板橋区板橋

宗仙寺 板橋2-22-14

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板橋区役所の南にある四ツ又交差点の南、板橋第二小学校のすぐ西に宗仙寺がある。本堂の左側が墓地になるが、本堂の左脇を通って北のほうに歩いてゆくと、墓地のはずれに石仏が並んでいた。住職の墓塔などの中に唐破風笠付角柱型の庚申塔が見える。

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庚申塔 享保元年(1716)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。頭の上にはとぐろを巻いた蛇を乗せ、足元には二鶏、邪鬼、三猿が揃っている。

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塔の右側面 梵字「アーンク」の下「奉新造立青面金剛庚申供養二世安樂祈所」下部に六名の名前。

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左側面 右に造立年月日。その左脇に武州豊嶋郡 金井久保村。こちらの下部にも六名の名前が刻まれていた。

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その右隣 地蔵菩薩立像 元禄4(1691)錫杖と宝珠を持つ延命地蔵型。古いものだが状態はよく佇まいも美しい。光背の一部に断裂跡が見える。上部に梵字「カ」光背左に造立年月日。光背右「□散道保居士菩提」個人の墓塔のようだ。

四ツ又交差点東 首都高下 板橋2-58

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四ツ又交差点東 首都高の下が整備されていて遊歩道になっている。その片隅に小堂が立っていた。

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馬頭観音立像 享保19(1734)ちょうど首のあたりで断裂した跡がある。堂内は薄暗く細部を確認するのは難しい。

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光背の右脇 上のほうに「六十六部」彫りは薄くなっていてかすかに見える程度。途中にも文字が見えるが判別はできない。下部に願主 順貞と刻まれていた。

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左脇 上のほうにこちらもかなり彫りが薄いがよく見ると享保十九と見える。下部は一部が欠けていて文字は確認できなかった。

 

観明寺 板橋区板橋3-25-1

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旧中山道、仲宿商店街から不動通り商店街に入り少し歩くと左手に観明寺の入口があった。寺導の後の小堂の中に庚申塔が祀られている。

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庚申塔 寛文元年(1661)唐破風笠付角柱。青面金剛像が刻まれた庚申塔としては、都内で最古のものだという。堂の隙間から少しずつ写真を撮ってつないでみた。塔の正面 笠のすぐ下に日月雲。その下を大きく彫り窪めて、上部に天蓋を施し、青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。顔はつぶれていてはっきりしない。頭の後ろにある円光背からは炎が立ち上っている。腰のあたりから足にかけてまとわりついているのは蛇だろうか?足の両脇に二童子を陽刻。足元には二匹の邪鬼の頭。その下に一匹の猿と一羽の鶏が向かい合って彫られていた。

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塔の右側面「奉新造立正面金剛尊像一躰現當二世安樂所」青面金剛ではなく正面金剛になっているのは珍しい。下部両脇に造立年月日を刻む。

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左側面 右端に武州豊嶋郡下板橋結衆本願、中央上部に庚申供養文曰とあり、その下に四文字四行の願文。左端に願主 大阿者梨法印權大僧都慶海と刻まれている。

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境内に入ると加賀藩下屋敷の通用門だったという山門が立っていて、その先の正面に本堂と不動堂があった。参道左側に石塔が並んでいる。

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左端には変わった角柱型の石塔が立っていた。下の台が見たこともない亀の甲羅のような形で面白い。正面には一部剥落が見られる。

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近寄って見ると、上部には蓮座があり、その上の光背の中に梵字が彫られていた。蓮座の下には僧形の人物の坐像が線刻されている。観明寺は真言宗の寺院であり弘法大師坐像ではないかと思うのだがどうだろうか?上の梵字が大日如来か不動明王だとしっくりくるのだが、調べてみると十一面観音菩薩を表す「キャ」のように見える。塔にも台にも文字は見当たらない。板橋区発行の資料では扱われていないし、ネットで調べてみても何の情報もなかった。なんのための石塔だろう?

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その隣 聖観音菩薩立像 寛文8(1688)左手に蓮華を持ち右手は与願印。

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光背上部に梵字が見えるがたて込んでいて判読できない。光背右「奉新造立観音尊像一躰現當二世安樂所」その内側「□□衆生□□三毒」のように見える。下部には武州□□村 本願とあり、四名の名前。光背左端には造立年月日。その内側に「常念観音像離三毒」と刻む。その下、施主敬白 導師とあり文字が続くがこちらは今一つはっきりしない。

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その右 不動明王坐像。火焔光背の上部と体の前面、腕の先などが欠けている。銘は見当たらず詳細不明。よく見ると不動明王の坐る台の下、中央の滝をはさんで両側にあるべき矜羯羅童子と制吒迦童子の姿は無いが、その脚部だけが残されていた。

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その隣 疱仏石祠 享保8(1723)塔身部の正面を楕円形に彫り窪めて、その中に「疱仏」と陰刻されている。疱瘡除けの守り仏ということのようだ。下の台の正面に岡村とあるが村の名前だろうか?

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塔の左側面に造立年月日。その脇に観明寺法印頼性と刻まれていた。このあとは個人の二つの戒名が刻まれた聖観音菩薩立像、宝篋印塔が並んでいる。

 

東光寺 板橋区板橋4-13-8

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旧中山道から現在の中山道に出る交差点を左折し歩いてゆくと右手に東光寺の入り口がある。山門を入ると左手に多くの石塔が整然と並んでいた。

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左から地蔵菩薩立像 宝永5(1708)延命寺像型だが左手の宝珠を欠く。下の台の正面に湯嶋 五丁目 施主 萬屋九兵衛と刻まれていた。

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隣 庚申塔 寛文2(1662)唐破風笠付角柱。 2mを越そうかという大きな庚申塔。こちらの造塔は観明寺の庚申塔から遅れること一年ということになる。

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日月雲の下、青面金剛立像 三面六臂。前の左手はショケラを持つことが多いが、ここでは羂索。両脇に二童子を従えている。

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足下には邪鬼がうずくまり、その下に四夜叉が生き生きと彫られていた。さらに四夜叉の下には御幣を持った一猿と一鶏。青面金剛から猿・鶏まで多くの要素が揃い、かなりにぎやかで立派な庚申塔である。

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塔の右側面 上部に正誉上人と刻まれ、下部には本村とあり三名の名前。左側面には造立年月日。その下部にはやはり三名の名前が刻まれているが、宿場の店の主人と思われる名前もあり、前回見た観明寺の庚申塔も合わせて、板橋宿の繁栄をうかがうことができる。

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続いて地蔵菩薩立像。このお地蔵さまも左手の宝珠を欠いていた。下の台の正面「國土成就」他に銘は見当たらず詳細は不明。

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さらに不明塔、手水鉢が並び、一番右端に地蔵菩薩坐像 享保4(1719)高さは3mにもなろうか、像、台ともに規模が大きい。蓮座の下の塔部正面に銘が刻まれているが、かなりなくずし字のため判読できない。ただその五行目に享保四歳という文字が確認できた。

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 塔の右側面に 開眼導師 丹船山東光寺 豊誉上人と刻まれている。左側面は中央に「奉納一字三礼書写御經」その右に向かって地蔵本願經、浄土三部經、千手陀羅尼、右端は無量寿号二万遍一号一礼、左に向かって延命寺像經、妙法蓮華經、三世佛名經、最後に地蔵尊号二万遍一号一礼。続けて法俗二名誌 願主 稱誉 敬白と刻まれていた。

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下の台の正面中央に「六道利生・・・」両脇に十方施主二世・・、瞻仰男女滅罪・・いずれも続きは土の中で見ることはできない。その周りに薄い文字でたくさんの名前が刻まれている。

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台の残りの三つの面にもやはり細かい字で多くの名前が刻まれていた。四つの面を合わせると二百名ほどではないだろうか。それだけたくさんの人たちがこのお地蔵様の造立に関わったということなのだろう。

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後ろのほうに二基の馬頭観音塔が並んでいる。右 馬頭観音塔。自然石の正面を平らにして中央に堂々と「馬頭觀世音菩薩」残念ながら他に文字は見当たらない。

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左 馬頭観音塔 昭和2(1927)こちらも正面に「馬頭觀世音菩薩」右側面は一部剥落が始まっているが、その中に造立年月日が刻まれていた。