朝霞市宮戸・朝志ヶ丘・三原の石仏

宮戸神社 朝霞市宮戸4-3-1

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志木市の宗岡方面から宮戸橋を渡ってすぐ左手、道路沿いに宮戸神社の鳥居が
立っている。階段を登ると二の鳥居があってその先が境内になる。

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急な階段の途中に古い石灯籠があった。石尊大権現塔 天保13(1842)竿部の正面に
「石尊大権現」両脇に大天狗・小天狗。裏に年号。下の台の三面に渡って願主ほか
20名近くの名前が刻まれている。

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階段を登りきって境内に入ると左側に力石が並べられていた。

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真ん中の石には銘が刻まれている。上部に「奉納」中央に五拾貳貫目(195Kg)
右脇に天保15(1844)四月吉日。左脇に高橋、木内両氏の名前があった。

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拝殿の前、対になった石灯籠、狛犬。こちらはいずれも昭和のものだった。

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拝殿の右側に境内社が並ぶ。手前から御嶽神社、日王子神社、白山神社。

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続いて天満宮 嘉永3(1850)中央に「天満宮」と刻まれている。

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塔の右側面に年号。続いて濱崎村とあり、高橋、須田、池田氏5名の名前。
左側面にも9名の名前が刻まれていた。

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その隣 水神社 寛政4(1792)石祠の中は確認できない。

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下の台の正面 中央に「奉造立水神宮」両脇に造立年月日。さらに新座郡
宮戸村 惣村中 願主八人と刻まれていた。

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さらに奥に進むと本殿の裏にも境内社、こちらはいずれも稲荷神社だった。
左から木祠が三基。あとは四基の石塔が並び、その奥にさらに一基の石塔。

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四基の稲荷神社。左から弘化3(1846)安政5(1858)明治13(1880)昭和7(1932)

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ぽつんと離れて立っていた一基。稲荷社 安永4(1775)右側面に年号。
左側面に宮戸村 施主 作右ェ門と刻まれていた。


寶蔵寺 朝霞市宮戸4-2-1

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宮戸神社の前の坂道を朝霞台方面に向かって進み登ってゆくと、交差点の左側に
寶蔵寺がある。交差点の右側は墓地になっているが、その入口の小堂の中、二基の
庚申塔が立っていた。

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左 庚申塔 延宝4(1676)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。表面は風化が進み、
顔などの様子ははっきりしない。足の下に三猿。三猿の下に二鶏が彫られている。
光背右に年号。光背左 武州宮戸村 同行三人敬白と刻まれていた。

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右 庚申塔 安永2(1773))日月 青面金剛立像 合掌型六臂。さらに風化がひどい。
塔の右側面に年号。左側面に施主 個人名を刻む。

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足の両脇に二鶏。足元に邪鬼。狭いところに小さく三猿が彫られていた。

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信号を渡ると広い駐車場の奥に山門。門の左側に六地蔵と小堂があった。

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小堂の中には合わせて四基の馬頭観音塔が祀られている。

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中央 馬頭観音立像 寛保3(1743)合掌型六臂。そのうち四臂は欠けていて二臂に
見える。それにしてもこれだけの大きな丸彫りの馬頭観音像はあまり見ない。

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蓮台に梵字「キャ」これは十一面観音をあらわす梵字だが・・台の正面中央に
「奉造立供養馬頭観音」両脇に造立年月日。願主として10名ほどの名前を刻む。

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右手前 馬頭観音塔 昭和18(1943)塔の左側面に年号と願主名。昭和18年再建と
なっているが、もとの建立はいつなのか?

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その奥 馬頭観音坐像 昭和33(1958)三面六臂。正面上部に梵字「ウーン」

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塔の左側面に年号。続けて宮戸村中と刻まれていた。右側面に「當観世音は
従来大字持ちなりしも暴風破損により再建立し衆議の結果寶蔵寺管理に移管す」
とすると昭和33年はやはりこの塔を再建した年だろうか?

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左 馬頭観音菩薩坐像 明治8(1875)合掌型二臂。塔全体に補修跡が残っている。
塔の右側面に年号。左側面には宮戸村中と刻まれていた。

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隣 六地蔵菩薩立像 明和2(1765)像の規模、台の様子などはおおむね揃っている。

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一番右の塔、下の台の正面に念佛講中と刻まれていた。二番目の塔の正面中央
「奉造立地蔵菩薩」両脇に造立年月日。下の台に施主2名の名前が刻まれている。
残る四基の銘もほぼ同じ内容だった。


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山門を入って左側 隅飾型の笠をもった宝篋印塔 寛延4(1751)が立っていた。
右側面に「権大僧都大阿闍梨法印宥長不生位」と刻まれている。

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基礎部裏面 中央に年号。右脇に天下泰平・國土安全、左脇に武州新座郡宮戸村
先之宝蔵寺住教善 造立之者也と刻まれていた。

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境内に入って右側 歴代住職の墓石の中に金剛界大日如来立像 延宝2(1674)
多少カビがあるが比較的美しい。

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像の裏 梵字の下に法印 権大僧都宥清不生位。両脇に造立年月日。さらに
宮戸村薬王山宝蔵寺住持と刻まれていた。

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境内の右側の築山の上に弘法大師像が立っている。本堂の脇によく見るが
こういう風景もまた気持ちがよいものだ。

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本堂右側の薬師堂の手前、植え込みの中に敷石供養塔 昭和9(1934)があった。
正面中央「弘法大師一千百年 遠忌記念敷石供養塔」左脇に年号。右脇には
御影石壹百六拾枚也。塔の左側面 寄付者 高橋氏の名前が刻まれていた。

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本堂の右脇に「高尾山参道」と刻まれた標石が立っている。本堂と鐘楼の間を
敷石に従って進んでゆくと・・・

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富士塚のような塚が築かれていて、石の階段の手前、両側に門番のように天狗の
像が立っていた。その台には昭和54年の銘がある。

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塚の頂上 飯縄権現塔 明治29(1896)白狐に乗り、剣と索を持つ烏天狗。火焔の
光背を持つ。下の台の正面に「高尾山」と彫られていた。

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その光背の裏面には年号が刻まれている。

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台の側面に發願主として3名の名前。続いて「新盛講社中」だろうか?

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両脇に一対の烏天狗の像塔 昭和26(1951)が立っていた。右の塔の裏面に年号。

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塚の右側に不動明王坐像 寛政9(1797)右手の剣と火焔光背の一部を欠いている。
台の正面 願主 宮戸村。講中、惣村中。左側面には年号が刻まれていた。


浜崎団地南 東武東上線沿い陸橋下 朝霞市朝志ヶ丘1-1

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北朝霞駅の北口ロータリーから東上線に沿って志木方面に歩くと陸橋の下に
馬頭観音塔が立っていた。写真左の道の先が北朝霞駅になる。

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馬頭観音塔 嘉永4(1851)正面「馬頭観世音」上部両脇に造立年月日。右下に
引又道 十五丁、左下に 宮戸道 十二丁と刻まれている。

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塔の右側面 右 ひざおり道 二十丁。

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左側面には 江戸道 六リ 願主 田中 孫四郎と刻まれていた。


六道地蔵 朝霞市三原3-7

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朝霞台から志木駅へ向かうバス通りの三原2丁目交差点は細い道も含めると
六差路になっていて、その三角になった角に地蔵堂が立っていた。地元の
人たちには六道地蔵として親しまれている。

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お堂は六角になっていて、そのうちの四つの面は鍵がかかっていない。

信号待ちの人も多くちょっと気が引けたが思い切って中を覗いてみた。

堂の中、結構大型の笠付石幢の六つの面にっそれぞれ六地蔵菩薩立像が
彫られている。保存状態はよく、全体に彫りもはっきりしていた。

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地蔵像の下、正面「奉納 日本六十六國」右隣の面に天明元年(1781)施主
濱崎村と刻まれている。後の面には施主 溝沼村 源左ェ門、他の面には
それぞれに戒名とその命日が刻まれていた。

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石幢の裏に隠れるように地蔵菩薩立像 寛政11(1799)正面 梵字「カ」の下に
合掌したお地蔵様を彫る。右脇に造立年月日。その下に濱崎村講中、左脇に
「奉建立地蔵大菩薩諸願成就」塔の右側面 北 川し道、左側面 南 江戸道と
刻まれていた。