板橋区蓮沼町

南蔵院 板橋区蓮沼町48

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中山道志村警察署前交差点から池袋方面に200mほど歩くと左手に南蔵院の入り口があった。手入れの行き届いた境内は気持ちがよい。

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門を入ると参道の両側の植え込みの中にいろいろな石塔が整然と並んでいた。まずは参道の右側から見てゆこう。

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入口近く、大乗妙典供養塔 宝暦11(1761)正面 梵字「ア」の下「奉納大乗妙典廻國供養塔」塔の右側面に造立年月日。左側面には武州豊嶋郡蓮沼村 願主 蓮入と刻まれている。

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続いて六地蔵菩薩立像 年代不明。植え込みの中には入れないので正面しか確認できないが台には銘は見当たらない。そう古いもののようには見えなかった

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その奥に三体の地蔵菩薩立像 昭和43年再建。台の下の説明によると、大正12年の関東大震災で倒壊した南蔵院の山門の改修時に、その山門の跡から三体の石地蔵尊が発掘されたという。その後、破損がひどくなったため新しくこの三体の地蔵像を再建したということだ。

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植え込みの一番奥には、塔の上に坐像を乗せた大きな三基の石塔が並んでいた。三つの坐像は頭部を同じように補修されている。

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右 月山供養塔 文化元年(1804)塔の上には阿弥陀如来坐像。塔の正面「月山供養塔」両脇に天下泰平・國土安穏。

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塔の右側面 東叡山御持 羽州羽黒山別當代 篤行院法印義研 先達 松之院快芳。左脇に年号。下部に刻まれた七名は施主だろう。

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左側面 こちらには講頭とあり、その下に七名の名前が刻まれていた。裏面は確認できないが同じように数名の名前が刻まれているらしい。

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中央 出羽三山供養塔 安永6(1777)塔の上には大日如来坐像。塔の正面 日月雲の下「月山・湯殿山・羽黒山 供養取願成就所」両脇に天下泰平・日月晴明。

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塔の右側面 東叡山御持 羽黒山執行別當代 智願院法印知印 山先達 松之院治良。左脇に年号。下部に十名の名前。隣の月山供養塔とほぼ同じ形式である。

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左側面 東叡山御領武州豊嶋郡蓮沼村、開眼供養導師 南蔵院法印宥源。講頭 願主 時名主とあり、その下に九名の名前が刻まれていた。資料によるとその裏面にも十名ほどの名前が刻まれているという。

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左 羽黒山供養塔 文化元年(1804)塔の上は聖観音菩薩坐像。塔の正面「羽黒山諸願成就」両脇に五穀成就・村内安全。

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塔の右側面 こちらは下部に七名の名前が刻まれている。

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左側面 東叡山御領武州豊嶋郡蓮沼村、開眼供養導師 南蔵院法印宜圓敬白。左脇に年号。下部に講頭 時名主とあり、その下に七名の名前が刻まれていた。

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植え込みの先にお堂が建っていた。「地蔵堂」の額がかかっている。

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地蔵菩薩立像 正徳4(1714)右手には鉄製の錫杖を持っている。資料によると像の裏に造立年月日が刻まれているらしいが、堂内に入ることはできず銘の確認はできなかった。    


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参道の左側の植え込みの中にも多くの石塔が並んでいた。植え込みの中には入れず塔の裏面の確認はできないので、一部は資料から引用することにする。

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左から 大日如来坐像 寛文2(1662)唐破風笠の上に立派な宝珠を持つ角柱型の大きな石塔。

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正面を彫り窪めた中、梵字「アーンク」の下に優雅な大日如来の坐像が浮き彫りされていた。枠部右に武州豊嶋郡蓮沼村□□□□念佛本願結衆都合廿二人。枠部左に造立年月日。大日如来像の下には四行に渡って願文。奉造立、大日如来、二世安樂、示現大明神などの文字が見える。

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その隣、馬頭観音立像 正徳3(1713)やはり唐破風笠付角柱型。下の台が二段になっている分だけこちらのほうが若干高くなっている。

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資料ではこれを青面金剛としているが、三面六臂、頭上には明らかに馬頭が彫られていて、馬頭観音だと思われる。右脇下に武州豊嶋郡蓮沼村庚申講施主とあり、馬頭観音を主尊とする庚申塔だろうか。像の下の部分に12名の名前が刻まれていた。

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両側面、上部にいずれも梵字で銘が刻まれ、下部には二十名ほどの名前が見える。資料によると裏面も合わせて83人の氏名が列刻されているという。

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続いて弘法大師遠忌供養塔が二基。その奥に庚申塔 寛文11(1671)正面を彫り窪めた中に「奉供養庚申待結衆二世祈所」その周りに多くの名前が刻まれていた。右枠部に武州蓮沼村結衆合廿四人敬白、左枠部には造立年月日が刻まれている。

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その隣 庚申塔 天明8(1788)風化が激しくほとんど原形をとどめていないが、上部左右には日月?その下は青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂?邪鬼ははっきりしないが、下部にはうっすらと三猿が見える。資料では両側面に地名や施主名が刻まれているということだが、たくさんの窪み穴の中に文字を見つけることはできなかった。

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さらに続いて庚申塔 嘉永3(1850)自然石の正面に「庚申塔」台の正面に三猿、側面に施主名などがあるらしいが現場では確認は難しい状況だ。

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その奥には小型の馬頭観音立像 年代不詳 六臂。光背左に蓮沼村とありその下に個人名を刻む。

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その隣 順礼供養塔 延宝8(1680)正面中央に観音菩薩坐像。右脇 梵字「バン」の下「奉納四國八十八枚二世安樂祈所」左脇 梵字「サ」の下「奉順礼東西秩父百枚二世安樂祈所」坐像の下には海譽起立之と刻まれていた。

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続いて 庚申塔 延宝8(1680)日月雲 青面金剛立像剣合掌型六臂。青面金剛の持物として一般的な弓矢のかわりに左手に羂索を持つ。右脇に「奉供養庚申二世安樂所」左脇に造立年月日。足下には三猿。三猿の下に武州蓮沼村と刻まれている。

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邪鬼はいないものの比較的大型の三猿は存在感がある。塔の両側面には合わせて14名の名前が刻まれていた。

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植え込みの中の一番奥 庚申塔 文化9(1812)正面 日月雲 梵字「ウン」の下「庚申塔」右側面に年号。左側面には武州豊嶋郡蓮沼村中。世話人九人と刻まれている。

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本堂の左右に二基の丸彫りの地蔵菩薩像が立っていた。右手前 地蔵菩薩立像 宝永7(1710)お地蔵様はちょっと難しい顔をしている。

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像の背面 中央に「奉造立地蔵尊講中百五十余人現當悉地」右脇に年号。その下には武州豊嶋郡蓮沼村。

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本堂の左手すぐ、地蔵菩薩立像 承応2(1653)板橋区最古の石地蔵だという。よほど手入れがいいのだろう驚くほど美しい状態を保っている。

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像の裏の中央「奉造立石地蔵一尊庚申待悉地成就拾人」右脇に武州蓮沼村 敬白。左脇に造立年月日が刻まれていた。    

南蔵院裏道住宅前 板橋区蓮沼町53

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南蔵院の入り口南にある石材屋さんの角を東に進み、次の一方通行の交差点を左に曲がるとすぐ左手の住宅の前に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 明治5(1872)正面 日月雲の下「庚申塔」下の台の正面には平面的な三猿が彫られている。

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塔の右側面 此方に向右あずさハ うきまわたし道。続いて此方ハ以はぶち かは口みちと刻まれている。

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左側面中央に年号。両脇には此方に向て右ハおうじみち、此方ハなかせんどうみちと刻まれていた。

志村第三小学校北住宅前 板橋区蓮沼町2

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上の庚申塔の前の一方通行の道を南に進むと、やがて蓮沼町と清水町の境の細い道に突き当たる。この突き当たった先は志村第三小学校で、このT字路の角、小学校の向かいの住宅の前に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 宝暦2(1752)上部に梵字「ウーン」と日月雲。青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に風化が見られ彫りが甘くなっている。光背右「奉造立大青面金剛供養塔」左脇に造立年月日。

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足の両脇に小さな二鶏。足下にはこちらは大型の邪鬼。その下の三猿も比較的小ぶりだ。

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塔の右側面に武州豊嶋郡。左側面には蓮沼村講中廿六人と刻まれていた。

志村第三小学校北東T字路角 板橋区蓮沼町1

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志村第三小学校の北の道を東に歩くとまたT字路に突き当たる。このT字路の左角に二基の庚申塔が並んでいた。

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右 庚申塔 明治29(1896)線刻された日月雲の下「庚申塔」その下に下講中と刻む。

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塔の左側面に造立年月日。右側面には北あかばね 南いたばし 道と刻まれている。

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左 庚申塔 正徳2(1712)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。

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光背右に「奉安置庚申供養尊像一軀現當悉地成就攸」左に造立年月日を刻む。

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下部には二鶏、邪鬼、三猿が揃うが、こちらは邪鬼が貧弱で三猿がかなり大きい。下の台の正面 右脇に講中とあり、十数名の名前が刻まれている。さらに台の左側面には開眼供養 南蔵院住法印宥□、右側面に 北ハ川口善光寺道、南ハいたは志みち と刻まれていた。