東薬師堂 朝霞市浜崎4-3-8
県道112号線、JR武蔵野線の南の浜崎三丁目交差点、東の角に東薬師堂がある。
お堂に向かう道の左側に六基の石塔が並んでいた。一番左端には台のみが残る。
どんな石仏が立っていたのだろうか?
左から
聖観音菩薩立像 寛延2(1749)下の台の正面には十数人の名前を刻む。
全面白カビの中、左手に蓮のつぼみを持ち右手をそっと添えて観音様は
微笑を浮かべている。光背右「観音經五万巻讀誦供養」左に年号。
隣
馬頭観音立像 寛延2(1749)三面六臂。聖観音菩薩立像と同年の造立である。
文字も似ている。足元に施主
惣村中。台の正面に34人の名前が刻まれていた。
光背上部に梵字「ウーン」頭上に馬頭、三面見事な憤怒相。馬口印を結ぶ。
彫りも丁寧で迫力がある。光背右「石橋供養」左に年号。
3番目
巡礼供養塔 安永5(1776)笠付角柱塔。正面上部に聖観音菩薩坐像を彫り、
その下に大きく「供養塔」と刻まれている。
塔の左側面
梵字の下「西國三十三ヶ處願成就」下部に施主4人の名前を刻む。
右側面
やはり梵字の下に「坂東三十三ヶ處願成就」
裏面は隙間が狭い。こちらも梵字の下「秩父三十四ヶ處願成就」三面合わせて
百観音巡礼供養塔ということになる。両脇に造立年月日が刻まれていた。
さらに庚申塔
日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち?六臂。光背一部に
断裂跡があり、風化もかなり進んでいて、文字なども全く見当たらない。
足の両脇に二鶏。足元には不気味な邪鬼。三猿は中央のみが正面を向く。
その奥に不動明王立像。剣と索を持つ。光背にも台にも銘が見当たらなかった。
その立ち姿のせいだろうか、威圧感は全く感じられない。
一番奥 供養塔
文化5(1808)正面中央「心願濱崎邑薬師堂惣心」この薬師堂の
創建に関連したものだろうか?
参道の右側、六基の石塔と向かい合うように、新しい小堂の中に六地蔵と
如意輪観音塔が祀られていた。いずれも最近のもののようだ。資料によると
この東薬師堂には文化5年の六地蔵と如意輪観音塔があるということだった。
それを模して作られたものだろう。以前のものはどこに行ったのか、堂周辺、
裏の墓地を探して見たが残念ながら見つからなかった。
観音堂 朝霞市浜崎2-10
北朝霞駅の東200mほど、黒目川の水道橋交差点のすぐ西に観音堂の墓地がある。
階段の上、左側の小堂の中に石仏が並んでいた。
中央
如意輪観音菩薩坐像 下の塔の正面「南無阿弥陀佛」両脇にちいさな字で
信州
善光寺別當 大勧進大僧都亮寛と刻まれている。
舟形光背型の如意輪観音坐像
六臂。丁度首のあたりに断裂跡だろうか。
如意輪観音塔を挟んで両側に六地蔵菩薩立像が並んでいた。像も下の台も
かなり風化が進み、剥落が見られる。右から3番目の像の頭部は欠落か。
台にはそれぞれ戒名などが刻まれている。一番左
正面「三界萬霊有縁無縁」
左側面に武州新座郡宮戸邑
俗名石工高松利寿とあった。2番目の台の右側面
安政3(1856)の銘、3番目の台の右側面には文化6(1809)の銘が見える。
右の三基の台は崩落が目立つ。右から2番目の台は文字が全く見えない。
3番目の台の側面には文化4(1807)の銘が刻まれていた。
階段を登りきった正面に地蔵菩薩立像
宝永5(1708)光背左脇に年号を刻む。
光背右
為二世安樂濱崎村 念佛講中十九人と刻まれている。
三光院 朝霞市浜崎3-7
北朝霞駅から武蔵野線沿いに浦和方面に200mほど歩き右に入ると三光院が
ある。入口はぐるっと回って南側から。傾斜地にあり階段を登ることになる。
立派な山門をくぐり、境内右手に進むと馬頭観音堂があった。堂内には
六基の馬頭観音塔が祀られている。
左から
馬頭観音塔 明治33(1900)正面上部に 上岡、中央に「馬頭觀世音」
以前、志木市柏町行屋稲荷前で見かけたものと同じく「上岡馬頭観音」を
祀ったもののようだ。左側面に願主個人名。右
馬頭観音塔 昭和61(1986)
本当につい最近創建されたものだ。施主
夫婦の連名が刻まれていた。
3番目
馬頭観音塔 明治43(1910)上部に彩色された三面六臂の馬頭観音坐像。
下部に馬を浮き彫りにしている。見ているだけで楽しくなる。堂は施錠され
側面は見えなかったが資料によると右側面に年号と「宮家御用達」の文字が
左側面に豊多摩郡字下井草
馬糧商店などと刻まれているらしい。台の正面に
「松原」とあるがこちらの意味はわからない。
4番目
馬頭観音塔 明治28年(1895)日月雲の下、瑞雲付の馬頭観音坐像。
合掌型二臂。その下に「上岡馬頭觀世音」左側面に濱崎村
馬持中とある。
台の正面には「講中安全」と刻まれていた。
右の二基。左
馬頭観音塔 造立年不明。右 馬頭観音塔 文政13(1830)である。
内間木支所北 朝霞市浜崎4-12
朝霞第三小学校の東、内間木支所交差点の北路傍の小堂の中に庚申塔が
立っていた。ここは変則的な五差路で、写真の右の道は朝霞第五中近くを
通って新宮戸橋へ、左の道を行くと宮戸の寶蔵寺前交差点に至る。
庚申塔
延宝4(1676)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。かなり古いもので
表面は丸くなっていて文字も読みにくい。光背右上に「庚申供養□佛」
「現當二世」左上に年号が刻まれていた。
下部には三猿のみが彫られている。その右脇に文字が見えるが読みとれない。
左脇には武州宮戸村同行八人と刻まれていた。