大袋新田・大袋・池辺の石仏

福昌寺 川越市大袋新田817[地図]


入間川街道をさらに西に進み、大田街道との交差点を越えた先、市民センター入口交差点の北西の角のあたりに福昌寺の入口がある。山門の手前、入口両脇に石塔が立っていた。


入口左脇 大きな基壇を持つ角柱型の石塔、その隣に舟形光背型の地蔵菩薩塔が並んでいる。


左 百番供養塔 文久2(1862)二段の台の上に大きな角柱型の石塔。正面に「觀世音百番供養塔」と刻まれていた。秩父・坂東・西國の百か所の観音霊場の順礼供養塔である。


塔の右側面には月山・湯殿山・羽黒山と山岳信仰の場として有名な出羽三山の名前が刻まれている。


左側面に「立山大(権現)」とこちらも山岳信仰を表す銘が刻まれていた。塔の裏面に造立年月日。続いて武蔵國入間郡大袋新田 寶林山福昌寺 十七世大周代。


四角い台の両側面に銘。右側面には五ヶ村六名の名前。左側面に世話人として大袋本村、大袋新田それぞれ一名の名前が刻まれていた。


その隣 地蔵菩薩立像 正徳6(1716)小さいが形の良い舟形光背にバランスよく地蔵菩薩立像を浮き彫り。白カビが多いものの銘はしっかりと読み取れる。光背左脇上部に造立年月日。その下に大袋新田寶林山前。その左に相刕願主法念敬白。願主となったご住職の生まれが相模の国ということだろう。


右脇「奉依日参念佛自他願力六道能化尊像造立」その隣に「三界萬霊頓証菩提」と刻まれていた。


入口右脇の石塔は唐破風笠付き角柱型で、三面に石仏を浮き彫り。残る面に銘が刻まれている。銘が刻まれた面が正面とすると、塔の左側面が道路を向いて立っていた。


正面中央に「前永平當寺四世大寶全大和尚禅師」こちらは高僧の供養のために造立されたものらしい。両脇に紀年銘。元文3(1738)□月□日は命日かもしれない。


塔の左側面には蓮台に立つ観音菩薩像。顔は中心がやや深く削られていた。


裏面に阿弥陀如来立像。風化の為に像は一部欠け、顔はやはりつぶされている。


左側面に勢至菩薩立像。その顔も同じようにつぶされていた。三面合わせて阿弥陀三尊ということになる。

 

大東市民センター北路傍 川越市大袋40南[地図]


福昌寺のある信号交差点から北へ進む。途中右手に大東市民センターを見てさらに250mほど先、道路右側、一段低くなった枝道に小堂が立っていた。


ブロックで囲まれた小堂の中に同じようなサイズの二基の石仏が仲良く並んでいる。堂内には千羽鶴とくす玉?が吊るされ、きれいな花が供えられていた。グーグルマップでこの場所を見ると「夜泣き地蔵」となっている。右のお地蔵様が通称「夜泣き地蔵」なのだろう。


右 地蔵菩薩立像 。大きな舟形の光背は中ほどに断裂跡があり、セメントで上塗り補修された部分は銘が消えてしまっている。


円形の頭光背を負ったお地蔵様、顔は削られたのだろう、やはりのっぺらぼう。光背右脇に「念」とあるが「念佛供養」か?


左脇に造立年月日が刻まれているが肝心の造立年は消えていた。干支は「辛丑」江戸時代で考えられるのは寛文元年、享保6年、天明元年、天保12年であるが、光背の形、全体の様子から寛文か享保と推測する。光背の右下に武刕入間郡大塚村。像は荒れてはいるものの衣装などの彫りは細かい。


左 馬頭観音立像 寛政12(1800)角柱型の石塔の正面に三面六臂の馬頭観音像。彫りは比較的浅く、顔の様子も今一つはっきりしない。四角い台の上の面には多くの深い穴が穿たれていた。


塔の右側面に武州入間郡大袋邨。この角度からみると左の顔の表情は穏やかで慈悲相のようにも思われる。


塔の左側面に造立年月日。その奥に「十方施入・・・・・・・」と銘が刻まれているが、彫りが薄く全部を読み取ることはできなかった。


四角い台の正面に銘があるが、深いくぼみ穴のためにその一部が欠けている。はじめは施主数人の名前かと思ったが、どうやら五文字八行、合わせて40文字の願文のようだ。

大袋白髭神社南路傍 川越市大袋248向[地図]


上の小堂のすぐ北のT字路を左に曲がると大袋の集落に入る。道なりにしばらく進み、左折して南へ向かうと右手に白髭神社があった。その先の交差点のところ、雨除けの下に石塔が見える。写真左の道が白髭神社から降りてきた道。石塔は西向きに立っていた。


庚申塔 享保13(1728)路傍にひっそりと立っているが、今でもその信仰は変わらないのか、いつもきれいな花が供えられている。


駒型の石塔の正面上部、蓮の花の上の円の中に梵字「ウン」右脇に「庚申供養」左脇に造立年月日。


右下に武州入間郡、中央、蓮の花の下の部分に大袋村、塔の下部に大型の二鶏を半浮彫り。その下の部分に正面向きの三猿が彫られていた。

 

東陽寺南T字路 川越市大袋168[地図]


前回紹介した「夜泣き地蔵」のすぐ北のT字路から西に入り道なりに進む。途中左折すると白髭神社があるが、今回はそのまま直進、突き当りT字路に大きな青い屋根を持った施設があり、その中央に小堂が立っていた。写真の場所から右へ道なりに進むと東陽寺の山門前に出る。


小堂の中 地蔵菩薩立像 元禄8(1695)美しい形の舟形光背を持つ古仏であるが、残念ながら風化の為か顔はのっぺらぼう、銘も薄くなっていて読み取りが難しい。


光背左脇に造立年月日。何度か通って、やっと年号が読み取れた。右脇の銘も難読。「武州入間郡大袋村善男女念佛講衆□□□□菩提造立之」貴重な講中仏であることは間違いない。


小堂の左脇にも石塔が立っていた。中央に「・・・・・大徳霊」とあり、こちらは高僧の墓石。脇に刻まれた享保13(1728)年の紀年銘は命日かもしれない。枠部右に願主名。左に大袋村中と刻まれている。生前、村の人々の為に尽くされた高僧(東陽寺の住職だろうか)の供養のために、村人たちがそれぞれに協力してこの墓石を造立したのだろう。

県道114号線卸売市場入口交差点東T字路 川越市大袋379向[地図]


上のお地蔵様の立つT字路から南へ向かうとその突き当り、T字路の角に石塔が立っていた。写真左の道の先が東陽寺、右の道を東へ進むと前回見た白髭神社南の庚申塔の立つ交差点に出る。


雨除けの下 馬頭観音立像 寛政10(1798)舟形光背に三面六臂の馬頭観音像を浮き彫り。川越市も西部に入ってからこのタイプの馬頭観音塔を本当に多く見かける。いずれその時代的分布、地理的分布についてまとめてみたいと思う。


像はかなり風化が進み、白カビも多く、六臂は確認できるが、顔のあたりはちょうど白カビがこびりついていて、三面ともにその様子ははっきりしない。


塔の右側面に造立年月日。左側面には願主 大袋村講中と刻まれていた。

 

東陽寺 川越市大袋133[地図]


前回紹介した地蔵塔のあるT字路を北へ道なりに進んだ先に東陽寺の入口がある。山門の手前、左側に小堂が立っていた。


小堂の中、中央に如意輪観音塔、両脇に六地蔵塔。こういった構成はときどきみかける。六地蔵の石塔部にはそれぞれ戒名、命日などが刻まれていた。


真ん中の如意輪観音塔の石塔の正面「三界萬霊」右側面に寛政11(1799)の紀年銘。続いて天下泰平 國家安全 五穀成就。


左側面には「奉彫塑?六地蔵尊 念佛講中」両脇に大袋村 信男女。この如意輪観音塔と六地蔵塔は寛政10年にはじめからこの組み合わせで一緒に造立されたものであることがわかる。


山門の先は、本堂のある境内まで細長い参道が続く。途中右側の大きな木の下に二基の地蔵塔が並んでいた。右の地蔵塔は白カビが厚いため石塔の銘がまったく読み取れず詳細不明。左の地蔵塔は天明年間の命日を持つ二つの戒名があり墓石だった。その左の石塔は大乗妙典供養塔 文化14(1817)左側面に施主として個人名が刻まれている・


本堂のある境内の西側一帯に墓地がひろがっている。その入り口あたり、左側に石仏が集められていた。


まずは北向きに並ぶ丸彫りの六地蔵菩薩立像 宝暦4(1754)塔の高さはちぐはぐだが蓮台が欠けていたり塔の一部が欠けているためで、六体の地蔵像の様子はよくそろっている。


六基の石塔の銘はまったく同じ、正面に「念佛講中」右側面に造立年月日。左側面に上青柳村と刻まれていた。

その奥にやや大型の地蔵菩薩立像 享保10(1725)塔全体に白カビが多いが銘はなんとか読める。正面中央「奉納地蔵尊念佛供養」念仏供養塔である。右脇に造立年月日。左脇に武刕入間郡青柳村中と刻まれていた。


奥のほうに東向きに三基の石塔。左端 普門品供養塔 文化5(1808)角柱型の石塔の正面中央「奉讀誦普門品一萬巻供養塔」両脇に造立年月日。


塔の右側面、武刕入間郡青柳村とあり、その下に六人の名前。左側面には□□屋敷とあり、その下に三人の名前が刻まれている。


真ん中に丸彫りの地蔵菩薩立像。堂々とした立ち姿は好感が持てるが、こちらは本来の石塔部を欠いているためか、まったく銘は見当たらず詳細は不明である。


右 聖観音坐像 慶応2(1866)舟形光背に浮き彫りされた観音像、左手に蓮の花?を持ち右手は与願印。顔は崩れ、髪形が異様に感じられるのは風化の為か?塔の右側面に造立年月日が刻まれていた。

 

前川地蔵 川越市池辺375[地図]


「夜泣き地蔵」のところから北へ進むと道路は緩やかに左にカーブして入間川の土手道に出る。そのカーブのあたり、そのまま北へ向かう細い道に入ると池辺の村落に入り、たぶんこの道が旧道と思われる。カーブのところから100mほど北、道路右側に小堂が立っていた。


小堂の中 丸彫りの地蔵菩薩立像 安永7(1778)顔も損傷はなく錫杖・宝珠ともきれいに残っていた。小堂の前にかけられた解説板によると「池辺前川地蔵菩薩」今でも毎年8月に祭礼が執り行われているという。


塔の正面には28文字の願文。


左側面に造立年月日。


右側面に武刕入間郡池辺村 老若男女中 十方助力と刻まれていた。

三明院 川越市池辺502[地図]


「前川地蔵」の前の道をさらに進むと、この道もやはりゆっくりと左へカーブしてゆく。300mほど先、道路右側に三明院の入口があった。入口右脇には大きな仁王像が立ち、その奥には六地蔵、その右のブロック塀の前に大きな基壇を持った石塔が立っている。



馬頭観音立像 寛政元年(1789)駒型の石塔の正面に三面六臂の馬頭観音像。大袋、池辺だけでこれが三基目、このあたりのスタンダードな馬頭観音と言えるだろう。


真ん中の顔の上、髪の中に馬頭がのぞいている。三面とも顔に白カビが多くはっきりしないが、忿怒相だろう。しっかりと馬口印を結んでいた。


塔の左側面に施主 武刕入間郡池邉村惣村中。


右側面上部の八文字は「離諸障難 威徳自在」馬の供養のための造塔ではないようだ。その下に造立年月日が刻まれていた。