都営三田線西台駅の東を通る広い道路をまっすぐ南に進み、首都高速の下をゆるく
左にカーブしたあたり、道路左手に蓮華寺がある。山門を入った左奥が墓地だが、
その入り口にたくさんの石仏が並んでいた。
入口近くから庚申塔 延享2(1745)日月雲 青面金剛立像合掌型六臂。塔の表面は
カビと苔が目立ち、顔の表情などもはっきりしない。光背右に年号。光背左には
武州豊嶋郡根葉邑と刻まれている。「蓮根」は上蓮沼と根葉の合併の産物らしい。
青面金剛の足下に邪鬼・二鶏の姿は無く、正面向きの三猿だけが彫られていた。
続いて六地蔵のうちの三体。像の大きさ、顔の表情、足下の蓮座などが揃っていて
この奥の三体と合わせて六体は同時に建立されたものと思われる。左から光背右に
「一切聖霊三界萬霊」村中念佛講。光背左に庚申講中四人、脇に七人志。その下に
願主 了善とある。中央 光背右に庚申講中十五人、光背左には明和2年(1765)の
紀年銘。右のお地蔵さまは光背表面が荒れていて文字が読みにくい。
その奥に地蔵菩薩立像 正徳4(1715)大型で丸彫りの像だが状態は悪くない。
台の正面 右から寒佛衆九人、念佛講中、奉加村中。奉加村は調べてみたが不明。
台の両側面には造立年月日が刻まれている。
墓地への入り口を挟んでその奥にも大型で丸彫りの地蔵菩薩像が立っていた。
台の正面に文字が見えるが、この日は光線が強すぎて残念ながら確認できず、
またの機会にはしっかりと見てきたい。
その奥 六地蔵のうちの残りの三体。左 光背右脇に庚申講中十五人。中央は
光背右に「為先祖代々聖霊菩提」左脇に施主、2名。右 これも光背右脇に
庚申講中十五人と刻まれていた。さて左右合わせて六体のうち、少なくとも
四体の光背の銘は庚申講の関わりを示していて、資料ではこの六地蔵全体を
庚申六地蔵として扱っているがどうなのだろうか?一体には念佛講とあり、
一体は施主が個人のもの。「庚申供養」などとあれば問題ないのだが・・・
右隣 唐破風笠付の大きな庚申塔 延宝2(1674)青面金剛立像合掌型六臂。
右脇に「奉納庚申供養成就所同行廿七人」左脇に武州豊嶋郡根葉邑と刻む。
足下に邪鬼は見当たらない。三猿が彫られ、その下に二鶏という構図は珍しい。
その奥に六字名号塔。徳本上人の独特の書体。年代などは未確認。
一番最後は大般若経供養塔。年代不明。塔の正面上部に三つの梵字、それぞれ
般若菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩を表しているようだ。中央「大般若輕供養塔」
両脇に天下泰平・村内安全。下の台の正面に根葉、根原と刻まれている。
蓮華寺東路傍 板橋区蓮根1-9
蓮華寺を出て高速の下の広い道路の北側歩道を東に少し歩くと左手の住宅の
角のところに石塔が立っていた。
馬頭観音坐像 嘉永6(1853)塔の表面はそれなりに風化が進んでいる。
塔の右側面に年号。脇は少し削れているが 北 戸田わたし と刻まれていた。
左側面 東 なかだい 江戸?左脇に 西 にしだい とくまる道だろうか。
下の台の正面に根原講中。その両側面に数名の名前が刻まれている。
蓮根馬頭観音堂 板橋区蓮根2-28
高島通りの西台駅前交差点から東へ歩くとすぐ、その南側路傍に観音堂があった。
通称「田の観音」江戸時代、一帯は田園地帯であり農作業の行き帰りに参拝して
いったのだろう。このコンクリートのお堂は平成9年に建てられたものだという。
観音堂の右手前 庚申塔 文化5(1808)正面に大きく「庚申塔」
下の台の正面に自由に振る舞う三猿が彫られている。右の猿は後ろ向き?
塔の両側面に造立年月日。台の両側面に合わせて13名の名前が刻まれていた。
文字がはっきりしていて気持ちがいいが、当時のままだろうか。
堂の左手前 庚申塔 嘉永6(1853)青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
足下の邪鬼は二匹。向かって右の邪鬼は頬づえをついていてふてぶてしい。
青面金剛に踏みつけられているというよりも乗せてあげてるといった風情。
その下の三猿も揃って蹲踞の姿勢をとっているのは珍しい。
塔の右側面 ちょっと読みにくいが年号が刻まれ、その脇に東 中台 板橋道。
下の台には根原講中とあり、四名の名前が刻まれていた。
塔の左側面 こちらは西 大山 ねりま 北 戸田渡しバ道。下の台には世話人
六名の名前が刻まれている。
観音堂の中、中央に大きな馬頭観音立像 元禄11(1698)合掌型二臂。
馬頭観音としてはあまり見ない像容だが、頭の上には小さいながらも
しっかりと馬頭が見え、衣服も観音菩薩のそれである。
右脇に小さな地蔵菩薩立像。観音堂の扉はしっかり閉まっていて細部までは
確認できない。資料によると台の正面に根葉 根原 念佛講中とあるらしい。
左脇 小型の馬頭観音立像 文政3(1820)資料には蓮根3丁目26番の個人宅に
あるということだったが、平成9年この観音堂の改築時に移されたのだろう。
その後ろに地蔵菩薩立像 光背の両側に元禄14(1701)と正徳元年(1711)の
二つの年号が見える。命日だろうか。遠目で確認できないが下の台に5つの
村名と名前が刻まれているという。