向原霊園 板橋区向原3-2
向原団地の南にある向原中学校の道路を隔てた北隣に板橋向原霊園がある。入り口に「当所は一般に開放された霊園ではありません。社員とその関係墓参者以外の立ち入りをお断りします。」と注意書きがあった。あきらめようかと思ったが、よく見ると「石仏への参拝者はお入りいただいて結構です」とある。こういう方針は石仏愛好者にはありがたい。入口から入ると右側にたくさんの地蔵像が並び、その奥、墓地の前には四基の庚申塔が立っていた。
塀の前、新旧合わせて20体ほどの地蔵像が集められている。前列中央、六地蔵菩薩立像か?
一番右だけ像の大きさが違っていた。地蔵菩薩立像 安永6(1777)延命地蔵型。台の正面中央「奉造立地蔵菩薩為二世安樂」両脇に念佛講中二十三人と刻む。右側面に造立年月日。
こちらの五体は六地蔵菩薩立像。一体は見当たらない。五体ともにとぼけた表情でユーモアを感じさせる。
それぞれの台の正面に「奉造立地蔵尊為二世安樂也」その脇に宝暦13(1763)宝暦14(1764)の銘が刻まれていた。
後列には新しそうなお地蔵さまが多い。その中で中央右あたりに地蔵菩薩立像。造立年はわからないが六地蔵と同じ頃か?前の列の六地蔵と同じような顔をしているが、いずれも頭部だけを後から補われたということかもしれない。
中央付近 地蔵菩薩立像。丸彫り延命地蔵型。これも紀年銘は見当たらない。
その左 地蔵菩薩立像 昭和2(1927)台の正面に「子育て地蔵尊」台の左側面に向原中と刻まれていた。
奥のほうは墓地になっている。その前に五輪塔と四基の庚申塔が並んでいた。
五輪塔の右 庚申塔 延享2(1745)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。惜しいことに全体に白カビが発生していて様子がわかりにくい。
青面金剛の足下、近寄って見てみるとかなりしっかりした彫りであることがわかる。二鶏、邪鬼、三猿。特に邪鬼は仰向けで青面金剛に腹部を踏まれ、足をジタバタしている姿が面白い。
塔の左側面「奉造立庚申供養尊二世安樂祈所」願主は個人名。右側面の中央に造立年月日。右脇に上板橋村 願主 こちらも個人名。左脇に十三人と刻まれていた。
その隣 庚申塔 享保10(1725)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。唐破風笠付角柱型。こちらは全体にきれいな状態を保っている。
足下にしっかりとした二鶏、右向きの邪鬼、三猿はそろって正面向き。
塔の左側面には 武州豊嶋郡上板橋村 願主 個人名 講中九人。
右側面「奉供養庚申講中現當二世安穏所」その脇に造立年月日が刻まれていた。
その奥は庚申塔 天和2(1682)舟形光背の上部に梵字「サ」続いて日月 青面金剛立像合掌型六臂。光背右に造立年月日。左脇「奉造立庚申供養二世安穏祈處」足の両脇に八名の名前を刻み、足下には三猿のみを彫る。三猿の両脇に結衆敬白。
江戸時代初期の石仏はなぜか品が良く美しいものが多い。頭の上にどくろの顔、眉毛の間に見えるのは三眼だろうか。首にはやはりどくろの首輪をかけて正面をキッと見据えている。なかなか魅力的な青面金剛だ。
一番奥 庚申塔 享保3(1718)唐破風笠の上に発達した相輪。日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
正面 像の周りなど、かなりの剥落が見られる。左脇「奉造立庚申供養尊二世安樂祈所」資料によると右脇に造立年月日があったようだが今はあとかたもなかった。二鶏は雌鶏が健在、雄鶏は欠損のようだ。邪鬼は組んだ両手に頭を乗せてマッサージを受けているような風情。三猿は左が外を向いているのが珍しい。三猿の右脇に結衆本願、左脇に欽主。三猿の下の部分には十数人の名前が刻まれていた。