王子駅から東を歩く

明治通り溝田橋交差点北東路傍 北区王子1-30

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王子駅から明治通りを北東に進む。明治通りは溝田橋交差点で右へ折れて続くが、
交差点を渡って直進してしばらくすると右手路傍に庚申塔の小堂が立っている。

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正面に大きく「庚申塔」中央には断裂跡が見える。右側面が大きく欠けているが、
この右側面に造立年が刻まれていて上部欠損のため造立年はわからない。

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左側面 豊嶋郡豊嶌邑、世話人三名の名前が刻まれていた。

西福寺 北区豊島2-14-1

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さらに直進して豊島二丁目交差点を渡って右に折れ、左に回り込むように
歩いて行くと西福寺の正面。四天王門の手前、参道の左側にたくさんの
石塔が立っていた。多くは江戸中期の造立でほとんどの塔に「石橋供養」
「石橋補修」などの文字がある。荒川も近く、石橋は大きな意味を持って
いたのだろう。これらは講中のものではなく個人の供養塔だった。

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参道の右側には六地蔵が並んでいる。造立年などは見当たらない。台の方は
いずれも正面に卍が彫られ揃っているのだが、お地蔵様は大きさもまちまちで
首の欠けたものもあった。

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四天王門をくぐり進むと右手前に庚申塔 寛文11(1671)が立っていた。

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正面 日月雲 青面金剛立像 六臂。前手に剣と羂索を持っている。足元に邪鬼。
その下には二鶏に挟まれて見猿が彫られていた。

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右側面 中央に「奉供養庚申二世安楽之所」右脇に薄く読みにくいが江戸湯島と
見える。下の方に施主 敬白。さらにその下に言わ猿を彫る。

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左側面 上部に年号、下部に数人の名を刻み、その下に聞か猿。三面で三猿となる。

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右奥、墓地の入口に無縁仏塔。そのおびただしい石仏の中に二基の庚申塔がある。

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左側面2番目 庚申塔 享保5(1720)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。左脇に年号。
右脇 「奉造立庚申供養二世安樂所」足の両脇に二鶏、足元に邪鬼。その下に三猿。
三猿の下には武州豊嶋郡、同行九人、豊嶌村と刻まれていた。 

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右側面の真ん中付近に庚申塔 地蔵菩薩立像。光背右に「奉供養庚申待二世安樂攸」
光背左は上部が一部欠けているが元禄ではないだろうか。その下には施主敬白。
さらに足の下の部分に数人の名前が刻まれている。

下道地蔵堂 北区豊島4-16

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西福寺を出て川沿いの道を北東に歩いて行くと、右手に下道地蔵尊の赤い幟が
並んでいるのが見えてくる。小堂の中にはたくさんの石仏が集められていた。
後ろの建物は老人ホーム。目の前には道路を隔てて大きなマンションが立つ。

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堂内には全部で18体の石仏が並んでいるが、正面を向いた13体のうち左から
3番目 庚申塔 宝永6(1709)如意輪観音坐像 二臂。光背中央 頭の上「庚講供養」
光背左に年号、右には 同行 拾人と刻まれていた。

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5番目 庚申塔 延宝3(1675)地蔵菩薩立像。光背右に「奉供養庚申二世□□之所」
光背左に年号を刻む。中央付近には補修跡が見える。

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その隣 庚申塔 寛文10(1670)地蔵菩薩立像。光背の上部を欠く。光背左に
豊嶋之郡豊嶋村。その下には人の名前が刻まれているようだ。光背右には 
「供養庚申二世悉成就」その下に年号を刻む。

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その右 庚申塔 貞享4(1687)地蔵菩薩立像。光背右「奉供養庚申為二世安樂也」
光背左 年号。その下に武州豊島村。さらに両脇に施主敬白と刻まれている。

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さらにその奥 庚申塔 天和3(1683)地蔵菩薩立像。頭の上に梵字「カ」光背右
「奉供養庚申待二世安樂之処」光背左に年号。その下に同行男女三十四人、 
さらに武州豊嶋郡と刻まれていた。

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右から5番目 庚申塔 元禄16(1703)地蔵菩薩立像。光背左に年号。光背右には
「奉造立庚申二世安楽所」光背下部両脇と足元の部分に10人ほどの名前を刻む。

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その右隣 庚申塔 享保3(1718)勢至菩薩坐像。光背上部を一部欠く。頭の上に
梵字。「奉供養庚申為二世安樂」その下に豊嶋村。光背左には年号。さらに
同行十一人と刻まれていた。

合わせて7基の庚申塔、江戸初期のもので地蔵菩薩を主尊とするものが多い。
残りの11基は個人のものだったり、銘などが確認できないものである。