西光寺 板橋区大谷口2-8
川越街道の大山付近から西に入り中野方面へ向かう都道420号線、大谷口郵便局の先で大きな道路からはずれ、一方通行の道を右に入って少し歩いてゆくと大谷口幼稚園がある。その西隣、西光寺の山門のあるこの辺りは都内の喧騒とは無縁な閑静な住宅街である。ひっそりとした山門の奥、正面に本堂が建っていた。
山門を入って左側、庭木の中に聖観音菩薩坐像 宝暦4(1754)いろいろな供養塔の正面上部に小さな聖観音菩薩坐像が陽刻されているのは見たことがあるが、このように単独で大きな丸彫りの聖観音菩薩坐像というのはあまり見たことがない。左手につぼみの蓮華を持ち、そっと右手を添えている。
蓮座の下の塔の正面 梵字「サ」の下「奉造立浅草観世音千日供養」右脇に武州豊嶋郡上板橋大谷口村 願主 専鏡。左脇には造立年月日が刻まれていた。
本堂の右側から本堂裏の墓地に向かう道の途中、大きな木の陰に「しろかきじぞう」と書かれた木の額がかかった小堂が立っている。
小堂の中 地蔵菩薩坐像。銘などは確認できず、詳細は不明。その昔、このお地蔵さまが信心深いお百姓の代わりに、夜のうちに田んぼのシロカキを済ませ田植えを無事に終わらせたという伝説があるらしい。
さらに奥に進み本堂の横付近、東側の塀の前に六地蔵菩薩立像 明和3(1766)丸彫りの地蔵像だが、六体ともに欠損は無く美しい状態で並んでいた。
足下の台の正面にそれぞれの地蔵名が刻まれている。右端の台の右側面 武州豊嶋郡上板橋村 大谷口郷 願主とあり二名の名前。
左端の台の左側面には「造立庚申講廿七人」台に三猿などは無く、「庚申供養」の文言も見えないので、この六地蔵を庚申塔と考えるのは少し無理があると思うが、その造立に庚申講が関わっていることは間違いない。続いて為二世安樂也。當寺法流三世法印快慶代。さらにその奥に造立年月日が刻まれていた。
西光寺北五差路角 大谷口上町83
西光寺の西の細い道を北へ歩き変則的な五差路のところに出る。右手の角のブロック塀の前に二基の庚申塔が立っていた。
右 庚申塔 享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下に二鶏と邪鬼。下の台の正面に大きな三猿が彫られている。
塔の右側面に造立年月日。左側面には武州豊嶋郡上板橋大谷口 願主 個人名。さらに講中 九人と刻まれていた。
左 庚申塔 元文3(1738)隣の庚申塔と同じく笠付角柱型。正面を彫り窪めた中に日月雲。続いて梵字「アーンク」の下「奉供養庚申二世安樂所」中央両脇に造立年月日。下部、別枠の中に三猿が彫られている。
塔の右側面に武州豊嶋郡上板橋大谷口村、左側面の下のほうに願主 大谷口村とあり、六名の名前が刻まれていた。
西光寺南路傍 板橋区大谷口2-13 2-14
西光寺の山門からまっすぐ南に歩くと右側の角に大きな地蔵菩薩像が立っていた。
地蔵菩薩立像 延享5(1748)延命地蔵型。蓮台の下の台も二重になっていて、像も含めて2mほどの高さになる。
台の正面「奉造立供養」両脇に造立年月日。右側面に武州豊嶋郡上板橋大谷口村。左側面には願主 個人名に続き、庚申講中十二人と刻まれている。西光寺の六地蔵像にも「庚申講中」の銘があった。この地域では、こういった地蔵像の建立にあたって、活動が盛んな庚申講の講員たちがその中心的な役割を果たしたのだろうか。
道路をはさんだ向かい側、ブロック塀の前に二基の庚申塔が並んでいた。
左 庚申塔 延宝5(1677)大きな相輪付きの唐破風笠を持つ。正面中央を凝った形に彫り窪めて、上部に梵字「アーンク」その下に「奉供養庚申二世安樂所」両脇に造立年月日を刻み、下部に施主敬白。その下に三猿を彫る。
右 庚申塔 貞享2(1685)唐破風笠付角柱型。やはりこちらも正面中央を同じように彫り窪めて、その中に梵字「アーンク」続いて「奉供養庚申二世安樂之処」両脇に造立年月日。下部に同行八人敬白。さらに三猿が彫られていた。二つの庚申塔はその規模は違うが、造立年も10年と違わず、構成は大変良く似ている。
大谷口1丁目住宅街路傍 板橋区大谷口1-16
そのままさらに南に向かい都道420号線を越えて少し東の細い道に入り込むと四つ角の所のブロックの前に二基の石塔が並んでいた。この場所はちょうどごみ置き場になっているようだ。
左 馬頭観音塔 明治23(1890)左側のブロック、右の石塔に挟まれていて側面の様子はわからない。正面 梵字「ウン」の下「馬頭観世音」裏面に造立年月日。
右 道標 明治40(1907)正面 道路の改修の記念碑のようで寄付金額とともに二十名ほどの名前が刻まれていた。
左側面は見えない。右側面 右 あら井やくし道 左 奈加丸みちだろうか。
都立板橋高校北東五差路 板橋区大山西町28
板橋高校の南の道を川越街道に向かって歩いてゆくと信号のある交差点で道が分かれる変則的な五差路に出る。信号機の下、木や鉄柱の陰になって見つけにくいが庚申塔が立っていた。
庚申塔 安永5(1776)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。比較的しっかりした像塔のようだ。空間的な余裕がなく写真は撮れなかったが、下の台の正面に十数名の名前、右側面には庚申待講中 二十五人 武州豊嶋郡上板橋大谷口村、さらに造立年月日。左側面に願主名が刻まれている。
足下の二鶏は線刻。邪鬼、三猿もしっかり彫られていた。
東和製麺前 板橋区大谷口上町14
川越街道の弥生町交差点から南へ一方通行の細い道に入り、少し歩くと左奥に「東和製麺」がある。その赤いレンガの壁にもたれるように庚申塔が立っていた。
庚申塔 正徳2(1712)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。二鶏、邪鬼、三猿いずれも見当たらないが、青面金剛はしっかり彫られていて充実感があり、さほど気にはならない。下部に八名の名前が刻まれていた。
塔の右側面「奉供養庚申講中現當二世安全祈所」結衆欽言。左側面には造立年月日。その奥に武州豊嶋郡上板橋村海老山之江 続いて大きな字で個人名が刻まれている。