自性院 北区神谷3-45-1
環七と北本通りの交差点、陸橋のかかる宮掘交差点の北東に自性院がある。
その入口左、塀の前にタイプの異なる六基の庚申塔が並んでいた。
左から見てゆこう。端には庚申塔 貞享4(1687)舟形光背 日月雲 青面金剛立像
剣ショケラ持ち六臂。青面金剛の体の両脇に二鶏を彫る。全体に厚みのある彫り。
光背に銘文が刻まれていないのは珍しいかもしれない。
足元に赤ん坊のような邪鬼。その下、中央には「奉供養」左脇に小さく年号。
その両脇に武州豊嶋郡神谷村、さらにまたその両脇に8名の名前が刻まれていた。
下の台には三猿が彫られている。
2番目 庚申塔 元禄3(1690)梵字の下、日月雲 如意輪観音坐像 二臂。光背左に
年号。光背右は一部が欠け、残っているのは「當二世安樂処」
下部の正面に武州豊嶋郡神谷村 同女十四人と刻まれていた。台の正面には三猿。
3番目 庚申塔 寛文11(1671)青面金剛立像 錫杖持ち六臂。六本の手の持ち物が
複雑なことになっている。法輪・錫杖・弓矢・羂索・蛇だろうか?足元の両脇
武州豊嶋郡 同行十二人と刻まれていた。下の台の正面には蓮花が線刻されている。
着衣の左胸に年号、右胸に「奉供養庚申待之処」と刻む。これも珍しいと思う。
4番目 庚申塔 延宝6(1678)舟形光背 地蔵菩薩立像 光背左脇 武州豊嶋郡神谷村。
その下に年号。右脇に「奉供養庚申待二世安樂處」
足元の部分の正面には施主名だろう、9人の名前が刻まれていた。
5番目 庚申塔 元禄8(1695)舟形光背 日月雲 聖観音菩薩立像。光背左脇に年号。
続いて武州豊嶋之郡神谷村 右脇に「奉供養庚申為二世圓滿」と刻まれる。
足元の正面の部分、剥落している中に文字の断片が見えるが判読はできなかった。
下の台には大きめな三猿が彫られている。
6番目 一番右端に 庚申塔 元禄元年(1688)板碑型。上部に日月雲。正面を二段に
彫り窪め 中央 梵字の下に「奉供養庚申現當二世安樂所」左脇に年号を刻み、
右脇に武州豊嶋郡神谷村。下の方は願主敬白 同行八人ということだろう。
この六基の庚申塔はいずれも江戸初期のものだが、余程大事にされてきたのか、
300年以上の時を経てもなお不思議なほどきれいな状態を保っている。
入口の右側、ポツンと一基 駒形の庚申塔 造立年不明 。下部に薄く三猿を彫る。
上部、日月の間に「南」とあり、その下に大きく「庚申塔」
塔の左側面に 右 十条道、右側面には 右 しも村 左 王子 みちと刻まれていた。
正面を「南」に向けて建てたと考えると、ほぼ方向が合っているように思われる。
奥に進み門を入ると右手に石仏が並んでいた。手前からだんだん小さくなる。
右端 庚申塔 延宝8(1680)舟形光背 如意輪観音坐像 二臂。光背上部、日月雲の間に
「奉造立庚申二世安樂処」右脇に 武州豊嶋郡神谷村同女二十三人 左脇には年号。
どっしりとした力感あふれる坐像だ。邪鬼、三猿などは見当たらない。
隣に 庚申塔 元禄4(1691)舟形光背 如意輪観音坐像 二臂。やや小ぶりになるが
これもしっかりした彫りだ。光背右に「奉供養庚申現當二世安樂処」続いて横に
年号を刻む。左脇に武州豊嶋郡神谷村。下部には 同女 十六人 敬白。
奥に 庚申塔 元禄(1696)駒型。板碑型のように中央を凝った形で二段に彫り窪め
中央に「奉供養庚申現當二世安樂之所」その下をさらに彫り窪めて三猿を彫る。
縁の部分の上部には日月雲、右に武州豊島村、左に同行十一人と刻まれていた。
専福寺 北区神谷3-32-11
北本通り、自性院のある宮堀交差点の北150mほど、西に入ると専福寺がある。
門を入ってすぐ左、門扉の向こうに三基の石塔が並んでいた。後には墓地。
参道とはブロック塀で分けられている。このブロックとの距離がないため
写真が撮りにくい。真ん中には 庚申塔 寛政9(1797)日月雲 青面金剛立像
剣ショケラ持ち六臂。
足の両脇に二鶏。足元に邪鬼。その下に三猿を彫る。
両脇に石塔が並び、側面の字も読みにくい。右側面に年号。左側面 講中三十七人。
参道を進むと左手の小堂の中に六地蔵が祀られていた。六地蔵は比較的新しい。
小堂の両脇にそれぞれ石塔が立っている。
左側 庚申塔 延宝6(1678)唐破風付角柱型。大きな笠が印象的だ。
中央に「奉供養庚申待二世」右脇に武州豊嶋郡神谷村、左脇に年号を刻む。
窓の枠に当たる部分に施主 敬白。下部には三猿が彫られていた。
右側 庚申塔 寛文9(1669)地蔵菩薩立像。後輩左 年号に続き武州豊嶋郡神谷町。
光背右「奉造立庚申待同行拾二人為二世安楽」きれいなお顔をしている。
王子庚申堂 北区王子5-20
北本通り、王子神谷付近で東に入ると「神谷橋庚申通り商店会」東西方向に伸びる
道路の両側に商店が並び、その名の通り、西の入口付近には庚申堂がある。
お堂の扉は鍵がかかり、しっかりガードされていて中を覗くのも容易ではない。
真ん中に観音菩薩の像塔、左右に二基の文字塔が見えている。
中は暗く、何回かトライしてやっと撮れたのがこちら。左 庚申塔 寛文9(1669)
中央「奉供養庚申二世成就」だろうか?右脇に武州豊嶋郡、左脇に年号が見える。
右 上部に観音の文字。左側面に文字が見えるが残念ながらこれは読めなかった。
清光寺 北区豊島7-31-7
庚申塔通り商店街を東に進み信号を渡ると住宅街になる。やがて左手に清光寺の
参道が見えてくる。入口左に四基の石塔が並んでいた。朝早く伺ったのだが、
掃除も終わりきれいなお花が供えられていた。左端 四面に四体の地蔵菩薩像を
彫った石塔。隣の丸彫の地蔵菩薩立像とともに造立年不明。その隣の舟形光背の
地蔵菩薩立像は寛文12(1672)の銘があるが三基とも個人の墓石・墓標のようだ。
4番目 聖観音立像 享保16(1731)光背右「奉供養観世音菩薩」光背左には年号。
その下 武州豊嶋村講中と刻む。
山門をくぐると正面に本堂があり、左手に墓地が拡がっている。その入口付近に
無縁仏が集められていた。多くは個人の墓石だがその中に講中のものが二基。
左端 地蔵菩薩立像 享保16(1731)光背右に武州豊嶋之郡豊嶋村庚結衆とあった。
光背左に年号。その下に結衆8名の名前を刻む。庚結衆というと庚申講だろうか。
三猿などは見えないもののこれも庚申塔なのかもしれない。
3番目 庚申塔 享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。右脇に年号。
左脇には當村講中と刻まれていた。
足の両脇に二鶏、足元に邪鬼が彫られている。三猿はいないようだ。
八雲神社 北区中十条3-33
日光御成街道と環七の交差点南西角に八雲神社がある。
参道の右手に小高い塚があり、その上に庚申塔 天明4(1784)が立っていた。
中央に「庚申塔」右脇に年号。左脇に 是れより左り い多者し道と刻む。
下部には武州 十条村 講中とあり、その下の台には三猿が彫られていた。
西音寺 北区中十条3-27-10
御成街道を南に歩くと左手に西音寺がある。入口左手、塀の前に六面石塔
宝暦2(1752)が立っていた。
六面の中央に六地蔵、三面の上部に阿弥陀三尊像が彫られている。彫りは細かく
密で、保存状態も良い。下部には奉造営大地蔵菩薩とあった。子育地蔵尊 北区中十条2-9
東十条駅南口を出て西に歩くと、左手道路沿いに地藏堂がある。
子育地藏 造立年不明。両脇は風化ではっきりしないが馬頭観音ではないだろうか。
きれいなお花が供えられていた。
小堂の前に庚申塔 寛政3(1791)日月雲の下、大きく「庚申塔」台には三猿を彫る。
塔の右側面 武州豊島郡下十条邑 講中。続いて年号が刻まれていた。
左側面には 右より練馬みち 左より豊島道。道標でもあったようだ。
地福寺 北区中十条2-1-20
東十条駅から西へ坂を登り、御成街道を左折してすぐ、右手に地福寺がある。
山門の左の小堂の中にお地蔵様が祀られていた。
六体の地蔵菩薩立像が並んでいる。一見してこのまま六地蔵とは思えない。
右の二体の像には銘は見当たらなかった。
左端 地蔵菩薩立像 寛保元年(1741)丸彫の大型の立像。合掌形をとる。
蓮台の下の台の正面に三猿が彫られていた。地蔵菩薩を主尊とする庚申塔。
その台の左側面に年号、右側面は一部が隣の石塔の陰になり、見えるのは
地蔵 三 念佛 有 三夜一切 講などの文字。
続く三体のお地蔵さんは大きさなどから、六地蔵としてほぼ同時期の建立と
思われる。左から享保6(1721)享保3(1718)正徳4(1714)の銘があった。
左端 下の丸い台の正面、「奉造立地蔵尊」念佛講中 三十四人と刻まれる。
他の二基も同様で、人数がそれぞれ二十九人、三十五人となっていた。
山門を入ると正面に本堂がある。その左側には墓地があり、入口付近に
庚申塔が立っていた。
庚申塔 享保5(1720)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足元に二鶏と
右向きの邪鬼。その下に三猿を彫る。スタンダードな構成と言える。
光背右には「奉造立大青面金剛庚講中」左脇に年号を刻む。
さらにその奥、無縁仏の並ぶ中に 庚申塔 承應2(1653)が立っていた。中央に
「奉供養庚申待現當二世安楽攸」右脇 豊嶋郡十条村。左脇に年号を刻む。
本堂の裏にも墓地が拡がっている。その入口に閻魔大王を主尊とする庚申塔が
祀られていた。基台の正面 「四種の庚申塔」という説明板が掲げられている。
閻魔大王坐像 貞享(1685)台には年号と「庚申供養」の銘が見られる。
江戸初期の作品らしく、ここでは多彩な庚申塔に出会うことができた。