板橋第五小学校西 住宅ブロック塀 西光院のある南町交差点から川越街道に向かって100mほど進み右折すると、左手の住宅のブロック塀のところに石仏が祀られていた。
馬頭観音坐像 天保4(1833)石塔の風化が著しく、像は顔の一部と合掌する手のあたりを除くと全体に混沌としている。側面は隙間が狭く確認できなかったが、資料によると右側面に造立年月日、左側面に施主名が刻まれているという。 東京佛光山寺向かい小堂 板橋区熊野町34 川越街道の中丸町交差点と山手通りの金井窪交差点を結ぶ一方通行の道路、中丸町交差点のほうから歩いて二つ目の交差点の角に小堂があり、中には二基の庚申塔が並んでいた。 右 庚申塔 宝永元年(1704)笠付角柱型。正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下に三猿、その下に二鶏が彫られている。右脇に「奉造立供養青面金剛尊像爲庚申講中二世安樂也 敬白」左脇に造立年月日。二鶏の下に数名分の名前が刻まれているようだがあまりはっきりしない。 左 庚申塔 享保6(1721)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下に大きめな邪鬼。三猿はそれぞれ型にはまらない自由なポーズで彫られている。右脇に「奉供養庚申」続いて造立年月日。左脇には武州豊嶋郡中丸村講中十五人、さらに願主善五郎と刻まれていた。