西
川口へ一里半、さらに東とあってその後に地名があるが読めない。
右側面には年号。その脇に□□へ一り
とあるがこれも良くわからなかった。
下部には本郷邑と刻まれている。左側面は隙間がなく詳細は確認できない。
東養寺 川口市東本郷1174
さらに南に歩くと左手に新郷公民館、その先の左奥に東養寺がある。山門の前に
出るにはぐるっと南から回ってこなければならない。参道右手に石仏が並ぶ。
手前 庚申塔
元禄5(1692)唐破風笠付の大きな石塔である。上部に日月雲を彫る。
正面
舟形に彫り窪めた中 梵字の下に青面金剛立像 合掌型六臂。その脇に年号。
足の両脇に二鶏を線刻。足元には邪鬼。さらに大きめな三猿が彫られている。
三猿の下の部分にカナ文字で講中十数名の名前が刻まれていた。
庚申塔の隣の聖観世音菩薩立像は個人の供養仏だった。奥に並ぶ六地蔵菩薩立像。
光背や足元の台の形など、微妙に不揃いな感じがする。一番左のお地蔵様の光背に
「奉供養地蔵菩薩成就之所」とあり、元禄8(1695)の銘が刻まれていた。
普門寺 川口市本蓮1-12-27
県道58号線と首都高速川口線の交差点の一つ東の信号のある交差点を北に
入ると左側に普門寺がある。本堂に向かう門の外、右脇に石塔が立っていた。
戒壇石
元禄2(1689)ある本を読んでいたら、以前からときどき見かけていた
「不許葷酒入山門」などと刻まれた石塔を戒壇石というらしい。禅宗のお寺に
多いそうだ。こちら正面に「不許酒肉五辛入院内」と刻まれていた。元禄2年と
相当に古く、右側面は一部が欠けている。
門を入って参道の右側、ブロック塀の前に六地蔵が並んでいた。
右から
地蔵菩薩立像 正徳2(1712)光背右「奉造立地蔵尊像一結講中」とある。
光背左上に年号。左下には施主
榛松□□女中敬白と刻まれていた。
2番目
地蔵菩薩立像。以下の五体はすべて光背左上に 正徳2(1712)の銘がある。
光背右「奉造立地蔵尊像一結講中」左下 施主
蓮沼村女中敬白と刻まれる。
この二体は女人講中によって造立されたものと思われる。
3番目
光背右「奉造立地蔵尊像為妙□淨教證大菩提也」左下 施主 個人名。
4番目
光背右「奉造立地蔵尊像一結講中」左下 施主 本江村女中敬白。本江村を
調べてみたが良くわからない。本郷村のことだろうか?
5番目
光背右「奉造立地蔵尊像妙教玄以證大菩提也」施主□□□比丘尼敬白。
6番目
光背右「奉造立地蔵尊像為□親眷属菩提也」施主 蓮沼慈光敬白と刻む。
6体のうち3体は講中によるもの。像の規模も刻まれた銘も揃い、公私のもの
合わせてこの六体は同時に奉納されたものと思われる。
本堂の入口より南のほうに観音堂へ向かう朱塗りの山門があった。
観音堂の左手前、雨除けの下にお地蔵様が立っているのが見える。
地蔵菩薩立像
延宝8(1680)光背左に年号。光背右「奉造立地蔵菩薩」
像の下部、右「武州足立郡舎人領蓮沼村」左に「普門寺」足の下の部分に
数名の名前が刻まれていた。
お地蔵様の裏、普門品供養塔
明治15(1882)下の台の正面に大きく講中と彫る。
台の両側面に世話人とあり、それぞれ二十人ほどの名前が刻まれている。
その下の台の右側面に千住掃部宿
石工の名前が刻まれていた。
観音堂へ向かう参道の左側、ブロック塀の前に11基の石仏が並んでいた。
阿弥陀如来立像と馬頭観音立像がそれぞれ一基。あとは庚申塔である。
左の端から
庚申塔 正徳2(1712)駒型。日月雲の下「奉造立庚申待供養塔一基」
続いて左脇に一結講衆
二世安樂攸。上部両脇に造立年月日が刻まれている。
下部に大きめな三猿。その下には講衆十二名の名前が刻まれていた。
2番 庚申塔
享和4(1804)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。白カビが
まるで水玉模様のように全体に広がっている。逆立った髪の中央に蛇が見える。
塔の両側面には造立年月日が刻まれていた。
足の両脇に二鶏。邪鬼は青面金剛の足の下で目をつむって耐えている。その下に
三猿を彫るが、左の猿があまりはっきりしない。
3番 庚申塔
安永6(1777)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元の邪鬼は正面を
向き、腕を立ててM字型。目は丸く鼻が広く口をへの字にしている。よく見ると
青面金剛も似通った表情をしていた。その下の三猿は両側の猿が足を投げ出して
座りながら向かいっている。二鶏はみつからなかった。
塔の右側面「奉造立庚申塔」左側面、上部に年号。その下に講中二拾六人と刻む。
4番 庚申塔
元禄6(1693)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。ここでは一番古い。
光背右「奉造立庚申待供養」左には年号。その下に為二世安樂所と刻まれていた。
足元の邪鬼は風化のため貌がはっきりしない。その下に三猿。二鶏は見えない。
三猿の下にはカナで十数名の名前が刻まれている。女人講中だろうか。
5番 庚申塔
寛延3(1750)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。
足の両脇にはっきりと二鶏。さらに邪鬼・三猿と揃う。邪鬼はしっかり正面を
見据えているが、その顔が青面金剛に良く似ている。その邪鬼の顔を中心に
上からは青面金剛の足、斜め上から弓と矢、さらに二鶏、真下からは見猿、
斜め下から体を傾けた二匹の猿と、すべての要素が中心の邪鬼の顔を目指す、
シンメトリックな構図が面白く感じられた。
塔の右側面に「奉造立青面金剛諸願成就攸」左側面上部に
庚申需講 蓮沼村中
その下には年号が刻まれている。
6番 庚申塔
寛延2(1749)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。久々の「川口型」
光背右「奉造立庚申供養塔二世安樂攸」左上に年号。その下
講中二十六人。
足元の邪鬼はどこかで会ったことがあるような気が・・・三猿は両端の二匹が
足を投げ出して座っている。その三猿と邪鬼の間の狭い空間にひよこのような
二鶏が彫られていた。
7番 庚申塔
天保5(1834)日月雲「庚申塔」右側面に年号。左側面に講中と彫る。
8番
馬頭観世音立像 天明2(1782)三面慈悲相六臂。頭上に天蓋が描かれている。
塔の左側面
上部に念佛講中 その下には年号が刻まれていた。目を閉じた横顔が
ひときわ寂しげに見える。
9番 庚申塔
元禄8(1695)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。全体に白く霞む。
右脇に「奉造立青面金剛像一尊
二世安禾之所」左脇に年号が刻まれていた。
青面金剛はきりっとした顔をしている。
足元に踏み潰されたカエルのような邪鬼。その両脇におおきく二鶏を彫る。
さらに正面向きの素朴な三猿。三猿の下には十数名の名前が刻まれていた。
10番 庚申塔
正徳2(1712)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。堂々とした
青面金剛の頭上には蛇、額にはドクロが覗く。その両脇に「奉納庚申」
膝のあたりの両脇に「二世安樂」左脇には年号が刻まれていた。
足元に邪鬼。その両脇に雛のような二鶏を彫る。こちらも三猿の下の部分に
十数名の名前が刻まれていた。
11番 阿弥陀如来立像
元禄16(1703)光背右に金剛佛子 願誉乗蓮 不生位。
真言宗の高僧の戒名ということだ。光背左には年号が刻まれている。
頭の上に梵字キリーク。穏やかに衆生を見守る眼差しは温かい。300年・・・
気の遠くなるような時の流れの中に、なにをご覧になってきたのだろうか?
本蓮三丁目公園 川口市本蓮3-13
県道58号線から南に入って公園の北東付近、雨よけの下に庚申塔が立っていた。
庚申塔 文政11(1828)正面「庚申塔」その下にかわいく三猿が彫られている。
塔の左側面 右 せん志ゆ 左 はとかや 道とある。右側面には年号。脇に
本郷村高畑講中と刻まれていた。
江戸二丁目交差点北路傍 川口市江戸2-4
南鳩ヶ谷駅の南東にある有明橋で新芝川を渡り、15分ほど歩くと江戸二丁目の
交差点にでる。その先の信号で左折すると右手の空き地にお地蔵様が立っていた。
日月雲
地蔵菩薩立像 延宝9(1681)いい石を使っているのか、手入れがよいのか、
350年を経て、その状態は驚くほど良い。光背左に年号。光背右「奉待庚申供養」
その下に施主とあり、両脇に渡り十数人の名前が刻まれている。
下部にしっかり三猿を彫る。スタンダードな三猿は存在感があった。
東光院 川口市江戸袋1-20-32
あづま橋で新芝川を東に渡り、500mほど歩き、新郷工業団地入口交差点を
右折する。やがて道は二股に分かれるが、やや左に入る道を進むとそこが
東光院の入口になる。大きな寺導
文化13(1816)が立っていた。正面上部、
不動明王の梵字の下「南無遍照金剛」右脇に四國八十八箇所移第七十八番。
下部に蓮沼村八丁半、大淵村十二丁。塔の左側面「不許酒肉五辛入院内」
塔の右側面
武州足立郡舎人領江戸袋村とある。裏面 観世音菩薩の梵字の下
「普門品供養塔」と刻まれていた。下部には新古講中
施入檀中と刻む。
長い参道を歩いてゆくと山門の手前、左側に六地蔵の小堂が立っていた。
大変きれいな彫りの六地蔵菩薩立像。造立年はわからないが光背の脇に
石工
神流齋青木宗義と銘がある。六体のうち二体は青木弟子政義作と
刻まれていた。真ん中、上部に観音菩薩坐像を彫った石塔にも青木宗義の
銘が見える。
山門をくぐり本堂に向かう。参道の右手に一石六地蔵石幢が立っていた。
六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている。正面に文字が見えるが、
彫りが薄くなっていてうまく読み取れなかった。
参道左手、本堂左手前には大型で凝った作りの宝篋印塔
元文5(1740)が
立っている。関東大震災の折に一部破損したものを再建したものらしい。
台の側面に十萬人講帳世話人とあり、30人ほどの名前が刻まれていたが、
鳩ヶ谷町、赤井村、中居村、上新田村、小淵村、樋ノ爪村、川口町、袋村
など、かなり広い範囲の村の人たちが建立にかかわっていたようだ。
宝篋印塔の奥が墓地になるが、その入口付近、地蔵菩薩立像を中心に
石塔がコの字に並んでいた。
中央
地蔵菩薩立像 享保6(1721)お寺の説明板に「延命地蔵尊」とある。
蓮台の下の台の正面に三猿が彫られていた。カビでかなり白くなっている。
台の右側面に年号。続いて江戸袋村
善男女人二十七人と刻まれていた。
左側面には「奉造立庚申講供養
地蔵菩薩二世安樂如意之所 施主敬白」
古いお地蔵様はよく錫杖の一部とか宝珠などが欠けていたりするが、
こちらはそんな気配は微塵もなく、きれいな状態を保っている。
左の列の一番手前、正面に蛇を彫った石塔。白カビのために文字は読めない。
蛇だけを彫った石塔は初めて見た。なんの供養塔だろうか?
その隣 庚申塔
安永6(1777)青面金剛立像 合掌型六臂。風化が進んでいて、
像の様子ははっきりしない。
近寄ってみると、下部に正面向きの邪鬼。下の三猿は右の二匹が左向きで
左の猿だけが右向きに座っているようだ。
塔の左側面に年号。脇に 左
かわくちミちと刻まれている。右側面は
上部に右とあり、その下に地名があるようだが読み取れなかった。
右の列手前
板碑型の庚申塔 宝永2(1705)正面「奉造立庚申待結衆二世安樂所」
左脇に年号。右脇 供養導師 東光院住
栄宝?と刻まれていた。