寿町・豊田本・豊田町の石仏

白山神社児童遊園前 川越市寿町1-2301[地図]


入間川街道が野田町から寿町に入るあたり、道路右側に白山神社の入口があった。神社と同じ敷地の中、参道右は児童遊園、左には寿町一丁目集会所がある。児童遊園の前の一角に角柱型の石塔が立っていた。


馬頭観音塔 文化14(1817)梵字「カン」?の下に大きく「馬頭觀世音」


台の上の面に多くのくぼみ穴がかなり深く穿たれている。台の前面もそのため一部破損しているが、銘はかろうじて残っていて、右から「總村講中」惣村というのはよく見かけるが總村というのは珍しい。


塔の左側面は無銘。右側面に造立年月日が刻まれていた。

寿町郵便局東T字路かど 川越市寿町1-2258向[地図]


白山神社から400mほど西、道路右側に寿町郵便局がある。その少し手前のT字路の角に小堂が立っていた。このT字路を右に入ると、すぐ道は左にカーブしてその先は大東東小学校のあたりで大田街道に出る。


小堂の中 地蔵菩薩立像 享保13(1728)きれいな形の舟形光背を持つ地蔵塔。台の上部に多くのくぼみ穴が見える。


近づいてみると顔はつぶれていた。光背右脇「奉建立地蔵菩薩」左脇に造立年月日。


光背下部、左右に地名が刻まれていて道標になっている。右 こま をこせ 道、左 をうき町や 八王子 道。こちらのお地蔵様、路傍に立ち道行く人たちを見守ってきたのだろうか。

台の正面 真ん中に□□老村とあり、左右に講中と刻まれている。


小堂の左脇、街道に向いて四基の石塔が並んでいた。左端は銘が確認できず詳細不明。


右端 念仏供養塔 宝暦10(1760)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉拝阿弥陀佛名十萬遍供養塔」両脇に造立年月日。枠の部分に施主、個人名が刻まれている。


その隣 百番供養塔 享保13(1728)角柱型の石塔の正面「秩父 坂東 西國 百番供養塔」百ヶ所観音霊場順礼を記念して建てたものだろう。塔の右側面に造立年月日。破損したために文政6年(1823)に再建したものらしい。


左側面に施主とあり、二名の名前が刻まれていた。


続いて 順礼供養塔 天保4(1833)角柱型の石塔の正面「奉拝西國 秩父 四國 坂東 供養之寶塔」右側面に造立年月日。


左側面に行者 とあり個人の名前が刻まれていた。

 

西向き地蔵 川越市豊田本2-14[地図]


川越水上公園の東の信号交差点から大田街道を南に向かい、次の信号交差点を左折して250mほど先、道路左の空き地の奥にコンクリートの小堂が立っていた。尚美学園大学の入口の北東のあたりになる。


小堂の中に丸彫りの地蔵菩薩塔。その右脇に中型の石塔、左脇に小型の石塔が二基並んでいた。


地蔵菩薩立像 貞享5(1688)江戸時代初期の古仏である。尊顔はあいまいだが、近寄って見ると人為的な破損ではなくどうやら経年のための風化の様子、錫杖・宝珠は欠損なく納衣の彫りも比較的しっかり残っていた。


足元の前出の部分に講中 十七人と刻まれているが、紀年銘が見当たらない。ふと思いついて小堂の裏に回って見ると一部ブロックがはずされて窓になっていた。


お地蔵様の背中に造立年月日。ちょうど紀年銘が確認できる位置に窓を設けたのだろうか。江戸時代初期の経済成長期、元禄時代の直前、小さな村落の人たちが力を合わせて造立し大切にしてきたお地蔵様。300年以上もの長い間、お地蔵さまはそんな村の人々の暮らしを見守り続けてきたのだろう。

小堂の右脇 馬頭観音立像 寛延3(1750)隅丸角柱型の石塔の正面に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。白カビが厚く覆っているが、紀年銘だけはきれいに残っている。


ここまで馬頭観音塔は多く見てきたが、東部地域と較べると、川越市の西部には本格的な馬頭観音の像塔が多いように思われる。そのほとんどが三面六臂像で、こちらのような一面二臂像は比較的少ない。像の両脇に造立年月日。白カビの中、頭上の馬頭はくっきりと明快。


足元の部分もカビが厚く銘の読み取りは厳しかった。いろいろな方向からライトを当ててかろうじて一部だけ、右に施主、中央はたぶん「矢部」、左はちょっとわからない。


左脇の二基の石塔。いずれも風化が進み紀年銘は確認できない。右は一面二臂の馬頭観音立像。左は断定はできないがやはり馬頭観音の像塔と思われる。


右の石塔の左側面には豊田本村 施主とあり個人名が刻まれていた。

 

薬師堂 川越市豊田本2-6-12[地図]


尚美学園大学の近くにあった西向き地蔵の北、田んぼを隔てた先に薬師堂があった。その左手前、石灯篭の隣に石塔がたっている。


倶利伽羅不動尊像 宝暦10(1760)私が初めて倶利伽羅不動を見たのは目白不動尊の「倶利伽羅庚申塔」だった。似たような石塔をその後いくつか見てきたが、近くでは富士見市針ヶ谷の栗谷津公園、新座市北野の英インター北、崖下の水場あたりが記憶に新しい。


龍王が宝剣に巻き付き、その剣先を飲もうとする姿。いつみても印象的だ。ふつうは光背に火焔が彫られるが、こちらはその跡がない。光背右脇に造立年月日。左下に豊田村講中施主と刻まれていた。

善長寺 川越市豊田本3-13[地図]


尚美学園大学の西、大田街道との信号交差点からさらに西に入って少し行くと善長寺の入口に出る。その両脇に同じような規模の大きな石塔、右は戒壇石 天明4(1784)禅寺の門前でよく見かける。


左 大乗妙典供養塔 天明4(1784)正面に「妙典千部供養塔」右側面に「三界萬霊等」とあり三界万霊塔でもある。右の戒壇石と同じ年に当時の善長寺のご住職によって造立されたものらしい。


境内に入ってすぐ、参道左脇に小堂が立っていて六地蔵が並んでいた。その中央に如意輪観音。これまでも大袋の東陽寺、今福の妙見院などでも見かけた構成。


中央 如意輪観音坐像 寛政5(1793)角柱型の石塔の正面右に造立年月日。左に豊田村中。


六地蔵のうち左の三基の石塔を見ると、それぞれに戒名・命日や「先祖代々」などの銘が見え、一体づつ個人の造立と思われる。


右の三基の石塔は、豊田邑講中、同講中、同講中となっていて、こちらには左側面に世話人やお寺のご住職の名前などが刻まれていた。


右から3番目の石塔の右側面に文政10(1827)の紀年銘。如意輪観音塔の紀年銘は寛政5(1793)なので六地蔵のほうが34年後の造立ということになる。


本堂の左手前に大きな聖観音菩薩像を中心に多くの石塔、おもに無縁仏が並んでいた。


聖観音菩薩像の左脇、最前列に丸彫りの地蔵菩薩立像。白カビは多いものの尊顔は損傷なく、錫杖・宝珠ともに欠けずに揃っている。


厚い蓮台の下、角柱型の石塔の正面中央に「念佛講中」両脇に同行敬白 三拾壱人。立派な講中仏だが、残念ながら紀年銘は見当たらなかった。

 

大東東小学校南路傍 川越市豊田本4-15[地図]


大田街道をさらに南に進むと、左手に大東東小学校が見えてくる。その西門のところの信号交差点を左折してしばらく行くと、小学校の正門の向いにブロック塀に囲われて四基の石塔が北向きに並んでいた。左端の小さな石塔は銘がなく詳細不明。


右 庚申塔 元禄11(1698)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち?六臂。


風化の為に右手の剣の先は欠け、左手の持物は不明瞭。ショケラの髪だけが残っているように見えるが、あるいは羂索か?青面金剛の顔は削られていてのっぺらぼう。下部両脇に造立年月日。右脇の造立年の隣に施主は個人名が刻まれている。


足元にずんぐりとした邪鬼。その下、右から言わ猿、聞か猿、続いて、左には見猿の代わりに鶏が彫られていた。一邪鬼・一鶏・二猿というのは今までみたことがないユニークな構成である。


中央 馬頭観音立像 寛政9(1797)三段の台の上、角柱型の石塔の正面に三面六臂の馬頭観音像を浮き彫り。


頭上の馬頭、観音様の尊顔ともにあいまい。風化の為に全体に今一つはっきりしない。


一番上の台の正面 右に豊田本村、中央に大きく講中と刻まれていた。


塔の右側面に造立年月日。左側面には武州入間郡三芳野里と刻まれている。


その隣 如意輪観音坐像?天保2(1831)正面に「観音經講中」と刻まれた角柱型の石塔の上、敷茄子、蓮台を重ねてその上に観音菩薩坐像が載っていた。


頭部を欠く上に、風化の為に像が溶けかかっていて彫りがはっきりしないが、その全体の形から如意輪観音の二臂像と思われる。それにしてもその姿は痛々しい。


塔の右側面に造立年月日。左側面には豊田本邑前組。その隣に明治32年の紀年銘が刻まれているが、こちらは再建年月日だろう。

 

豊田町集会所裏の墓地 川越市豊田町2-28-7[地図]


入間川街道の寿町郵便局の手前のお地蔵様の小堂のあるT字路を右折して道なりに進む道は、大東東小学校付近で太田街道に出る。そのちょうどまんなかあたり、道路左側に豊田町集会所がある。その裏に墓地があり、入口に小堂が立っていた。中には卵塔と三基の地蔵菩薩塔。中央の舟形光背型の地蔵菩薩塔は墓石だった。


右 大乗妙典供養塔 宝暦2(1752)四角い台の上に角柱型の石塔、さらに蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。


近づいて見るとやはり顔がつぶれていた。これも人為的なものだろう。


石塔の正面中央「奉納大乗妙典六十六部日本回國供養」上部両脇に天下和順・日月清明。下部に武刕入間郡 豊田新田。塔の右側面に造立年月日。左側面に願主 現因覚證と刻まれている。


その隣 地蔵菩薩坐像 享保4(1719)角柱型の石塔の正面中央「奉造立地蔵菩薩」右脇に武刕入間郡豊田新田 念佛講中。左脇に造立年月日。両側面は無銘だった。


塔の上に左足を立てて座る丸彫りの地蔵菩薩像。錫杖・宝珠ともに健在。尊顔ははっきり、きりっとした顔立ちをしている。